指揮者のリハーサルビデオ フリッチャイ

 最近、指揮者のリハーサルビデオをいくつか視聴した。クライバー、ベーム(ドン・ファン)、カラヤン(シューマン4番)、フリッチャイ(モルダウ)等。市民オーケストラで演奏していることもあるが、以前から指揮者に最も興味があるので、こうしたビデオはできるだけ見るようにしている。このなかでは、フリッチャイのものが、非常に興味深く感じられた。というのは、フリッチャイが病気に倒れて、極めて健康状態の悪いときになされたリハーサルだからである。
 フリッチャイは、1958年に白血病と診断され、大手術を受け休養を余儀なくされたが、1959年夏に復帰したとされる。しかし、1962年に白血病が悪化、翌年3月に亡くなっている。このリハーサルは、1960年6月に行われているので、復帰後1年のときのものだが、前日は苦痛で睡眠もとれないので、よほどキャンセルしようかと思ったのだと語っていたそうだ。 “指揮者のリハーサルビデオ フリッチャイ” の続きを読む

信号機の除去で事故 環状交差点の拡大を

 2月8日の京都新聞に、「12月に信号撤去、軽トラ同士が衝突し重体 市道の交差点」という記事が出ていた。滋賀県、見通しのよい道路で、それまで設置していた点滅式の信号を撤去してすぐの事故だったという。滋賀県では、2017年から、順次信号を撤去しており、これまでに70基を撤去しているという。

 こんな感じの道路になっているという。(京都新聞掲載)事故が起きた時間帯が記事には書かれていないのだが、注意深く運転すれば、確かに事故は起きにくい道路であるとは思う。左右前後の見通しはとてもよい。にもかかわらず出会い頭の事故が起きた。それは、優先順位が一瞬あいまいになったのだろう。もちろ、「止まれ」のない方が優先道路であり、「止まれ」がある方は、その場合絶対に止まって、相手側が通ってから交差点にはいらなければならない。しかし、「止まれ」の信号は、普段の運転では見過ごされがちなものだ。とくにそれまで信号があったとすれば、とくにそうだろう。 “信号機の除去で事故 環状交差点の拡大を” の続きを読む

読書ノート『モーツァルトを聴く』海老沢敏(岩波新書)

 クラシック音楽の聴き方に関して、「モーツァルトに始まり、モーツァルトに終わる」という言葉がある。私の場合、確かにそれが当てはまる。子どものころ、我が家にあった古いレコード、当時は既にLP時代に入っていたのではないかと思うが、我が家には、手回しの蓄音機とSPレコードしかなく、LPを買うようになったのは、2,3年後だった。そこで、ブルーノ・ワルターのSPを何度も繰り返し聴いたものだ。そこにモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハト・ムジークとジュピターがあった。戦前のウィーン・フィルの録音だ。アイネ・クライネの演奏に関しては、いまだに、この演奏を越えるものを知らない。ただし、CDになったその演奏は、SP時代の潤いのある音質がなくなっている。SPは確かに針の音がはいって、聞き苦しかったが、回転数が速かったせいか、音そのものは悪くなかったのだ。とにかく、モーツァルトから始まったのだが、その後、ベートーヴェン、マーラー、ヴェルディとめぐって、やはり、モーツァルトが最高というところに戻ってきた。だからモーツァルト本は、できるだけ読むことにしていて、今回この本を読んでみた。 “読書ノート『モーツァルトを聴く』海老沢敏(岩波新書)” の続きを読む

管理教育・体罰・懲戒

 教育実習を行った報告を聞いていると、ここ数年荒れた中学が増えてきたような気がする。もちろん、80年代の校内暴力が吹きあれた時代ほどではないが、学級崩壊している状態、つまり、たち歩く、教室から出てしまう、教師のいうことを聞かないなどの状態である。また、実際に教師になった卒業生が、学級運営に苦労して、学級崩壊寸前までいってしまったという話も、ときどき入ってくる。
 朝日新聞の記者であった佐田智子が書いた『新・身分制社会 「学校が連れてきた未来」』(太郎次郎社1983)の一部を読みかえしてみた。新・身分社会とは、いうまでもなく、学歴が新たな身分社会を作り出しているという意味であるが、この本の「管理のなかの自由と平等-教育の構造が生みだす校内暴力」という章に関してである。
 通常の理解では、1970年代に大学紛争が高校にまで及び、70年代と80年代を通じて、校内暴力が吹きあれた。それを、体罰などをもちいた管理主義を徹底させることで押さえつけ、全員加盟制の部活などで、さらに生徒たちを縛りつける教育が進行した。その結果校内暴力はおさまったが、いじめや不登校などの問題が生じた。今度は、「ゆとり教育」でストレスを緩和する教育で対応しようとしたが、学力低下をもたらしてしまい、ゆとり教育は失敗した。そして、学力重視の現在に至っている、というような大きな構図が描かれている。 “管理教育・体罰・懲戒” の続きを読む

読書ノート『研究不正』黒木登志夫(中公新書)

 大学を退職して、これから自由な研究ができると思っている。ただ、義務もないし、いつまでに何をということもないから、本当に気楽だ。ただ、大学では近年、研究倫理に極めてうるさくなっている。ネットで受講する研究倫理の講座と試験を受けなければならない。全員修了しないと、対文科省においてまずくなるということで、大学管理者は非常に神経質になっている。大学に迷惑かけるわけにはいかないので、修了したが、実際には、私の研究にはほとんど関係ないことばかりだった。実験したり、データとったりする領域では、倫理問題は重要であるし、特に医学や生物分野などは、人間や動物を扱うので、守らねばならない倫理問題は多数ある。そして、身近に自然科学の研究者がいるし、研究不正問題がその周辺で起きているので、他人ごとではない。 “読書ノート『研究不正』黒木登志夫(中公新書)” の続きを読む

検察への違法な政府の介入


 黒川東京高検検事長の定年延長を閣議決定した件が、法曹界で大問題になっている。多数のコメントが出ているので、特に新しい見解をだすことではないが、批判の数を増やす意味もあるだろうと、考えをまとめてみる。
 安倍内閣に関わる不祥事を、検察がもみ消したと思われる事実は少なくない。どこまで黒川氏が関与していたかは、もちろんわからないが、報道によれば、安倍内閣に極めて近く、逮捕起訴されてもおかしくない事件で、緩い対応だった事例がいくつかあるそうだ。そして、定年延長は、明後日の2月7日に定年退職する黒川氏を、本年8月に定年退職する稲田検事総長の後任にするためであると、多くの報道機関によって伝えられている。もちろん、先に定年退職している人を検事総長に昇格させることはできないからとった措置であろう。
 報道によれば、同期の林真琴名古屋高検検事長と黒川氏が長年のライバルで、どちらかが検事総長になると、前から予想されていた関係なのだそうだ。しかし、定年の関係で、黒川氏はなることができず、自然に林氏になると考えられていた。黒川氏が安倍寄りのスタンスであるのに対して、林氏はニュートラールな姿勢だということで、法曹界では、その点でも林氏を支持する声が多いという。安倍内閣は、稲田検事総長を、定年前に辞めさて、黒川氏にバトンタッチさせたかったが、稲田氏が自発的な辞任を拒んだために、黒川氏の定年延長という、違法行為にでたということだ。 “検察への違法な政府の介入” の続きを読む

「鬼平犯科帳」 鬼平の隠蔽


 現内閣は、隠蔽の名人ともいえる。いや、名人はうまくやるものだが、現内閣の隠蔽は、隠蔽していることが白日の下に晒されているから、何の工夫もしていない。追求側に、それを覆す力がないので、露骨な隠蔽をされても、隠蔽側は嵐はやがて去るという姿勢だ。日本の政治家の劣化が甚だしいという事例だろう。
 現内閣の隠蔽は最高責任者の悪事が対象だから、始末が悪いが、さすがに長谷川平蔵は、失策を何度かしているが、悪事はしていない。若いころのごろつき同様の生活をしていたころには、何度かあり、それが物語で蒸し返されることはあるのだが。ただし、長谷川平蔵も隠蔽をしている。しかし、それは自分のことではなく、部下たちの不祥事に関してである。
 もちろん、隠蔽不可能だったこともある。「あごひげ三十両」で、盗賊改方与力高田万津之助が、津30万石藤堂家の家来3人と切り合いになり、相手のひとりを死なせ、自分も怪我をして、翌日息をひきとる。高田に非がある喧嘩で、平蔵は、若年寄堀田摂津守に呼び出され、「いずれにぜよ、お役目は相つとまらぬものとおもうていよ!」と謹慎を言い渡されてしまう。
 料理屋で始まった喧嘩であり、大藩の家臣を切り殺したわけだから、隠蔽のしようがなかったわけである。
 しかし、以下紹介する4つの事例は、いずれも、当人は事情は異なるが、いずれも死んでしまうが、平蔵はそれを届けることなく、形としては、隠蔽してしまうのである。 “「鬼平犯科帳」 鬼平の隠蔽” の続きを読む

隔離施設の受け入れに益はないのか

 新型コロナウィルスの感染者、あるいは感染の可能性がある人の隔離が問題となっている。韓国では、受け入れ拒否のために、バリケードを築いている地域とか、あるいは説明会に出てきた説明員に暴力を働く事例などがあると報道されている。日本でも、受け入れた自治体に住民から抗議の電話があるそうだ。それに対して、アメリカは軍の施設に隔離しているという。軍の施設は、一般住民の住む地位からはかなり離れているのが普通だから、住民の反対運動などは、おそらく起きようがないだろう。しかし、日本には、そんな軍の施設など存在しないはずだから、結局ホテルなどを借りることになっている。深刻なのは、受け入れた施設で働く人の子どもなどが、学校でいじめを受けているという状況だ。
 日本でも、かつては、いわゆる「迷惑施設」、たとえば、刑務所、ごみ焼却場、精神病院、原発などが建設されようとすると、住民の反対運動がかなり激しく行われたものだ。しかし、最近だいぶ雰囲気が変わってきたように感じる。 “隔離施設の受け入れに益はないのか” の続きを読む

大阪の青少年保護条例改正案 「真剣」とは何か

 読売新聞2020.2.2に、「18歳未満との交際、「真剣」以外はすべて違反に…大阪府が条例改正案」という記事が出ている。記事は以下のように報じている。
「大阪府が、2月議会に提出する府青少年健全育成条例の改正案の全容がわかった。条例は18歳未満とのわいせつ行為を禁じているが、現行では、脅したり、ウソをついたりしていなければ、処罰の対象外だった。改正案では、性的欲望を満たすことだけを目的としたわいせつ行為を禁じ、真剣交際以外はすべて違反となる。」
 インターネットで検索できる条例は、おそらく以下のものだろう。

第三十九条 何人も、次に掲げる行為を行ってはならない。
二 専ら性的欲望を満足させる目的で、青少年を威迫し、欺き、又は困惑させて、当該青少年に対し性行為又はわいせつな行為を行うこと。
三 性行為又はわいせつな行為を行うことの周旋を受け、青少年に対し当該周旋に係る性行為又はわいせつな行為を行うこと。

 この条文によれば、「威迫、欺き、困惑」させる行為が罰する必要要件になっているということだ。 “大阪の青少年保護条例改正案 「真剣」とは何か” の続きを読む

タイピングの教育はいつから? 入力方式に無関心でいいのか

 いよいよ小学校まで含めた学校教育でのプログラミング教育が始まる。また既に外国語学習という形での英語教育が小学校3年生まで降りてきている。小学校のプログラミングは、コマンドを入力するようなものではなく、ビジュアル・プログラミングということになっているが、英語・ローマ字学習まで始まると、当然タイピングの問題が出てくる。実際に、タイピングの学習を進めている小学校も存在する。しかし、いわゆるブラインドタッチができる人は、まだまだ少ないに違いない。
 あるサイトは、小学校3年生くらいからタイピングの練習を始めるのがよい、と勧めているが、大人が必要から始める場合ではなく、子どもに教育、特に義務教育としてタイピングを学ばせる場合には、いくつかの検討課題が残っているように、私には思われる。それは入力方式である。
 多くの人は、日本語の入力をローマ字入力で行っているだろう。日本語の入力には、実は3つの方式がある。ひとつは、主流といえるローマ字入力、そして、かな入力だが、かな入力は2つあり、JIS方式と親指シフトに分かれる。それぞれに一長一短があるが、学校教育で教える対象とすると、そのひとつを選択して、子どもたちに使わせることになる。いわば強制力が働くわけだ。大学などで、それぞれソフトを使って学ばせる場合には、それを使わない者は履修しないことができる。ただ、大学でも事実上は、ほとんどがローマ字入力の練習ソフトがインストールされているとは思う。 “タイピングの教育はいつから? 入力方式に無関心でいいのか” の続きを読む