オリンピックに、一時的に批判的な意見を載せ始めた大手メディアも、このところ、すっかりオリンピック推進的な論調に変化していると言われる。そして、どんなに状況が悪くても、そういう客観情勢を見ずに、決めたことに猛進していくというのが、戦前、太平洋戦争に突入していったときとよく似ている、翼賛体制になっているという批判が、多く公表されている。
しかし、決定的に違うところがある。戦前のメディアは、大手の新聞やわずかな雑誌しかなかった。そして、新聞にしても、雑誌にしても、検閲という強力な国家監視・管理システムの下にあった。もちろん言論の自由などは、なかったわけである。そういうなかで、新聞や雑誌も、戦争体制に飲み込まれていったし、積極的に国家への協力体制を進めていった。