成田氏の高齢者集団自決再論

 成田氏の高齢者問題を解決するためには、高齢者の集団自決しかないという提起が、国際的に問題になっているらしい。そして、そのことがまた日本での議論を再燃させている。そして、賛否両論、相変わらずの構図だが、成田氏擁護の側の議論のあまりに短絡的で視野狭窄的議論が顕著なので、再度書くことにした。
 
 まず、成田氏に限らず、高齢者は若い者に道を譲れという議論は、80歳を超えるような老人がのさばっていて、権力を発揮していることを非難している。しかし、実際のところ、そういう分野は、極めて少ないような気がする。そして、典型的には、政治の世界だろう。確かに、政治家は高齢者集団であり、かつ、活動力に疑問が隠せない人が、いまだに権力をもっているように見える。

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EUの死刑廃止=人権論の疑問

 宮下洋一氏と田原総一郎氏が死刑制度をめぐっての対談をしている。
「死刑を廃止した国でいったい何が起きているのか……日本の死刑について宮下洋一と田原総一朗が考える」https://news.yahoo.co.jp/articles/3d743a604b0111b9e75cc8155239eda6cad6b19b
 日本は、毎年アムネスティなどから、死刑制度があることが、民主主義の欠陥要素として批判されており、死刑が執行されると、その都度抗議がフランスから寄せられるという。EUに加盟するためには、死刑制度を廃止する必要があり、EUに加盟したいために、国民は死刑廃止を望んでいないが、政府レベルで廃止してしまうことがあるという。
 二人の基本姿勢は、死刑存続だが、執行しないというところのようだ。田原氏はそう明言している。

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東京23区区の大学が、地方就職促進条件にIT関連の増設

 
 政府が、東京都内は一切の大学新設・増設・定員増を認めない方針であったのを変更して、デジタル関係のみ期限付きで認めることになったと報道されている。 
「東京23区内の大学、デジタル系学部の定員増を容認…IT人材育成へ政府方針」
 それには条件がついており、情報系学部・学科の定員増が対象で、一定期間後は元に戻す、地方の就職促進策を組み込むというものだ。
 こうした大学の学部管理は、文科省がかなり強権的に行なっているもので、その評価は単純にはいかない。確かに、大学全入時代になって、入りたい大学・学部は偏りがあるから、人気のない大学は定員まで学生が集まらず、それが長期的に続けば倒産とならざるをえない。人気のない、つまり社会的に要請されていないと見なされる大学は、潰れたほうがよいという考えもありうる。時代の技術革新についていけず、あいかわらず安い労働力でしか対応できない企業は倒産して、技術革新をして力を増したところに吸収されるほうが、全体としての経済力は高まる、だから弱体企業を救うべきではない、という意見は少なくない。

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失敗と中止、正さの担保

 JAXAのロケットの打ち上げが発射直前に中止になったことについて、共同通信の記者が、失敗だったのではないか、とかなり執拗に質問を繰り返し、最後に、「それは一般に失敗といいます」と言い捨てて質問を終わったことが、ネット上で炎上している。
「打ち上げ中止「H3」会見で共同記者の質問に批判相次ぐ ロケットを救った「フェールセーフ」とは」
 ヤフコメでも記者を非難するコメントがほとんどで、擁護するものは見当たらない。しかし、問題を掘りさげるようないい質問だったと思いながら読んでいたところ、最後の捨てぜりふで、印象が確かに変わった。そんなこという必要はなかったように感じた。ただ、圧倒的な非難に晒されるような失言だったかは、また別問題だが。
 

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またまたマイナンバー・カードにおかしなことが

 マイナンバー・カードが新しくなるというニュースが、16日夜に流れると、17日朝に既にヤフコメが5000以上になっている。
「【独自】“新”マイナカードを検討 政府 2026年視野に」https://news.yahoo.co.jp/articles/a6247294503fae4d872532a6886a270ace28d94b
 記事は、カードに顔写真等の個人情報が記載されているので、載せたくないという声に配慮するのだそうだ。こうした政府のいっていることや、それを伝えるメディアは、本当に問題を掘りさげていない、あるいはしているのにそれを公表しないことがわかる。こうしたニュースだけ読んでいても、まったく問題は理解できないだろう。ヤフコメなどは、馬鹿にする専門家もいるが、けっこうその分野の専門家も書いており、また、様々な観点からの意見が載せられているので、記事よりは、ずっと掘りさげ可能である “またまたマイナンバー・カードにおかしなことが” の続きを読む

松竹氏除名の大きすぎた影響

 松竹氏除名の波紋はまだ収まらない。というより、ますます拡大している。朝日や毎日の社説に志井委員長が噛みついたのが、メディアの反感を買ってしまったように思われる。その後、様々なメディアが、扱い始めた。
 松竹氏除名の反応は、大きく分けてふたつあった。ネット上の意見などをみれば、はっきりわかる。
 最も多いのは、もともと共産主義は独裁制であるという認識をもっているひとたちは、「それみたことか」と溜飲を下げたような反応である。共産党が嫌いなひとたちが、ますます嫌いになり、自分の見解が正しかったことを再確認したということだ。
 それに対して、共産党に共感をもっていたり、部分的にせよ支持していたひとたちは、大きな衝撃を受け、これまでの支持を捨てる方向に向かったひとたちである。

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高騰する電気料金を考える

 電気料金の値上がりが、テレビなどでもずいぶんと取り上げられている。羽鳥モーニングショーでも、何度か扱われている。そのなかで、それは大変だろうなという事例がたくさん取り上げられていた。しかし、ちょっと待て、という例がないこともない。
 個々の家庭では、自衛手段しかないのだから、どうやって電気料金を抑えるかの工夫が必要である。何に違和感をもったかというと、電気代がこんなに高かったという家庭の様子が紹介されていたのだが、子どもたちがまるで夏のような薄着で過ごしていたことだ。あの服装だと、室温をかなり高く設定しているのだろう。暖房の設定温度を1度下げるだけで、かなりの電力の節約になると言われているのだから、そういうことをもっと考慮して、生活したらどうかと思ったわけである。

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松竹氏除名から、民主集中制を考える3

 今回は、次の規約について検討する。
 
2 決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民に対する公党としての責任である。
4 党内に派閥・分派はつくらない。
 
 2の項目は、どんな組織でも当たり前のことで、自民党でも、この点についての異論はないに違いない。Aということを決定したのに、Aに反する行動を、ある党員がとったら、それは処分に値いするだろう。
 しかし、考えねばならないのは、いわゆる「民主集中制」と言われてきた原則は、第一回で紹介したように、「下部は上部の指導に従う」と理解されてきた。事典などでの説明でもそうなっている。そして、全国的、あるいは国際的な課題については、全国的なレベルの組織でのみ扱うことが規定されている。このふたつの原則を組み合わせると、自衛隊、安保条約、ウクライナ支援、そして、党首公選問題などは、支部では扱わないことになる。従って、支部にしか所属していない党員は、こうしたことについては、中央で決定したことに従うことが求められる。所属のところでは議論できないわけである。少なくとも、規約を見る限りではそうなる。

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松竹氏除名から、民主集中制を考える2

 再度規約3条を引用しておく。
 規約3条
党は、党員の自発的な意思によって結ばれた自由な結社であり、民主集中制を組織の原則とする。その基本はつぎのとおりである。
1 党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
2 決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民に対する公党としての責任である。
3 すべての指導機関は、選挙によってつくられる。
4 党内に派閥・分派はつくらない。
5 意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。」
 
 今回は、1の「民主的議論」と「多数決」について考える。

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松竹氏除名から、民主集中制を考える1

 この間、松竹氏除名問題に関連して、いろいろと考えてきたが、民主集中制についてもう一度考えてみたいと思った。ヤフコメなどを見ても、民主集中制については、独裁の元凶であるという理解が圧倒的に多い一方、共産党は、優れた民主主義的な組織論であるとしている。
 かなり前のことだが、自民党のある有力議員が、民主集中制について、「極めて当然のことで、それを実行できている共産党がうらやましい」と語っていたことがある。自民党にとっても、当然の原則であるというのである。こうしたひとつの原理に対して、民主主義を肯定する立場から、まったく逆の立場が存在し、自民党と共産党が、表面的には、当然視しているという事実。これは、やはり、深く掘りさげる必要があると思うのである。
 ブリタニカ(https://www.britannica.com/topic/democratic-centralism )やウィキペディアなどの辞書的説明では、共通して、ロシア革命のなかで、レーニンによって定式化された原則で、中央が統制するシステムであるとし、下部は上部の指導に従うことを強調している。しかし、レーニンが定式化したのは、100年も前のことであり、レーニンの組織論は、帝政ロシアの弾圧下、そして、革命後も外国の干渉との闘いという、当時のロシアの政治状況のなかで主張されたものである。現在の日本の状況とでは、政治状況が大きく変わっているだけではなく、民主主義のあり方や民主主義の考え方も大きく変わっている。

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