国際社会論 第二回 Q&A

Q ユダヤ人が移住してきたとき、周辺の人たちは受け入れなかったのか。ユダヤ人たちは、パレスチナ人たちを追い出す時、自分たちのされてきたことを思い出さなかったのか。
A 大変難しい問題で、答えは多様でしょう。様々な対応や感情があったというのが事実に近いはずです。19世紀からのシオニズム運動でユダヤ人たちがパレスチナに移住してきた当時は、既に住んでいた人たちとの間に目立った争いはなかったようです。なんといっても、かなり砂漠化した土地で、あまり人口が多くなかったわけですから。
 しかし、ナチスの迫害や東欧での迫害によって、大量の移住者が移り住み、かつ、イギリスが約束したということで、イスラエルが強引に建国すると、いよいよ自分たちの国ができたというので、世界からユダヤ人が再び大量に移住するようになったのです。以前は迫害から逃れてきたのに対して、今度は、自分たちの建国、つまり、デアスポラ以来の夢の実現のために来たわけですから、エネルギーにあふれていたこと、そして、一挙に人々がやってきたので、今度は居住地域が不足してしまったという事情が生じたのです。そこで、ユダヤ人たちは、パレスチナ人たちを追い出し、それに対する抵抗、反撃という悪の循環が生まれてしまいました。そして、そこに米ソ対立という要素が入り込み、次第に非妥協的な対立に展開していったわけです。自分たちのことを思い出さなかったのかという問いに対しては、むしろ「思い出したからこそ、徹底的に相手をやっつけなければいけない」という感情に支配されたとも考えられます。

Q 911テロはフセインが主犯と言われていますが、イラクではどのくらいの人がフセインを支持していましたか。北朝鮮ではなぜデモやクーデターのようなものが起きないのですか。
A 911テロをフセインが起こしたというのは、何かの間違いでしょう。そういう説はあったとしても極めて少数派ではないかと思います。またフセインがアルカイダを支持していたという俗説もありますが、フセインの体質とアルカイダの体質は全く違うので、それも完全な誤りといってよいでしょう。アルカイダはイスラム原理主義の典型ですが、フセインはかなり世俗化されたイスラム国家の指導者です。湾岸戦争で徹底的に叩きのめされたフセインが、アメリカにあのような挑戦をするとは考えられません。
 北朝鮮では、まずは政府を中国という大国がしっかり支えていること、その上であまりに徹底した言論統制や経済統制がなされていることで、国民の間に自由な情報が全くいかないこと、あまりに貧しいし管理されているので、小さな動きの段階で徹底的に弾圧されていること、抵抗するのではなく、脱北がめざされていることなどが原因ではないでしょうか。

Q クニと国の違いがよくわかりませんでした。
A 人々が定住して地域を形成すると、そこには、その自然や経済に則した社会、人と人のつながりができます。その社会集団は、その地域の特性にあった形で分布するわけです。それをクニとか、ムラとか呼びます。
 しかし、ムラができ、財産が形成されるようになると、財産を保有する人たちが中心となって、その集団を支配するようになります。ひとつは財産を管理するために、そして、財産が生まれると当然他の集団がそれを狙うようになり、戦闘が起きるので防衛のためです。当初小さな社会でしかないときには、ムラがそのまま統治のための基礎集団になったと考えられますが、次第に大きくなると、地域的に形成されてきた集団のまとまりとは異なる人為的なまとまりが出てきます。統治のためのまとまりです。それが村であり、より多くなると国と呼ばれるということです。
 日本のように、海で囲まれ、山脈や河で地域的集団も、また多くが国が境をそうした山や河で区切っていたところでは、このふたつはあまり厳格に意識されることがないのですが、戦争などで支配地域が頻繁に変化したところでは、地域的社会と統治支配の区域が多いに異なることが出てくるわけです。