シャーロック・ホームズ こんな改変はありか「未婚の貴族」

 ジェレミー・ブレッド主演の「シャーロック・ホームズ」シリーズは、原作に忠実で、ホームズのイメージも、数あるホームズドラマの中で、最も原作に近いという評判のものだ。しかし、特に、撮影後期の作品には、原作と異なる内容をもったものがある。その代表例が「サセックスの吸血鬼」と「独身の貴族」だ。「サセックスの吸血鬼」をyoutubeでみたときに、あまりに原作と違うので、今回飛ばして、「犯人はふたり」「独身の貴族」と進んだ。ところか、「独身の貴族」は、あまりに内容が違うのに驚いてしまった。「サセックスの吸血鬼」は、原作にまったくないゲスト主人公のような人物を登場させ、そちらと村人たちの緊張関係に焦点をあてているような作りであり、原作に盛られた「吸血鬼」については、多少の変更はあるが、一応盛り込まれている。だから、原作に、まったく新しい内容を加えたものになっているが、「独身の貴族」のほうは、原作の内容を酷く歪め、キャラタクーの性質を逆転させてしまっている。そして、全体の雰囲気もまったく異なるオカルト的になっている。こういう改作はありなのか、と疑問をもたざるをえないものだ。

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真に惜しまれる夭折作曲ビゼー

 年末のベートーヴェン第九が終わり、次の私の所属市民オーケストラの曲目に、ビゼーの「ローマ組曲3番」が入っている。まったく知らなかった曲で、団員もほぼ初めて知る曲だろう。CDもごく3枚程度しか出ていない。不思議なことに、3番といっても、1番と2番があるわけではないので、番号なしに「ローマ」と呼ばれることもあるようだ。何度か書き直して、長い間に変化もして、出版はビゼーの死後だったこともあり、そうした不可解なネーミングになったようだ。演奏困難なので、あまり演奏されないと、ウィキペディアに書いてあったように思うが、プロオケにも難しいほどではないが、アマチュアには、確かにやっかいな部分がある。でも、第3楽章などは、アルルの女のアダージェットを思わせる、非常に叙情的な曲だ。ビゼーがローマ大賞を得て、イタリアに留学したノルマとして、作曲したので、いかにもイタリア的な要素も随所に感じられる。

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第九交響曲のテンポ

 今週の日曜日に、私の所属する市民オーケストラの演奏会が行われる。メインはベートーヴェンの第九交響曲だ。毎年12月に市民コンサートとして、大規模な合唱曲をやるのだが、コロナのために中止になっていて、今年は2019年以来のことになる。練習機会が少ないので、やりなれている第九になった。そして、今回テンポについて、考えざるをえない場面が多かったので、市販されている演奏のテンポ比較をしてみた。
 周知のように、ベートーヴェン存命中に、メルツェルという人がメトロノームを発明して、ベートーヴェンは、事後的に、自分の曲にメトロノームによる速度指定を行った。しかし、1970年代くらいまでのベートーヴェン演奏は、その指定よりも概してゆっくりに演奏されていた。しかし、古学派が少しずつ地歩を築きだしたことで、ベートーヴェンのテンポ通りに演奏すべきだという考えも出てきた。そして、事実、それまではほとんどなかった快速テンポの第九演奏も現れた。

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東京交響楽団のサロメ

 東京交響楽団によるリヒャルト・シュトラウス「サロメ」を聴いてきた。オペラなので、視聴してきたというべきかも知れないが、演奏会形式なので、聴いた要素が強い。とにかく、よかった。これほどすばらしいサロメを生で聴くことができるとは、思ってもみなかった。facebookをみていたら、この宣伝があったので、直ちに申し込んだ。幸い、比較的よい席がとれた。キャストは
サロメ アスミク・グリゴリアン
ヘロディアス ターニヤ・バウムガルトナー
へろで ミカエル・ヴェイニウス
ヨカナーン トマス・トマソン
 他は日本人歌手たちだったが、4人の外国人歌手たちは、すべてが声量と表現力は、文句ない感じだった。しかし、上演自体がかなり困難な「サロメ」で、日本人歌手たちが多数参加していたことは、心強いと率直に思った。ただ、コロナの影響で、急遽配役の交代があり、ナラボートとナザレ人2が同一歌手が担当し、自殺してしまうナラボート役の歌手が、あとでナザレ人2で出てくるのは、ご愛嬌というところか。

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群馬交響楽団の荘厳ミサ曲

 今日、高崎まででかけて、群馬交響楽団の演奏会を聴いた。群響を聴くのは2度目だ。最初は、ずっと昔東京文化会館での東京遠征を聴いた。私が当時チェロを習っていた先生が、群響のチェリストだったので、東京で演奏会をする機会に聴きにいったわけだ。曲もよく覚えている。チャイコフスキーの「幻想序曲ロメオとジュリエット」、リヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲、そして、メインが「悲愴」だった。ホルン協奏曲が、なにか危なっかしい感じがしたので、あとで先生に聞くと、ドイツから来たというホルンのソリストが、練習のときと全く違うテンポで演奏したので、みんなあわせるのに懸命だったということだった。そんなことがあるのかとびっくりしたものだ。悲愴はすばらしかった。
 私は、当時松戸に住んでいて、高崎から毎週教えに来るのは、本当に大変だったと思う。当時は、先生が非常に若かったのだが、この春に、高崎にいったときに、群響のかつての演奏会場(そのときには、いまでもそこで演奏していると思っていたのだが、今は新ホールになった。)があり、ネットで調べると、今でも団員名簿にあったので、私のオーケストラの練習がないいときに、ぜひ聴きにいこうということになったのだ。ほとんどは土曜日で重なっていたのだが、今日は、日曜日なので、練習がなかった。

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パバロッティ 音大に行かなかったというが

 「名テノール歌手 ルチアーノ・パヴァロッティ 終の住処を訪ねて」(大矢アキオ)という文章があったので、パバロッティについて考えたくなった。
 大矢氏が、次のように書いていることに気になったからである。
 
 「すなわちパヴァロッティは、18世紀末のフランスに起源を遡(さかのぼ)り、すでに多くの音楽家が学んだ近代的な音楽院という教育システムを辿(たど)った人物ではなかったのである。代わりに、国や時代は違うものの、町にやってきた若き騎士が地元の歌合戦に挑戦するリヒャルト・ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の世界に近い。

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オーケストラの楽器が水浸し

 静岡県裾野市のホールで、スプリンクラーが突然作動して、オーケストラの楽器が水浸しになり、楽器を守るために運びだしていた人の何人かが転倒して、怪我をしたというできごとがあった。施設管理者である市が、被害者であるオーケストラ側に対応していないということで、オーケストラ側が記者会見を開いて、話題になっている。オーケストラは「シンフォニエッタ静岡」というプロのオーケストラということだ。
 
 オーケストラ活動をしている身としては、深刻に考えさせられるできごとだ。

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トスカニーニ 晩年にテンポが速くなった指揮者

 友人がトスカニーニのベートーヴェンを聴いて感激したということだったので、少しトスカニーニを聴いてみようと思い、ニューヨーク・フィルの古い録音を取り出した。なぜかというと、以前放送で聴いて、いいと思った記憶があることと、トスカニーニは晩年になってテンポが速くなった例外的な指揮者だと、アバドが語っていることを思い出したからだ。トスカニーニがニューヨーク・フィルの常任指揮者を勤めていたのは、1930年代だと思うが、ヨーロッパに演奏旅行にいったとき、ヨーロッパの聴衆はショックを受けたと伝えられている。そのときに、このふたつのがプログラムに入っていたはずだ。
 ベートーヴェンもハイドンも、確かに、それほど快速調の演奏ではなく、むしろ落ち着いたテンポだ。晩年のトスカニーニとは、明らかにイメージが違う。特に速いテンポのベートーヴェンの4楽章などは、現在の多くの演奏よりも遅めで、堂々とした行進という気分だ。ハイドンの時計も同じ。しかし、余白に入っているメンデルスゾーンの真夏の夜の音楽のスケルツォだけは、非常に速いテンポがとられている。

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クライバーとカラヤンのドキュメント

 4人の指揮者のドキュメント・ボックスが届いたので、早速ふたり分を見た。カルロス・クライバーとカラヤンだ。クライバーは、I am lost to the world. カラヤンは、Maestro for the screen. だ。クライバーのTraces to Nowhere は何度もみたが、こちらは初めてだった。例のテレーゼ事件の録音が含まれているというので、ぜひ見たかったので、念願がかなった。
 両方とも、極めて興味深い映像で、見応えがあった。クライバーのは、なんといっても、何度もでてくるバイロイトでの「トリスタンとイゾルデ」の舞台下で指揮するクライバーが、かなり視聴できること。これを全曲DVD化したら、かなり大きな話題になるに違いない。そんな映像はこれまでなかったし、かといって、この名演奏の発売は現時点でも熱望されている。CDで発売される可能性は将来はあるだろうが、指揮姿だけの映像などは、他のひとでは絶対に発売の可能性がないだろう。それにしても、ここに出てくる場面だけでも、本当に聴き応えのある「トリスタンとイゾルデ」だ。

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今日は演奏会だった

 今日は、私の所属する松戸シティフィルハーモニーの演奏会だった。創立40周年記念ということで、私は半分在籍していたことになる。当初記念の演奏会なので、ひとつのプログラムで全員出演することができるということで、マーラーの6番予定だったのだが、コロナの影響で、どれだけ練習ができるかという不安があったために、曲が変更になり、ほとんど誰も知らないハンス・ロットの交響曲一番を中心とする演目になった。他にブラームスの悲劇的序曲と、ワーグナーのタンホイザー序曲だ。前にも一度ここらは書いたが、実際に演奏したということで、再度報告したい。
 当初負担を軽くするということだったが、結果はまったく逆で、負担がずっと重くなった。タンホイザー序曲は、とくに弦楽器にとっては、難行苦行のような曲だ。不思議なことに、そういう部分は、指揮者はあまり練習しない。練習してもできるようになると思っていないからなのか、できなくても仕方ないと思っているのか、メロディー部分ではないので、目をつぶることにしたのか。「何故練習しないのか」などと指揮者に質問して、取り出し練習などさせられたらたまらないと思うから、練習しないことに、団員はほっとしている。もちろん、練習するようには言われるし、弾けないのは悔しいので、私もかなり練習はしたのだが。

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