未来の教育研究1 最初のメモ

2016年に「未来の研究に関する研究1」を『人間科学研究』(紀要)に書いて、その後、2、3と書きついでいく予定だったが、研究が膨大に膨らんでいったために、書かずにきた。定年となるので、その後にじっくり取り組もうと思っていたのだが、事情があって、今年書くことになった。未来の教育の構想がさかんに出ているのだが、実は、それほど革命的に新しいものではなく、過去の教育論とつながっていることを示したのが、1だった。しかし、現代の科学技術の発展を踏まえて、当然装いは新しくなっているし、学ぶ内容も変わっていく必要があると思われている。そうした動向が、顕著になる80年代、90年代に、教育制度の世界では大きな変化があった。それを扱うのが2で、いよいよ21世紀にはいって、21世紀の教育構想がだされ、実際に変わりつつある面と、そうそう変わり得ない部分がある、それを踏まえてどこに行こうとしているのか、あるいはいくべきなのか、そこに踏み込むのが3の予定であった。
 膨大なものになってしまったのは、戦後改革も経過せざるをえないと考えて、資料を集めだしたからだ。私の博士論文は、大戦間の教育制度改革(統一学校運動)だったので、やはり、その後の戦後改革があって、80年代につながることを無視するわけにもいかないと考えた。今年書かねばならないことになり、とりあえず、一番大事な21世紀に焦点をあてた考察にしようと考えている。時間があまりないので、ここに草稿を書きながら、完成させることにした。これまで書いたような内容から、急にアカデミックな研究の舞台裏のような文章が多くなる。 “未来の教育研究1 最初のメモ” の続きを読む

鬼平犯科帳 浪人になると

 失業は今でも大きな人生上の困難である。失業保険や生活保護などがあるけれども、それでも、失業すれば生活の保障がなくなる。江戸時代は、多くの者は生まれついた職業、身分をもっており、ほとんどの者は一生変わらずそれを保持する。農民などは飢饉で苦しむことはあっても、それは一時的であるし、農業そのものが倒産したりということは、おそらくあまりなかっただろう。しかし、武士には、失業の危機は少なくなかった。自分の家だけではなく、主家が潰れてしまう。家の跡取りがいなければ、家そのものがとりつぶされるし、また、主人に不祥事があれば御家断絶となる。その場合、家来や家人は、生活の糧を失うことになる。失業である。
 武士が失業、つまり浪人になるとどうなるのだろう。鬼平犯科帳には、多数の浪人が出てくる。そして、その生きざまは実に多様である。しかし、犯科帳であるから、犯罪者を扱った小説なので、当然、悪の道に落ち込んだ浪人が、たくさんでてくる。しかし、ここでは、そうではないふたつの物語を考えてみよう。「乞食坊主(ドラマでは「托鉢無宿」)」「用心棒」のふたつである。 “鬼平犯科帳 浪人になると” の続きを読む

大坂なおみの不調 「迷ったら苦しい方を選べ」

大坂なおみが、また破れた。ウィンブルドンは最初の試合での敗退だ。全豪オープンでの優勝後、ほとんど活躍できていない。しかし、こうなるのではないかと、大坂が全豪オープンのあと、コーチを突然変えたときに予想した。もちろん、今後どうなるかはわからないが、また、コーチを変えた真相は知るよしもないが、とりあえず、想像した仮定での考察をしてみたい。それが事実とは違っていたとしても、考察の筋道そのものは意味があると思う。
 大坂がコーチを変えたときに、まず思い出したのは、天才ボクサーのマーク・タイソンのことだ。 “大坂なおみの不調 「迷ったら苦しい方を選べ」” の続きを読む

名古屋城の木造復元問題 復元でも新築は現代の基準で

 世界中から注目されているG20挨拶で、安部首相が、大坂城はすばらしい復元だったが、唯一エレベーターの設置はミスだったと述べて、顰蹙をかっている。社会的弱者のことなど、つゆほども考えていない首相らしい発言だと思ったが、もしかしたら、名古屋城で散々揉めていることを意識し、エレベーターなど作るなと、作らない派にエールを送っているのかも知れない。
 名古屋城問題は、あまり関心がなく、詳しいことは全く知らなかったのだが、調べてみた。2009年からの毎日新聞の記事を検索にかけて、目を通した。これほど膠着していたのかと驚いたが、安部首相の応援は、かえって河村市長にとってプラスにはならないに違いない。
 一応、経緯と論点を整理しておこう。
 名古屋城は、明治初期の城の破壊を免れたが、第二次大戦の爆撃で消失してしまったので、コンクリート建築で再現されたのが、今の名古屋城である。もちろん愛知県の観光の重要な名所のひとつだが、耐震の問題があるので、補強工事を計画していた。しかし、2009年の市長選で河村氏が当選し、彼の強い意欲で、木造の復元にする方向に舵をきった。名古屋城の図面など、江戸時代の復元に可能な資料がかなり揃っているのだそうで、コンクリート建築であれば、耐震補強したとしても、建物自体の寿命があるので、木造として復元したほうが、長持ちするし、また、観光的な意味でも歓迎されるという判断のようだ。そして、2020年のオリンピックにあわせて、完成するという構想だった。 “名古屋城の木造復元問題 復元でも新築は現代の基準で” の続きを読む