野球の試合、長すぎないか?

 野球が久しぶりな熱さを感じさせている。WBCは、にわか野球ファンをたくさん生んだし、日ハムの新球場エスコンフィールドも完成し、開幕から使われた。しかし、その後多少緩和されたらしいが、開幕の初日は、帰宅の交通機関が大混雑して、交通アクセスの悪さが浮き彫りにされた。当然、球場や市が対策を練って、やがて交通機関は改善されるだろうが、試合終了時間が遅かったことも、混乱の一因になっていると思われる。WBCでも、とにか、試合時間がながかった。サッカーは、原則90分で終わり、延長になっても、それほど長くはない。休憩を挟んでも2時間で、だいたいは終わる。しかし、プロ野球は3時間は、短いほうで、長いときには、更に30分、1時間延長される。もちろん、プロ野球機構としても、対策をねっているが、とにかく、試合のテンポ感が、どんどん遅くなっている。大リーグでは、ピッチクロック制を導入して、テンポを速くするように改定している。ピッチクロック制とは、投手が投げる間隔を、無走者の場合15秒、有走者のときは20秒に制限するものだ。これで、けっこう速くなるらしい。

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橋下徹氏の派閥論

 橋下徹氏が、けっこう長文の派閥論を書いている。
 「落選議員の生活費を年数百万円支援…橋下徹「政界の権力闘争を勝ち抜く”派閥のボス”がやっていること」である。
 
 私は、橋下氏の論に共感することは、ほとんどないが、この文章は、全面的にではないとしても、共感する部分がけっこうあった。ただ、ふたつの異なったことが論じられていて、前半と後半が、必ずしも整合的でないように思われる。

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羽鳥モーニングショー玉川氏復帰

 4月新年度になったからなのか、玉川徹氏が、羽鳥モーニングショーに復帰した。これまでは、単発的な復帰だったが、以前のような連日のコメンテーターということらしい。玉川氏の撤退によって、いい意味での羽鳥モーニングショーの面白さが、大分薄れていたことは間違いないから、復帰は、歓迎すべきだろう。といっても、テレ朝のそもそもの体質なのか、安倍政権などに睨まれていたからなのか、ネトウヨと言われるひとたちが攻撃するほど、テレ朝は、自民党政府に批判的ではないし、羽鳥モーニングショーも、特に昨年の統一教会問題での消極性で、その弱腰が顕著に見られた。あまりにWBCにのめり込み過ぎなのも気になっていた。石原、山口など、明らかに保守的なひとがレギュラーにいるし、安倍親衛隊だった田崎氏なども、頻繁に登場していた。玉川氏がいなかったとき、明確にリベラルといえるのは、浜田氏くらいだったのではないだろうか。そういう意味で、玉川氏の復帰によって、バランスを回復したように思う。

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小西議員のサル発言 問題はメディアへの恫喝だ

 立憲民主党小西議員のサル発言が、大きな問題となっている。なんと低次元な発言だろうかと呆れてしまうが、ある記事によると、小西議員は、自分が一番頭がいいと思っているのだそうだ。まるで経歴にないが、自分を憲法学者と堂々と語ったようだから、たしかに、自分を過大に見せたい気質のひとなのだろう。
 サル発言は、次の読売新聞の記事によって明らかにされたようだ。
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 立憲民主党の小西洋之参院議員は29日、衆院憲法審査会が毎週1回定例日に開催されていることを念頭に、「毎週開催はサルがやることだ」と述べた。小西氏は参院憲法審で野党筆頭幹事を務めており、同日の幹事懇談会後、記者団に語った。

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鬼平犯科帳 成功した原作の改変ドラマ

 鬼平犯科帳のドラマを全部見てしまおうと思って、FODに加入してせっせと見ている。今5シリーズになったが、ここでは、原作の内容をかなり変えているのに、それがうまくいっている作品がいくつかあり、それがとても面白いと思った。3、4シリーズだと、改変に疑問符がつくのが多かったのだが。
 
 まず「土蜘蛛の金五郎」だ。これは、盗賊の金五郎が、「どんぶり屋」という、社会事業的な安さで、提供する飯屋を経営しているのだが、平蔵は、うわさを聞いて、あやしみ実際にいってみる。盗賊は罪滅ぼしのような意識で、そうした慈善を行なうことがあるからだ。汚い貧乏浪人の姿で何度か通ううちに、ならず者が襲撃に来たのを追い払ったことで、店主(金五郎)に見込まれ、平蔵も自ら近づいて、殺しの依頼を受ける。相手が平蔵なので、岸井左馬之助に身代わりを頼み、実際に剣をまみえて、身代わりの平蔵(左馬之助)を討ち(芝居)、その後お礼をする金五郎を捕らえる、という筋である。

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大学倒産について考える

 恵泉女学園大学が募集停止になったことで、再び大学倒産の話題が活発になった。これまでに倒産した大学の原因を詳しく分析した文章もあるが、ここではそうした原因ではなく、そもそも大学のあり方につなげて考えてみたい。
「募集停止・廃校となる大学は何が敗因か~16校の立地・データから分析した・前編」石渡嶺司
 
 2000年以降に廃校になった大学は16校だそうだが、多くのひとは、ずいぶん少ないと思うに違いない。これだけ少子化、大学全入、定員割れ、大学の冬の時代などといわれているのに、800以上ある大学で16校しか潰れていないのかと、逆に感心するかも知れない。しかし、大学としての倒産は少なくても、部分的な廃業は、もっとずっと多い。ある学部を廃止して、他の学部に編成替えするなどということは、多数の大学が行なっているはずである。もっと深刻な事例としては、短大なり、専門学校を廃止して、4年制の学部に組み込むなどという例もある。私の勤務していた大学でも、短大と専門学校が廃止になり、4年制の学部に組み入れたり、教員を職員にしたりしたことがある。こうした再編による生き残りが可能になるのは、それなりに募集が安定している学部が複数あるからだ。つまり、大規模大学は、生き残りが容易である。だから、大学として、学部増設などによる大規模化をめざすのである。

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指揮者の晩年7 オットー・クレンペラー 心身の苦難を乗りこえて

 オットー・クレンペラーは、指揮者としては、かなり波乱の富んだ人生を送ったひとだ。若いころから、双極性の精神疾患を患っていたといわれ、それが原因で、歌劇場支配人やオーケストラとトラブルを起こしていた。更に、ヒトラー政権から逃れて渡ったアメリカで、脳腫瘍にかかって、大きな手術をしている。更に、飛行機のタラップからおりるときに、踏み外して大怪我をしたり、更に、ホテルで寝煙草が原因でシーツが燃え、かなりの火傷をして、大がかりな皮膚移植手術を受けている。
 こうした身体的なトラブルだけではなく、アメリカの市民権を得ていたが、戦後初期にハンガリーの歌劇場で指揮をしていたために、マッカーシー旋風が吹き荒れていたときに、共産主義と関係があると疑われて、パスポートの没収にあったりしている。

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ガーシー問題を考える

 ガーシー議員が除名され、更に逮捕状の発行、そしてパスポートの返還命令とたて続けに厳しい措置がとられている。私は、彼が国会にまったくでないということで、大きな問題になって初めて名前を知ったくらい、彼には関心がなかったが、除名が話題になり始めたころからは、さすがに注目せざるをえなくなった。しかし、話題になった暴露的youtubeをみようと思っても、かなり前のことなので、通常の探し方では出てこない。どうしてもみたいわけではないので、今のところ、逮捕状がとられるほどの酷い内容なのかは、よくわからない。彼のyoutubeは見ていないが、この除名や逮捕状騒ぎは、実に多くのシステム上の問題を孕んでいるといえる。
 
 まずは、国会議員の資格を失わせる除名についてである。これには、わずかだが、気にいらない議員や政党に対して、除名で排除できる道を開いてしまう危険があるという「警告」があった。しかし、ネット上のコメントとしては、それはごく少数派で、今回は、かなり慎重になされ、しかも理由が国会に出席しないという理由だから、もっと速やかにすべきであった、あるいは、これを機会に、基準を明確にすべきであり、そのきっかけになるという、除名肯定の意見が圧倒的に多かったと感じられる。

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五十嵐顕考察7 五十嵐顕とはどのような研究者だったのか2

 前回、書き漏らしたこと、そして、新たに考えたことを付け加えておきたい。
 前回は、僣越ながら、私自身の姿勢、歩みと比較してしまったが、今回は、堀尾輝久氏と比較して、研究者のあり方の違いを考えてみよう。堀尾輝久氏は、戦後育った教育学研究者としては、最も優れたひとだと思うが、研究者としての「修行時代」は、五十嵐氏とは、まったく違っている。
 五十嵐氏は、既に日中戦争が深みに入り込んだ時期に、学生時代を過ごしており、東大では繰り上げ卒業になって、そのまま戦地に兵隊として行かされた。約5年間インドネシアを中心に兵役につき、無事帰国することができた。そして、この戦時中の経験は、その後ずっと底流として、五十嵐氏の心の底に流れ続け、晩年、中心的なテーマとなった。帰国後、新しくできた文部省の研修所に勤め、戦後改革に関連する調査活動に携わったあと、宗像教授に呼ばれて東大の専任講師となる。因みに卒業論文は、ペスタロッチだったが、一冊のレクラム文庫を元にしてまとめたものだったという。多少謙遜はあるが、時代的状況もあり、事実それに近かったのだろう。

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読書ノート『水を守りに森に 地下水の持続可能性を求めて』山田健(筑摩書房)

 近年読んだなかで、最も引き込まれた本だ。大抵の本は、途中で休止するのだが、この本はまったく休みなく読了した。筆者は、長くサントリー社内でコピーライターの仕事についていたためだろう、文章のテンポがよく、しかも、ときどきジョークをうまくはさむので、飽きることがない。そして、内容も非常に重要で、しかも、これまでの誤解をいくつも解いてくれる。そして、持続可能性の取り組み、SDGsと呼ばれて、流行になっているが、実は非常に複雑で、簡単ではないのだ、ということを、あらためて認識させてくれる。
 
 サントリーは、アルコール飲料と清涼飲料を主力とする企業だから、よい水は生命線である。よい水は豊富な地下水によってえられる。水は自然の資源だが、水資源がよい状態で確保できるかは、ひとの努力による。開発が進み、自然が破壊されていくと、水資源も枯渇してしまうのである。そこで、サントリーは企業をあげて、水資源の保全に取り組んでいる。その中心となっているのが、本書の筆者で山田健氏である。

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