MSNのサイトに、女性セブンの記事が掲載されていた。歌舞伎の人手不足に関する話題で、「海老蔵、ブログ経由の弟子が廃業か 人材確保の困難さ示す」という記事だ。(2019.10.25)
歌舞伎役者にどうしてもなりたかったA君の母親が、海老蔵のブログにコメントを書いたことがきっかけで、海老蔵に弟子入りすることができた。入門前から、海老蔵ファンの間で話題となる「逸材」だったそうだ。記事によると、一般家庭の子どもが歌舞伎役者になるためには、独立行政法人「日本芸術文化振興会」で、中卒から23歳以下を対象にした2年間の研修を修了するか、直接、歌舞伎役者の弟子になるという2通りの道があるのだそうだ。更に、小さい子どもの場合には、4~10歳を対象にした「歌舞伎スクール寺子屋」を修了すれば、幹部俳優の楽屋に預けられる「部屋子」になる道がある。11歳だったA君は、どちらも該当しなかったので、母親が捨て身の策に出たというわけだ。そして、海老蔵自身が、非常にA君をかっていて、ブログでも紹介していたという。しかし、結局、歌舞伎の道を諦めて、辞めた。
一般の家庭の子どもは、研修を終えてから、部屋に弟子入りして、「三階さん」という役者になるという。控室が、舞台から最も遠い三階にあるから、そのように呼ばれるが、かなり体を張った演技が要求されるにもかかわらず、待遇はよくなく、辞める人が多く、そのために、歌舞伎界は人手不足になっている。
そういうなかで、海老蔵は危機感をもち、人材育成や待遇改善に取り組んでいるのだそうだが、その海老蔵が育てたいと思っていたA君が廃業してしまったので、こうした記事になっているわけだ。そして、記事は、次のような梨園関係者の指摘を載せている。
「いくら改革が進んでも、歌舞伎には技芸を継承する家元制度があり、世襲だけは覆せない。Aくんは勸玄くんと一緒に遊ぶことが多く、周囲からは“兄弟”のように見られていました。その“弟”である勸玄くんは来年5月に8代目・市川新之助を襲名する。一方の自分はきつい稽古を続けても端役から抜けるには時間がかかる。もちろん最初からわかっていた“格差”だが、若い彼には受け止めきれない現実だったのではないか。今彼は多感な高校2年生になった。誘惑も多い。残念ながら違う未来を描いたのかもしれません」
「あれだけ目をかけていた弟子が辞めてしまうのはショックですし、言葉にしなくとも、海老蔵さんの本心としては怒りもあると思いますよ。グッとこらえているんでしょうけどね…。
確かに一般家庭の子が置かれる環境は厳しいけど、彼らは追い詰められたら辞めればいい。一方で世襲の子は厳しい稽古から逃げたくても逃げられない。選択肢はないに等しい。どんな立場であれ芸を極めるには、困難を乗り越える胆力が必要なことに変わりない」
この言葉をどのように受け取るかということだ。前段は、納得できるが、最後の部分はあまり納得できない。
このブログにも書いたが、今年の9月、初めて歌舞伎を見た。定年を迎えるので、職場からチケットを記念品として贈られたのだ。珍しい経験なので、興味深かった。もちろん、かなり高額の入場料を払う客を満足させるためには、いいかげんな芸では通用しない。しかし、鍛え抜かれた芸を感じさせるのは、2,3名で、正直、ほとんどの人たちの芸は、特別な才能や、厳しい稽古を感じさせるものではなかった。世襲制が存続しえているということは、本当に才能がある人だけにできる芸ではないと、私には感じられる。本物の才能と、絶えざる鍛練と、自己節制がなければ、絶対にトップになれない領域は、いくつかあるが、その代表はスポーツだろう。クラシック音楽の演奏家もそのなかに入る。事実、このふたつの領域では、親子でトップの座を維持したペアは、例外的でしかない。クラシック音楽では、クライバー親子がその例としてあげられるが、多少緩くすると、ヤルビ親子などがいる。いずれも指揮者だ。実は、指揮は本物の才能と絶えざる鍛練(勉強)は必要だが、あまり自己節制はいらないのだ。そこまで必要なのは、実際に自分で音をだす演奏家だが、そういう演奏家になると、ほとんど見当たらない。昔は、身分制度だったから、音楽家も代々続いたことが多かったが、そうした時代の水準は、概して低かったのである。演奏技術が飛躍的に向上したのは、音楽大学が整備され、コンクールを勝ち抜いた人々が、地位を獲得していく道が形成されてからである。そうして、実力だけが重要になれば、世襲の余地など、まったくなくなってしまうし、必要でもなくなる。
逆にいえば、世襲が維持されていることは、その芸の水準が高くないことを示していると、私は断言できると思う。もちろん、例外的に特別な才能をもった人か表れることはあっても、皆に求められる水準は高くないはずである。歌舞伎が、本当に高い芸を実現していくためには、また、有能な人材を引き入れて活用していくには、世襲制は妨げにしかならないのではないか。
似たような状況にある分野として、伝統的な地方の工芸がある。子どもが代々引き継いできたり、あるいは身近な人たちから弟子をとるやり方で、継承してきた工芸が多いが、最近では、インターネットを利用して、広く志のある人を募集して、後継者が育っている場合が少なくない。世襲制を維持しながら、人材不足をなんとかしようというのは、結局成功するようには思えないのである。