「紀州のドンファン」事件の無罪判決

 いわゆる「紀州のドンファン」と呼ばれた資産家の殺害事件の判決公判があり、無罪とされた。この被害者は、生前からメディアでは有名だったが、死亡したというニュースには驚いたものだった。少し前に結婚した女性が、50歳も若く、通常ありえないと思うし、多くの人が、女性のほうの遺産狙いを感じたろう。
 死亡したときのニュースでは、たしか殺害されたという断定はなかなかさなかったと思うし、現在でも、死因そのものは覚醒剤の過剰摂取ということになっているようだが、それが事故なのか、自殺なのか、他殺なのかは定かではないようだ。判決は、自身で「誤って致死量の覚醒剤を摂取」という可能性を否定していないと報道されている。ほんとうに不可解な事件だった。

 妻は最初から疑われたが、考えてみれば、ドンファンはかなりの高齢であり、死亡すれば、遺言で公的機関に遺贈するという遺言書があったとされるが、当然遺留分はあるわけだから、かなりの遺産がそれほど遠くない時期に入るわけであり、殺害などしたら、それが無になってしまう。合理的に考えれば、殺害の動機は薄い。しかし、では他に可能性があるのか。等々。妻である女性は、以前に結婚詐欺をやっているので、犯罪などに縁のないまっとうな人間とも思われていなかった。死亡推定時刻に家にいたのは、妻だけだ、今は覚醒剤を入手しようとしていたらしいやりとりが残っている。
 こうして、結局は状況証拠によって起訴されたわけである。
 私は、場所が和歌山県であるということで、カレー事件を思い出さざるをえなかった。多くの人が、想起しただろうと思う。カレー事件のときにも、とにかくメディアの報道が加熱して、特定の女性への疑いが連日報道されたものだ。そして、結局彼女が起訴され、死刑が確定している。しかし、詳細に調べたわけではないが、私は冤罪だと思っている。これもかなり強引な状況証拠(ともほんとうはいえないのだが)と、マスコミの報道によって、彼女が犯人にされたが、なによりも、彼女が他の人に毒をもったことがあるとしても、それはすべてお金目的だったのであり、自身がいっているように、お金にならないのに、人を殺したりしない、というのは、ほんとうのところだろうと思うからである。彼女にとって不利なのは、たしか夫に毒をもって、(といって致死量ではない)保険金をとろうとしたことがあることは間違いないので、とにかく、「悪人」だと思われたのは、ある意味自然の成行であった。そして、一審では黙秘を通し、死刑判決になってしまったので、高裁からは無実の主張をしたが、判決は維持され、確定したのである。しかし、冤罪であるとして再審要求を援助しているひとたちもいて、彼女はいまでも無実を訴えている。最近ではネットでも、彼女の冤罪を主張する書き込みもある。彼女もやはり状況証拠だけで、起訴され、しかも、「疑わしきは罰する」ように死刑判決が確定してしまったのである。
 
 おそらく、和歌山の司法関係者もそういう反省的思いの人は、少なからずいるに違いない。判決の数日前、今回の事件が再度放送されたとき、私は、無罪判決がでるような気がした。それは、カレー事件のようになってはいけないという、裁判関係者の思いがあるに違いないと思ったからである。「疑わしきは罰せず」という刑事訴訟の大原則が、守られたことは、とてもよかったと思う。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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