人間の尊厳を保つことは、社会で生きていく上で必要不可欠なことだと思う。 私が思う人間の尊厳は、一人ひとりが社会の中で相互的に理解され、尊重し合うということであり、そう考えると人間の尊厳なくして社会で生きていくことはできないと思う。 ゼミで話し合った認知症は、その点でとても難しいケースだ思う。 認知症患者にとっての社会は家庭やグループホームだと思うが、その中でも家庭において認知症患者の人間の尊厳が保たれることは難しい。本人と家族がお互いを理解することが難しくなるからだ。 例えば、認知症が進むと色々な事を忘れてしまい、自分がご飯を食べたことも忘れてしまう。本人はまだご飯を食べていないと思っているから「ご飯まだ?」などともう一度ご飯を食べようとする。しかし、家族はもう既にご飯を食べているから食べさせることはできない。そうなると、本人はどうして食べさせてくれないんだ、と思うようになり「家族は自分をいじめている」と考えてしまう。家族は本人のためを思っているのにそれを本人は理解してくれないし、認知症患者自身も自分の気持ちを家族にわかってもらえない、と思ってしまうのだ。このように認知症患者とその家族がお互いを理解し合うことは難しい。その中で認知症患者は尊厳を持って生きていると思うことがなくなってしまうと思う。 のし状況を良くするためには、認知症への理解が必要だと思う。家族が認知症をよく知り「認知症とはこういうものだ」と思うことができるようになれば、理解できる部分も大きくなるのではないかと思う。そうすれば、認知症患者も人間の尊厳を保ちながら生きることが可能だと思う。 何事に対しても、まずは「相手を知る」ということが大切だと思う。人種差別や障害者差別など、世の中には「人間の尊厳が犯されているのでは?」と感じることがまだまだ多くある。しかし、それも相手を知ることで変わってくるところがあると思う。相手の考えや思い、生き方などを何一つ知らないのに、「この人種だから」「障害者だから」というだけで差別するのはおかしいし、人間の尊厳を犯す行為だと感じるし、それを行う人に自分の尊厳を主張する資格はないと思う。 認知症や人種、障害は簡単にわかり合うことは難しいことである。しかし、どんなことでもそれを知ることはできると思う。そして、知ることが最終的には理解に繋がると思う。 誰もが尊厳をもって生きるために、まずは相手を知り、理解しようという気持ちが私たちには必要だと思う。