オランダの不登校問題3 学校不安と学校恐怖

 今回は「学校不安」「学校恐怖」について考える。
 日本で、登校拒否という言葉でいわれていたときには、主に、オランダでいう「学校不安」「学校恐怖」と同じような現象が念頭におかれていた。前回扱ったチェックリストの、登校しなければならない朝に、頭痛や腹痛がおきたりするという現象は、日本でもさかんにいわれていた。そして、そんなときには無理に学校に行かせなくてもよいという「社会的雰囲気」が醸成され、文部科学省もそれを追認するような姿勢を見せて、認定されたフリースクールのような施設にいっていれば、出席として扱ってもよいなどとしている。しかし、学校に行かない事例は、必ずしも身体的症状が起きるわけではなく、明確なさぼりの場合もある。オランダでは、このふたつは区別され、別の対応がとられるわけである。つまり、学校そのものに不安を感じたり、また、恐怖心を起こすような何かがあって行けないのと、単なる勉強嫌いでさぼっている場合は、異なる対応が必要なことは自明である。ところが、日本では、登校拒否という言葉を、不登校に変えたあたりから、この相違が曖昧になっているような気がする。 “オランダの不登校問題3 学校不安と学校恐怖” の続きを読む

教育行政学ノート4 外国人と教育 宗教の問題から

 外国人が教室に入ってくると、日本人だけのときとは異なる教育的課題が生じる。それは世界中どこでも同じである。一番大きな問題は、言葉で、異なる言語で育った人がほとんどだから、当初は全く授業が理解できない。だから、当分特別な時間をとって、言葉を修得してもらう必要がある。子どもはすぐに言語を憶えるといわれることがあるが、それは子ども同士で遊ぶ場合の言語であって、学校で学ぶことをきちんと理解する上で必要な言語能力は、子どもでも修得が容易ではない。だが、その余裕が学校や自治体にあるかは別として、これは、充分な時間と人材を配置すれば、解決可能である。
 解決困難なのは、文化、特に宗教に関する内容である。これは、必ずしも外国人に限らない。最近は、学校側で柔軟に対応するようになったからか、社会的に騒がれることがなくなったが、「エホバの証人」の信者の子どもたちが学校に在籍していると、競争を否定するので、体育の一部競技に参加を拒み、あちこちでトラブルとなったことがある。また、高校入試で、一旦合格させながら、体育の単位がとれないという理由で、合格を取り消し、訴訟になった事例もある。
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ポピュリズム考察 ゲッベルスと私3

 ハンゼルの解説の検討に移る。
 彼の解説は、極めて明確な一本のラインに貫かれている。ナチスと現代のポピュリズムは基本的に同じ性格をもっており、多くの国民の無関心がナチの台頭を許したのと同じ危険を、現代のポピュリズムに関する状況は示している。つまり「無関心」ということだ。ポムゼルのインタビューから教訓を引き出すとすれば、彼女のような状況に対する無関心な態度をとっていたら、大変になるということを知ることだというのである。
 しかし、現在世界中でみられるポピュリズム政治家が示しているものは、本当にナチと基本的に同質なのだろうか。そして、それに対する無自覚が支配的なのだろうか。
 ナチは合法的に選挙で勝って、政権を手にしたのだといわれることが多い。しかし、それは適切とはいえない。選挙で勝ったのは事実だが、その選挙戦術は実に汚いもので、暴力で政敵を抹殺しようとするような、暴動に近いことを各地で行っていた。それこそナチに明確に反対する勢力に投票することは、命の危険すらあるという印象を与えつつの選挙戦術だったわけである。ナチが、大衆動員を得意とするポピュリズム的な政治ムードを作りあげることに成功したのは、政権をとって、ゲッベルスが宣伝省を務めるようになってからといっても間違いではない。
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オランダ留学記92 1到着と学校入学

(これまで書きためたり、発表してきた文章をまとめて公刊していくことにしました。Kindleを考えています。そこで、ここに登校しながら、原稿の整理をしていくつもりです。まず第一に二度オランダに留学したときの、日本への送信(ニフティ)を材料にして、書いていく予定です。なお太字の部分が、当時日本に送った文章です。)

はじめての外国

 香港、パリの空港を経由して、アムステルダムのスキポール空港についたのは、1992年8月12日だった。26時間の長旅だった。真夏だったが、朝8時に到着したからか、ずいぶんとひんやりしていた。ライデン大学日本学科の?さんが車で迎えにきてくれて、そのまま予約したホテルに直行した。本当はこんな朝早い到着の客などないのだが、そこは快く受け入れてくれて、部屋に。普通のホテルのイメージとは全くちがって、かつての裕福な家をホテル用に改装したもので、ライデンから、これから住むことになるウーフストヘーストあたりには豪邸が並んでいる。しかし、家族が住んでいる家はほとんどなく、税金が高いので手放してしまい、企業の事務所や分割した住居になっているのがほとんどだそうだ。だからこのホテルも昔風の家の作りで、落ち着いてはいるが、床がみしみし音がして、ちょっとタイムスリップしたような感じだ。
 まず初めにやらなければならないことは、大使館と市役所にいって手続きすることだ。市役所の手続きはよくわからないので、引っ越してからということにして、早速ハーグの日本大使館にでかけた。大使館といっても、ちょっと大きめの一軒家という感じで、お金持ちの友人宅を訪ねるような雰囲気だったし、非常に態度が悪いと脅されていた大使館員の人も、まあ親切で、特に面倒なこともなく手続きが終了した。
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学校教育から何を削るか8 部活

 教育実習の研究授業を参観に行ったとき、元校長だったという人が教育委員会から派遣されていて、一緒に授業をみたのだが、そのあと、帰るときに、駅まで車で送るというので、車に乗せてもらったことがある。教育学者である私の意見を聞きたいことがあったようなのだ。車が発車するとすぐ、「部活についてどう思いますか?」と聞いてきた。私は、相手が元校長だというので、率直に持論を述べた。「部活は、以前は意味があったと思うが、今では制度疲労を起こしている。学校教育としてはやめて、社会教育に移すべきであると思う」といった。すると、その元校長は、自分が校長時代、部活の顧問を見つけるのにいかに苦労したかを縷々述べ、部活がなくなってほしいというのだ。正直、校長がそう思っているというのは予想外だったので、少々驚いたが、同志をえたと思われたのか、話がはずんだ。
 部活は時代遅れである、現代に合わないということは、他のブログでも散々書いてきたし、授業でも、「そういう考えもある」という形で、見解を紹介してきた。本心そう思っている。
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「教育」を読む2019.5 政治的中立性と教育の自由

 2019年5月号の第二特集は、「政治的中立性と教育の自由」である。通常、特集に関しては、取り上げる趣旨などが、編集後記に記されるものだが、この第二特集については、委員長である佐貫氏が担当したことのみが記されている。したがって、何故今この特集がくまれたのか、正確な理由かわからないのだが、昨年の大会で、後援をしていた川崎市教育委員会が後援をおりるということがあったことが、佐貫氏の論文に書かれており、それも契機のひとつだったのだろうと想像する。酸基院選挙の結果によっては、憲法改正問題が国会に提起される可能性がないわけでもないという、そうした意思も働いているのかも知れないが、第一特集の「教育実習」ほどには、テーマの凝縮性が乏しい気もする。
 5本の論文・対談が掲載されている。
・中嶋哲彦「公権力規制原理としての政治的中立性」
・金子奨・菅間正道 「憲法改正論争事態」で教師は?
・富田充保「意見の違いこそ政治の原点」
・中田康彦「教育を非政治化するという政治化の動き
・佐貫浩「教育研究運動と政治的中立性
 主に、中嶋論文を材料に考えていきたい。
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鬼平犯科帳 事実と小説とドラマ1

 森鴎外に「歴史其儘と歴史離れ」という短い随筆があり、歴史小説を書く際の事実をどのように扱うかを、自作について説明している。鴎外は、基本的に事実を自然に書くようにしていたそうだが、「山椒太夫」では、事実と伝えられる(といっても事実かどうかは分からないのだが)内容の不自然な部分を訂正して、変更をしたが、それは自然さを意識したものだという。実際の鴎外の小説が、かならずしも事実と合致しているわけではないことは、「阿部一族」などがあげられるが、鴎外の姿勢は「自然」の重視であると確認できるだろう。
 鬼平犯科帳に描かれた長谷川平蔵は、実在の人物であって、実際の功績も記録にある程度残されており、研究書から小説まで、様々なジャンルで扱われている。小説仕立てではあっても、長谷川平蔵の筆によると思われる『御仕置例類集』を素材にした『長谷川平蔵仕置帳』(今川徳三)のような書物もある。残念ながら、長谷川平蔵自身の「著作」は存在しないようで、当時の記録としては、『御仕置例類集』として残されている長谷川平蔵の扱った事件の裁きの記録が、彼の仕事を知る上で最もよい材料のようだ。当時の老中松平定信が書いた書物や、定信が調査させた記録(『よしの冊子』)他若干の記録等があるが、いずれも適切な人間長谷川平蔵を表したものではないようだ。歴史に埋もれていた人物である長谷川平蔵を世に知らしめたのは、池波正太郎で、池波は最大限歴史的事実を尊重したが、事実と明らかに異なる面もたくさんある。それが、資料の読み違い、あるいは資料を入手できなかったためとされる例もあるが、知らないはずがないのに、事実と異なる面もあり、それは池波による「歴史離れ」と考えざるをえない。
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