人間の尊厳とは

「人間の尊厳」を考えた時、まずは「侵してはならない領域」だと考えました。人にはひとりひとり個性や人格がある。それは自分で形成していくものであり、手に入れていくものであり、他人に侵されていい領域ではない。当たり前のことではあるが人の人生は一度きりしかなく、その人生は紛れもなくその人のものだ。誰によって侵されてしまうのか?それはやはり他人であると考えました。
例えば学校でのいじめ、暴力、暴言などで自分の人格や個性を否定されることは、その人の尊厳を侵しているということではないだろうか。
生きていく上で、ひとりで生きていくことは不可能だ。誰しもが不特定多数の集団の中で生きていく。それが小さくても大きくても、周りに人がいるという状況は皆同じだろう。
その中でひとりひとりが自分らしく生きていくためには、互いに尊重し合い生きていくことが大切だと考えた。人の言葉ひとつで立ち直れないほどの傷を負うこともあれば、傷を負ったまま自分の命を終わらせてしまう人もいる。他人の影響力と言うのはそれほど大きいものなのだろう。
その不特定多数の中で自分の人格や個性をもち、自分らしく生きていくことが自分自身の尊厳をを保っている状態なのではないだろうか。

自分らしく生きる=自由奔放に生きる、好き勝手生きる、とは違う。それは逆に他人の尊厳を侵している状況になるかもしれないからだ。誰の尊厳も侵さずして、自分の尊厳を保つ。それが理想の形なのだと思う。

学校という場は誰もが通る道であり、人が人を「教育」する場として非常に貴重な時間であると思う。そこで享受したことを抱えながら子供は大人になる。大人に比べて子供はより吸収し身につけてしまう。その中で教師の発言によって子供の尊厳が侵されるということは多いのではないかと思う。実際にそういった場面はあるのか、どんな発言が影響を及ぼすかということを自分が教師を目指すにあたって、この研究を通して学びたいと思っています。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。