PCR検査が進まない理由、偽陽性での隔離による人権侵害を恐れているというのだが

 新型コロナウィルスの感染拡大が始まった当初から、PCR検査の拡充をすることが、感染拡大を防ぐベストで不可欠な施策だと主張しつづけてきた、羽鳥モーニングショーの玉川氏が、彼の調査時間帯「そもそも総研」で、この問題に迫っていた。実は、このテーマについて、NHKのラジオ番組の紹介をしたときの翌日だったか、やはりモーニングショーでPCR検査を拡充しないことが話題になったとき、全員が顔を見合わせて、気まずい雰囲気になったのだが、そのとき、やはり、メディアに圧力がかかっているのかと思ったものだ。ところが、数日前に、今日23日に、この問題を扱うという予告が出たので楽しみにしていた。玉川氏がインタビューにいった人は、NHKのラジオに出ていた人と同じだった(小林慶一郎氏)。彼は、分科会メンバーで、PCR検査の拡大で安心を作り出すべきだという主張をしていたのだが、なかなかそこに集約されないようだった。そして、今回玉川氏にその理由を語っていた。NHKアナウンサーが、ずっと避けて質問しなかったことだ。
 感染症の専門家たちは、ハンセン病での隔離問題が大きな社会的非難を受け、訴訟を起こされて敗訴していることが、大きな躊躇の理由になっているというのだ。そして、PCR検査で避けられない「偽陽性」がそこに関わる。つまり、「偽陽性」で隔離した人から、訴訟を起こされたら負けるということが危惧されているという。しかし、それはあまりに子どもじみた対応ではないだろうか。ハンセン病と新型コロナウィルスとは、かなり相違点がある。
 第一に感染する病気であり、飛沫感染や接触感染により感染するのは同じだが、ハンセン病は、感染源が大量の菌を出す患者で、かつかなり頻繁な接触がないと感染しないと言われている。つまり、感染力がかなり低い。それに対して、新型コロナウィルスは、無症状感染者からも感染し、これまでの状況を見る限り、感染力は格段に強い。ハンセン病は、社会的隔離が開始された段階でも、その必要はないという意見はあったが、ある意味人為的に作り出された差別でもあった。
 第二に、ハンセン病は皮膚などの身体に影響があるが、死に至る疾患ではないとされている。もちろん、複合的な要素で余命を縮めることはあっても、ハンセン病が短期間に死に至らしめるようなことはごく少ないとされている。しかし、新型コロナウィルスの死者は、既に国際的に現在60万人という膨大な人数になっている。感染が拡大してわずか半年の人数である。
 第三に、ハンセン病は、社会的差別と結びつき、治療法が確立してからも、隔離政策がしばらく続くという、明らかに国政の失敗を伴っていた。しかも、通常のその隔離は、病院などではなく、特別の隔離施設であり、しかも相当な年月隔離が継続し、一生隔離施設で暮らす人も少なくなかった。それに対して、新型コロナウィルスによる隔離は、まずは病院であり、あるいは仕方ない場合はホテルなどである。しかも、陰性になって一定期間過ぎれば、そのまま解放される。発症すれば入院になるが、それは当然であろう。そして、新型コロナウィルスには、確実な治療法が確立していない。
 陽性であれば、隔離するというのは、法の規定によるものだから、訴訟を恐れていないようだが、問題は偽陽性だという。しかし、陽性になっても、偽陽性を疑う人、隔離は困る人は、2度目の検査を受ければ、より正確な結果がでるだろう。
 以上のことから考えれば、隔離を強いて、提訴されることを危惧するというのは、現在の状況を打開するために必要な政策を回避することのデメリットのほうがはるかに多いというべきだ。PCR検査を制限していることで、今どんどん感染者が拡大しているのだから。
 さて、番組は、次に厚労省に取材したと報告された。ところが、厚労省の理由は、分科会とは異なるのだ。つまり、提訴などは理由ではないという。これまで散々言われた医療資源圧迫論であると、玉川氏は紹介していた。医療資源逼迫論が、現実であるとすれば、それは厚労省が、医療資源を維持するための努力を怠ってきたということになってしまう。なにしろ、問題が起こってから、半年以上経過しているのである。医療資源の維持は、最大の課題であるのだから、PCR検査をすると、不安になるという状態を作り出したのだとしたら、それは政府の怠慢でしかない。

 さて、小林氏のいうような国民的コンセンサスが必要だという見解は、なるほどだと思うが、多少問題のたて方がずれているのではないかと思う。提訴を感染症コミュニティーは恐れているというが、提訴は両方からの可能性がある。確かに、偽陽性の人を隔離した、そのために不利益を被り、人権を侵害されたという提訴はありうる。しかし、逆もあるはずだ。例えば、明らかに症状が出て、医者からも検査が必要であると診断されたのに、保健所が検査の余裕がないから、あるいは他の理由で検査をせずに放置している間に、症状が悪化して死亡したという事例。これは、一人二人ではない。この遺族は、医者が行う必要があると認めた検査をせず、そのために適切な治療が受けられずに死んでしまった、もし検査を受けて入院治療を受けられれば、治癒した可能性もある。そういう理由での提訴もありうる。アメリカなら、むしろ確実にされるのではないか。
 感染症コミュニティーが、検査をしたことによって生じる提訴を恐れているならば、日本よりもずっと訴訟社会であるアメリカで、日本よりも圧倒的に多い検査が行われている理由は何なのか。提訴の危険の意識であるとすれば、この不作為による権利の侵害のほうが、ずっと強く意識されているのではないだろうか。つまり、偽陽性による隔離に対する提訴を危惧しているとすれば、むしろ勘違いだといわざるをえない。(PCR検査を受けられずに家庭に放置され、重症化してなくなった人の遺族は、それこそ提訴する理由が十分にある。)

 結論的にいえば、この検査問題は、作為による人権侵害と、不作為による人権侵害とを、両方冷静にみて、どちらかが大きな過誤であるかを認識することが必要なことだ。もちろん、不作為による社会の被る被害は圧倒的に大きい。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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