人間の尊厳とは

人間の尊厳とはどのようなものであるか、と考えたときに私は孤独に苦しむ表情をした人たちの顔が思い浮かんだ。周りの人を頼ることができずに一人でひきこもる人、いつも行動を共にする人はいるが心が通じ合った感覚がなく寂しい表情をする子、自己表現ができずに他人に生かされていると感じる人、社会から冷たい視線を向けられる人。その人が他人から尊い人と認められない「孤独」は人間の尊厳を侵している状態だと思う。そして孤独について考えてみると、意外と身近なものである。

では、なぜ孤独を感じて生きていくことはいけないのか。人は赤ん坊の頃は身近な大人たちの世話なしでは衣食住を行うことができなかったり、つらいことを感じた時に心の支えとなる人がいなければどんどんストレスを感じていき精神的にまいってしまったり、生活するのに自給自足でない世の中(食べ物や日用品を購入することや電気を得るなど)であったり、一人で生きこうとしても絶対に無理で、この事実は人間が誕生した時からすっと続いている。生きることは人間関係があるからこそ成り立つ以上、人間関係をおろそかにすることができない。たまに他人と生活することにつらさを感じる人もいるが常に一人で生きていくことはだんだん寂しさを覚えていくだろう。

よって孤独を感じている生活は、人間の尊厳が侵されている状態だと考える。そこで、孤独を最も感じる機会としていじめをあげ、私のゼミのテーマとして選んだ。
いじめを受けている人は、いじめている周辺の人は自分を低く評価したり怖いと思ったり、仲間から裏切られたときの悲しさだったり、ひとりで戦っていると思うことが多い。特に学校でのいじめは、生涯の人間関係のもととなることや人格形成につながるため、より良好な関係を築くことが求められる。いじめを受け、人を信じる怖さを感じ独りで生きることを選んでしまったら、周りの人たちが手助けできることができにくくなってしまい、さらに孤独を感じてしまうだろう。

しかし先生や家庭や別の友人など自分を受け入れてくれる人がいる、と思うことができれば心理的負担は軽くなるし、自分を受け止めてくれる温かい場所があることを認識すれば、より関係を深められる。いじめがないことに越したことはないが、いじめを受けたときのサポートの仕方がいじめを受けた人にとっていじめを解決しようとしたりいじめと闘おうとしたり、孤独から逃れる行動をとったりしていき、少しずつ前に進むことがしやすくなるだろう。その過程で人間としての成長ができるかどうかにつながってくることもあるかもしれない。つまり、自分を受け入れてくれる存在は、孤独から逃れるのに重要な役割を果たしている。

全ての人が孤独を感じないような良好な人間関係を築き、幸せに生きていくことを願う。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。