演奏家のなかには、これから円熟の時期を迎え、偉大な演奏家としてたくさんの録音を残すことができたはずであるが、その前に亡くなってしまい、それにもかかわらず、残された録音によって、いまだに多くの人に聴かれて、称賛されている演奏家が何人かいる。そういうなかで、何人かをとりあげていきたい。こういう話題をとりあげようと思ったのは、山岸明子氏の『心理学で文学を読む』(新曜社)を読んだことがきっかけだ。心理学は、分析の具体的事例として、文学作品をとりあげることは少なくないが、それは個人の事例をもちだすことが、プライバシーなどの問題を起こすことから、消極的な代替策として行われる。ところが、この本は、最初から文学作品を心理学的に分析的に読もうという、非常にユニークな発想で書かれたもので、とりあげられている作品も古今東西多岐にわたっていて、文学の読み方に疎い私にも、たいへん興味深く読める。そして、その「続」のなかに、「ジャクリーヌ・デュ・プレの生涯と才能教育」という章がある。これは、話題になった「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」という映画の原作となった姉の回想録を分析の対象にしている。私は、この映画について、所属の臨床心理学科で協同して書いた著作のなかで、書いたことがあり、このデュ・プレは、まったく「ほんとうのデュ・プレ」ではなく、あくまでも姉の通してみたデュ・プレであると解釈している。
木原官房副長官に関する文春記事
木原官房副長官の隠し子疑惑なる記事を、週刊文春が書いていたことは知っていたが、そういうことには関心がないので、放置していたところ、関心をもたざるをえない話題で、文春記事がでた。これを知るきっかけは「一月万冊」だった。清水・安富両氏の対談で詳しくこの記事について語っており、また、佐藤章氏が、この記事の特ダネ性と政治的背景について語っていた。やはり、これは記事を読まなければならないと思って、購入し、早速読んでみた。内容は清水氏が紹介していた通りだったが、木原氏は、今本当に困っていると思う。名誉毀損で刑事告訴すると、文春関係者を脅しているそうだが、実際には無理だろう。
記事の内容をごく簡単に整理すると
・木原氏の妻は、前の夫が不審死しており、一時再捜査の対象になっていた。
・前の夫がいた頃不倫していた男が、彼女が夫を殺してしまったと自分に告白していたと、証言している。
安倍元首相狙撃事件から1年
昨日は、安倍元首相が、選挙演説の最中に狙撃されて亡くなってから1年であった。そして、この一年間は、安倍氏が存在しなくなったことが原因と思われる、多くの出来事が生じたように思われる。そして、間もなく、犯人とされる山上容疑者に対する裁判が始まることになるだろう。
私は、犯人が山上であることに、現在でも疑問をもっているのだが、大手メディアの報道については、心底不思議な感情をもってみていた。山上犯人説を否定する論は、簡単に「陰謀論」などと片づけている人が多いのだが、さまざまな情報をみれば、山上が犯人であるということへの疑問はたくさんあるのであって、そこに疑問をいだかないことのほうが、私には不思議に思われ、山上犯人決めつけ論こそ、陰謀論ではないか、とも思えてくる。大手かどうかわからないが、週刊文春だけが、山上犯人説への疑問記事を何度か掲載したが、その後他のマスコミがおいかけ記事をのせることもなく、なんとなく立ち消えになってしまった。とくに、私にとって不可解なのは、リベラルというひとたちは、山上犯人説をまったく疑っていないらしいことだ。疑問を強く押し出しているのは、確かに、非常に右寄りのひとたちが目立つ。しかし、政治的立場は不明の科学者もいる。リベラルというのは、自由な思考をし、単純にものごとをきめつけないひとたちであると思うのだが、この安倍銃撃事件については、公式にいわれていることを、まったく疑わず、その延長上で考えているひとたちばかりである。このブログを読んでいるひとたちはわかるはずだが、私は、もちろんリベラル派である。だから、不思議なのである。
犯罪者が犯行前に警察に相談
最近起きた事件のなかで、犯人が事前に、警察に相談していたという事例が、複数あるようだ。とくに、小学校に軽トラックでつっこみ、数名を負傷させた事件は、自分は最近おかしくなっている、と警察に相談していたと、はっきり報道されている。こうしたことをどう考えるべきなのだろうか。もちろん、これは、犯行予告とか、警察への挑戦というような話ではなく、本人が、どうやら自分がおかしくなっており、犯罪を実行しそうだ、だがそれはまずい、という思いから、警察に相談してとめてもらおうという意識だったと、一応考えておこう。
これは加害者がわからだが、被害者側からの事前の警察への相談は、多数ある。実際に、警察がなんらかの対策をしなければならないことになっているものもある。危険なストーカー行為などに対するものだ。
事前に相談しているわけではないが、死刑になるために、誰でもいいから殺したかった、という無差別殺人なども、過去何件か報道されている。アメリカで頻発する銃乱射事件などは、犯人はほぼ確実にその場で射殺されており、実行犯もそのことを十分に知っているはずだから、ある意味、より直接的な死刑になるための無差別殺人とも考えられる余地がある。
教師不足を改善するために必須なこと 1
公立小中学校の教師不足は、すっかり社会的に知られることになった。こうなることは、多くの教育研究者にとっては、ほぼ予想されていたことで、とくに驚くことではない。そして、その最大の原因をつくっている文科省は、いまでも、基本的な姿勢を改めていない。給特法の手当の若干の増加という、最悪の策を提示している程度だ。民間のひとたちも、いろいろな案をだしている。AIをつかって、書類作業を軽減させれば、問題が解決するなどという、突飛な見解もある。
さまざまな改善が必要であるが、今回は、その最も基本的な部分について述べたい。
それは、文科省が特に酷いのであるが、教育委員会等の教育行政機関も、教師という存在への敬意がなく、駒のようにみているという基本姿勢があることだ。それが、端的に現れるのは、子どもに対する指導原理と、教師の行動原理が、まったく逆であるような政策である。
温泉ブームは環境破壊にならないか
北海道の蘭越町で突然蒸気が大量に噴出し、大きなニュースになっている。地熱発電の調査のための掘削をしていたら、突然光熱の水蒸気が噴出し、付近からは砒素が検出されたということで、大きな騒ぎになっているが、もう少し広い話題で、羽鳥モーニングショーでこの話題をとりあげていた。ここでの話題は主に地熱発電だった。解説によると、日本は地熱発電の可能資源が世界で三位なのだそうで、今後のエネルギー政策上重要だと強調されていた。しかし、全面的には賛成できないような面をいくつか感じた。
「鬼平犯科帳」のベスト 3
私の推す「鬼平犯科帳」ベスト4は「鈍牛(のろうし)」だ。知能の足りない亀吉が、放火犯にされて処刑寸前になっているが、長谷川平蔵が、濡れ衣をはらし、真犯人をつかまえる物語である。これが、実際にあった話かはわからないが、平蔵の父親の信雄が、火付盗賊改めだったときに、放火犯が捕まって、かなり真犯人である可能性が高かったが、それでも信雄は慎重に捜査をすすめ、犯人であることが疑いない状態になって、判決をくだした事実があるという。父信雄が優れた人物であったことの証拠として、よく引き合いにだされる事実である。この「鈍牛」は、そうした実話を念頭において、平蔵に重ねたのかも知れない。
平蔵が北陸に出張っている最中に、亀吉は、田中貞士郎という同心がつかまえた放火犯で、この田中同心は、まったく手柄をたてられずに、肩見が狭い思いをしていたので、大きな手柄だと平蔵も考え、「よかったな」と誉めている。中心的な同心と、そうでない同心という事実上の序列社会であることが、示されていることも興味深い。奉行クラスは、旗本が一応適材適所で選ばれていくが、こうした与力・同心は御家人で、しかも世襲であることが多い。したがって、能力差もかなりあったはずである。
箱物と運営
今回の旅行で、最後に、バブル最盛期に建築されたというリゾート地に宿泊した。冬はスキーを楽しむことができるが、今は真夏で、しかも平日だったので、実に閑散としていた。バブルを感じさせる広大な建物で、部屋のつくりも贅沢にできていて、かなり広い。もし、なかの機能がそのまま運営されていたら、けっこう長く滞在しても飽きないかも知れない。
しかし、中の店はほとんどしまっており、レストランもたくさんあるのだが、開いているのはひとつだけで、夕食も朝食も同じところで、しかも、あまり客がいない状態だった。冬は、それなりにたくさんの客がいるのだそうだが、少ないとこれほど機能停止状態になるのかとびっくりするほどだ。聞くところによると、ソニーが最初たてたそうだが、バブルがはじけて潰れ、ロッテが買い取って、現在運営されているという。私はスキーはまったくしないので、正確なところはわからないが、スキーができるといっても、この敷地内に大きなスキー場があるわけではなく、比較的こじんまりとしたスキー場だ。近辺のところにでかけていくということは可能なのだろうが。
記念館は、役割を果たしているか
今回の旅行で、記念館に関しては2つ行った。いつも感じるのだが、記念館とは何を伝えようとしているのか、あるいは何を伝えるべきなのか、そして、訪問者は何を知りたがっていると解して、記念館を構成しているのか、そんな疑問を持つのである。
まず広島の原爆記念館をみた。いままで2回ほど広島にいったのだが、ここは訪れていなかった。今回は不可欠だと考えたのだが、期待を満たされたとはいえない。もちろん、一般市民、外国人、そして、私のような高齢者では、それぞれ求めるのが違うだろうし、あまり、原爆投下の実態について知らない人にたいしては、あのような展示でいいのかも知れない。しかし、日本人の多くは、とくに中高年の人は、原爆の悲惨さは、さまざまな機会に伝えられており、多くの情報をもっている。だから、単に悲惨な写真を見せられても、特別に記念館にきて、新しいことを知ったという気持ちにはなれない。
伊根の舟屋観光
この1週間ほど、旅行に出かけていた。そして、本日無事帰って来た。これから、少し、旅行中に考えたことなどを書いていきたい。
この旅行で最も印象に残ったのは、京都の丹後、伊根の舟屋である。残念ながら、ここを見学していたときに、スマホを車に置き忘れてしまったので、写真をとることができなかったが、ウェブ上にたくさんあるし、まさしく、そこでみられるようなものなので、ぜひそれをみてほしい。
舟屋というのは、建物が、海にせりだしており、一階部分に舟をとめ、漁獲した魚の作業ができるようになっている家のことである。たしかに、現在は廃業している家もおおいので全部ではないが、一階部分に舟が停泊している家がたくさんあった。そして、いまでは、条例によって、この建築方式がこの地区に対しては義務づけられ、勝手にまったく別の様式に改築してはならないことになっているそうだ。そして、これが観光資源となり、毎年多数の観光客が訪れるという。私たちも、そういう観光客だった。