浅野正氏有罪判決に思うこと

 2020年3月16日に、妻を殺害した罪で起訴された浅野正氏に、懲役7年の判決が出された。控訴するかどうかは不明だが、この話題について、これまでまったく書かなかったが、判決が出た以上、書かざるをえないと感じる。
 浅野氏は、大学の同僚で、研究室が私の隣だった。ただ、彼との交流は非常に薄かったといえる。臨床心理学科だったが、私の専門が教育学であり、他の人は全員心理系の人だから、あまり話が合わないということもあったためだ。大学の教員は、自分の用事がない限り、大学に行かない人が多いが、私もその典型だった。
 一度だけ、浅野氏と比較的交流をもったことがあった。それは、私が申請した学部内での、しかも3年間かけるという共同研究に参加してもらったことだった。私が申請したために、私が彼に依頼をして加入してもらった。テーマは「少年法廷の研究」だった。初犯で軽犯罪の場合、少年たちが、被疑者の少年を裁く裁判で、アメリカではダイバージョンプログラムのひとつとして、正規の司法プロセスとして認められている。通常の大人により司法の判決よりずっと重い判決がでるが、前科が残らないというために、少年法廷が存在している場合には、そちらで受ける人が多く、しかも、再犯率が格段に低いという結果がでている、ユニークなアメリカの試みである。研究成果は、学部紀要に、参加者全員が論文を発表するかたちで公表した。近年メディアでも大活躍している前嶋和弘氏は当時同じ学部にいて、テーマの対象がアメリカだから、前嶋氏にも参加してもらい、大変刺激的な研究を実現できた。

 浅野氏は、研究者としては、特別に目立ったこともなく、また、それほど積極的にかかわってくれたという印象もない。ただ、学部からけっこうな研究費が出て、書籍も大分購入したので、若い浅野氏に所蔵してもらった記憶がある。2007年に浅野氏が赴任して、2020年に事件が起き、その月に私が定年で大学を去ったので、13年間の同僚生活だったが、私の印象はとにかく、「おとなしい人」であった。そして、要請に対して、抵抗することもなく引き受ける印象だった。これは、あくまでも、あまり親しく接しなかった私の印象だから、実際はどうだったかわからない。しかし、事件後のゼミ生たちの談話なども、おとなしくても優しい先生だったということだったから、少なくとも、職場における顔は、そうした「おとなしい人」だった。そして、まわりに配慮する人でもあった。彼は、よく学生や院生と面談していたが、そういう場合には、かならず研究室のドアを、開け放しにしていた。彼なりの配慮だったのだろう。
 おとなしい人、というのは、大学においては、必ずしも有利ではない。というのは、現在の大学では、教員といっても、事務的な仕事をずいぶんとやらされることが多い。**委員などを引き受けるように要請されるわけだ。私などは、嫌なものは嫌だというし、そういうこともまわりがわかっているので、あまり依頼されることがないのだが、浅野氏のような「おとなしい人」は、依頼が多く、結局引き受けてしまうことになる。大学の教師は、だれでも研究に時間を割きたいと考えているので、そんな委員は、いくら手当てがあり、地位が高い印象があっても、そういうことが好きな一部の教員を除いて、やりたくないものなのだ。おとなしい人は、結局断りきれずに、委員会の仕事で忙殺されてしまうことになる。
 
 私は2018年度をもって定年退職する予定だったが、教員免許の課程再申請のために、もう一年特認教授として残らざるをえなくなった。2019年度は、従って、週1の授業、月1の教授会だけがノルマで、それ以外の一切の委員会、入試業務等を免除されることになった。要するに、研究室のある非常勤講師といった存在だ。学科との関わりもなくなり、浅野氏と接する機会は、ほとんどなくなった。しかし、2019年の秋ころか、あるいは2020年に入ってからだったか、よく覚えていないのだが、学科の同僚から、浅野氏が悩んでいるという話を聞いた。それは、あまりに委員会活動が忙しいので、軽くならないかというものだった。たしか、その当時、浅野氏は学科の教務委員をやっていたと思う。私の大学では、教務委員と入試委員が最も忙しく、また、教務委員は他の教員からのクレームを頻繁に受ける担当である。だから、浅野氏のようなおとなしい人には、かなりきつい仕事だ。大学院での委員もあったろうし、大変なのは理解できた。よほど、浅野氏にこちらから働きかけてみようかとは思ったが、学科活動から撤退して、すぐに退職する人間として、あまり余計なことはしないほうがいいか、という思いもあり、なんといっても、会う機会がないから、そのままにしてしまった。
 ただ、他の学科の先生には、何人かに相談をしているということも聞いた。なんといっても臨床心理学科だから、相談の専門家たちだ。彼らが、なんとか対応してくれるだろうと期待したことも事実だ。しかし、今から考えると、やはり、話しかけておけばよかった。私が、退職のための研究室荷物整理をしているときに、足早に彼が通りすぎたことがある。しかし、声をかけるの躊躇してしまった。足早に行き過ぎるのだから、何か用事があるのだろうと考えたからだ。
 私が聞いたのは、委員会活動の負担だけだったが、他の教員は、違う相談を受けていた可能性はある。それでも、妻を殺害しようかと考えている、というような思いを述べて、相談したとも考えられない。だが、心理臨床の専門家であれば、たとえ委員会の負担ということでも、その裏に家族問題があることを感知できたかも知れない。自分の用事があるときしか行かない職場だから、お互いに個人的な状況を語り合うような関係は、一般的には少ない。ごく親しくなればそういう話もでるだろうが、会議で接する程度では、結婚しているのか、子どもがいるのか、等々も実はわからない。専門家が相談を受けたのに、適切な対応がとれなかったのか、あるいは、そういう場合でも、家庭の問題などを話すことはなかったのか、まったく感知できるような相談態度ではなかったのか。そうしたことの検証をぜひ、臨みたいと思っているのだが。
 
 いま、こういうことを書いて、ブログとして公表するのが、どうなのか、判然としないが、事件後は、大学当局から、取材などには応じてはいけないという「お達し」があった。私は、そういうことに疑問をもっているが、まだ、身分はあったので、従った。ただ、事件直後、週刊文春の記者が、我が家に取材にやってきたのには驚いた。「よくここがわかりましたね」と感心していったら、自分たちはプロなので、と苦笑していた。ネットに出ているような学生たちの印象通りの人でした、程度のことを話し、ただ、大学から取材に応じてはいけないという制限がでていると説明すると、記事にすることはなかった。大学が、勝手に話されてはこまる、というのもわからないではないが、運営担当者たちが、常に適切な考えを表明するわけでもない。このときは、学長や学部長が、早期に記者会見をして、大学の危機を救ったが、浅野氏を悪く思っている大学関係者や学生は、まずいなかったので、むしろ自由な取材を許したほうがよかったのではないかと、いまでも思っている。
 犯罪心理学の専門家が、殺人事件を起こしてしまったという点については、また別の機会にじっくり考えてみたいと思っている。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

「浅野正氏有罪判決に思うこと」への4件のフィードバック

  1. 私のことを覚えておいででしょうか。
    恐らく先生が最後に担当した学生の1人になるのではないかな。
    記憶の片隅にでも私がいたら嬉しいなと思いつつコメントさせていただきます。
    私は今でも時々浅野先生のことを思い出しています。
    浅野先生そろそろ出てくるのかなぁと思いつつ、ネットを漁り、太田先生のブログを再発見し、これを書くに至ります。
    なんというか太田先生のブログを発見した時には、小さい頃大事にしていたものを再び発見できたかのようなそんな嬉しさがありました…。
    まぁ実際にはそんなに時間はたっていないのですが…。

    要請に対して、抵抗することもなく引き受ける印象だったという太田先生の見解には完全に同意ですね。なんというか助けを求められたら断れない感じ。在学生から卒論のイメージがわかないと相談されたら、次回の授業の時には卒業生の卒論がいくつか用意されてて、読んでいいですよみたいな。あの柔和な態度から拒絶されるのがイメージできないというか。
    多くの学生から慕われていたというのも間違いないと思います。少なくとも自分の代の浅野ゼミの人たちは浅野先生を慕っていたし、自分も今でも慕っているといっていいと思います。

    ただ犯行少し前の浅野先生の顔色は土気色というか、明らかに自分達が1.2年生の時より顔色が悪くて、普段のゼミも元気がありませんでした。私は浅野先生が自殺してしまうのではないかと考えていましたが、結果あんなことになるとは…。当時一学生であった自分に何ができたわけでもありませんが。

    今の近況とか、浅野先生のことについてとか、もっと書きたいことはあるのですが、今はうまく文にできません。申し訳ありません。
    お手隙の際になにか返信をいただけたら嬉しいです。

  2.  コメントありがとうございます。現在、私の大学時代の教授の全集の編集作業に時間をとられているために、ブログのほうは「準備中」のような状態になっているので、返事がおくれてしまいました。今年中には出版されて、仕事からか解放されるので、またブログに復帰できるかと思っています。
     小野寺君という名前は、うっすらと覚えていますが、たぶん1年生の基礎ゼミ(人間科学の基礎)のクラスだったと思うのですが、どういうわけか、そのときの写真のなかに、入っていないので、顔と名前が一致するようには確認できませんでした。私は、最初の時間に、名前を覚えるという目的で、一人一人に紙にマジックで名前を書いてもらい、それを胸のあたりにもって、写真をとり、次の週までに、名前を全部覚えるということをしていたその写真のことです。一人だけ、紙をもっていない男子学生がいたのですが、そのひとなのかどうかがわかりません。でも名前はたしかに記憶にありますね。
     浅野先生ですが、7年の刑なので、でてくるのは2027年でしょう。私も、比較的頻繁に浅野先生のことは考えています。一番気にしているのは、復帰してからどうやって生活するのだろうか、ということです。もちろん教職に復帰は不可能だろうし、企業に勤めることは難しいでしょう。子どもたちが支えてくれるのかどうか、事情が事情だけに拒否される可能性もあるでしょう。専門をいかして、カウンセラーの仕事をすることは可能かもしれないので、友人の援助をうけて、そうした方面での活路をみいだしてほしいとは思っています。何か事情を知っていたらさしつかえのない範囲で教えてください。

  3. 今日あらためてパソコン内の写真をチェックしたところ、昨日チェックしたのは、クラス(年度)がちがっていました。そして、b7のクラスの写真が、別のフォルダーにあり、それでチェックしたところ確かに小野里君の写真があり、思い出しました。あのクラスは、多くの人をよく覚えています。3年生まで一緒だったけど、U君が大学に来られなくなり、2年まで担任だったから、何度か呼んで話をしたせいか、ゼミに入りたいといわれて、気の毒だったけど、断らざるをえなかったのです。最後は特認教授で、ゼミはもたないという契約だったし、4年ではいないということだったわけです。U君は結局どうなったんだろうか、ときどき思い出します。

  4. 返事をメールにて送らせていただきました。
    outlookは相性が悪くたまに届かないことがあるため、一応のご連絡です
    無事届いている場合返信不要です

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