人間の尊厳・中間報告

 

ゼミのテーマが人間の尊厳ということで、私は人間の尊厳が侵されている場面を想像し、テーマをスクールカーストとした。では侵されているのではなく、保たれている状態とはどういう状態を言うのだろうか。まず今一度、尊厳というものが何なのかを確認したい。私は侵害されてはいけない絶対のものであると思う。ニュアンス的には権利や自由と似た意味になるのではないだろうか。

尊厳というものは人間にしかない。それは、あらゆる生物の中で人間にだけ理性があるからである。そして全ての人は自分の欲求を満たそうとする時、それが他人に迷惑をかけないか、傷をつけないかを事前に考える。他人に迷惑をかけている自由は自由とは言わず、尊厳を侵している。その人は人の尊厳を侵していることになる。このことから尊厳が保たれている状態を想像すると、他人に迷惑をかけず、傷をつけることなく自分の欲求が満たされている状態のことを言うのではないだろうか。

 

次に前回の書き込みでスクールカーストの順位を決定づける要因としてコミュニケーション能力が重要であると書いたと思う。論文や本を読み、さらにわかったことがあるのでここに書き込んでいきたい。私は森口朗著の「いじめの構造」(新潮新書)という本を読んだ。少し話がずれてしまうが。この本の中ではいじめというものを類型化している。

 

・  タイプⅠ 集団のモラルが混乱・低下している状況(アノミー的状況)で起こる

・  タイプⅡ 何らかの社会的な偏見や差別に根ざすもので、基本的には異質性排除の論理で展開する

・  タイプⅢ 一定の持続性をもった閉じた集団の中で起きる。(いじめの被害者は集団の構成員)

・  タイプⅣ 特定の個人や集団が何らかの接点をもつ個人に繰り返し暴力を加えたり恐喝の対照とする。(理念型藤田モデル P35)

 

著者はさらにこの藤田モデルにスクールカーストの概念を取り入れ図のみであるが「修正藤田モデル」を紹介している。この図によってスクールカーストの高低によってタイプごとにいじめの被害者になりやすい人、加害者になる人を見分けることができる。

 

スクールカーストに話は戻り、「まず子供達は学校に入学した時やクラス分けの時に、クラスの人のコミュニケーション能力や運動能力、容姿等を測りながら1〜2ヶ月は自分のポジションを探る。」(P44)子供達は無意識にこのことを行い、ポジション取りに成功したものは1年間、いじめに遭うリスクを最小限にすることができ、成功しなかったものはハイリスクな1年間を過ごすことになる。ここでコミュニケーション能力の話になるが、コミュニケーション能力とは具体的に何をそう呼ぶのだろうか。改めて考えてみるととても意味が曖昧な言葉である。そこで著者はコミュニケーション能力を3つに分類した。(P44)

・  自己主張力 集団の中で自己主張する力

・  共感力 他者と相互に共感する力

・  同調力 クラスのノリに同調し、場合によっては空気を作っていく力

 

この3つの総合力(自己主張能力+共感力+同調力=コミュニケーション能力)を主因としてスクールカーストが決定される。さらに著者はこの3つの能力の高低によって占めがちなポジションを図で表している。例えば、全ての能力が高い人は皆から認められるリーダーとなり、カーストの地位は最高ランクとされ、おそらくいじめの被害者にも加害者にもならないであろう。自己主張力と同調力が高く、共感力が低い人がいたとすれば、この人もランクは高いが、周囲はこの人に対して自分勝手な印象を持ち、さらにいじめの加害者になる可能性が大となる。ここで注意したいのはスクールカーストが上位の人が必ずしもいじめの加害者にならないということである。

スクールカーストにおいてコミュニケーション能力が重要であるということは言われていたが、どうしてコミュニケーション能力が重要であるのか、またコミュニケーション能力という曖昧なものを分類化した森口氏の研究はとても大きな意味があったと思う。

 

 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。