道徳教材分析(1)手品師

有名な道徳教材であり、私が学生の教育実習の研究授業で何度かみたものでもある。子どもたちも活発に意見をいえる一方、教師がどのようにまとめるのか、子どもたちの発達段階との兼ね合いで、けっこう難しい教材でもある。小学校で行われた研究授業で出た意見と、実際に大学生に概要を話してだしてもらった意見とは、かなりの隔たりがあった。コールバーグ理論のある意味、よい検証の材料にもなる教材である。
 まずテキストを確認しておこう。(次の文章は、大阪府のホームページで公表されている資料から転記した。http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/9723/00000000/syougattkou2.pdf )

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スマホ規制 フランスとドイツの議論

 子どもが使うデジタル機器の是非は、多くの国で議論になっているし、また様々な対応がなされている。しかし、国によって問題とする仕方は微妙に違うようだ。2月14日に、フランスの新聞フィガロが、この問題で特集を組み、いろいろな側面から検討をしている。また、16日には、ドイツの Der Tagesspiegelという新聞が、スマホを通じて子どもがポルノにアクセスすることを問題にした記事を掲載している。そこで、これらの記事を参照しながら考えてみたい。

 フィガロの記事を読んで、最初に驚いたのは、フランス語では écranという語が使われており、スクリーンや画面という意味だが、これが、スマホだけではなく、タブレット、テレビゲーム、テレビ、パソコンなどを総称して課題にしていることである。因みに日本の「対策」をインターネットで検索すると、ほとんどがスマホのフィルタリングに関するもので、しかも、企業のアプリの宣伝が大部分である。タブレットなどが問題となっている雰囲気ではないが、フランスでは、言葉の問題だけではなく、総体として話題になっている。(日本語で似た使い方をしている語としては、ディスプレイだろうか。しかし、 écranという言葉では、画面そのものではく、画面をもった機具を指しているので、ここでは、 écranをそのまま使用する。)

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鬼平犯科帳ノート(1)はじめに

 いろいろな話題があっていいと思い、私がはまっているテレビドラマをふたつ、ひとつずつとりあげていくつもりだ。
 現在考えているのは、「鬼平犯科帳」と「Law & Order」のふたつだ。
 今回は「鬼平犯科帳を取り上げる理由とその魅力を書く。
 鬼平犯科帳は、1967年から1989年にかけて『オール読物』に連載された小説で、135話ある。文春文庫24冊で刊行されている。テレビでは4回ドラマ化されているが、最も多数の作品がドラマ化されて、また、作者の池波正太郎が気にいっていたのは、最後のフジテレビによる中村吉右衛門主演のものである。さらに、中村吉右衛門が主演のドラマは、おそらく時代劇のテレビドラマとしては、最高の質を誇っているように思う。原作も面白いが、ドラマは、原作を歪めない範囲で工夫を加えて、見るドラマとして非常に丁寧に作られている。

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教育行政学ノート(2)子どもは何故学校にいくのか

 教育行政学は、通常、義務教育、あるいは「教育権」から入る。しかし、教育学としての教育行政学の構想のために、もうひとつ前の問いから入ろう。義務教育とか、教育権という概念は、やはり、教育の外からみている、あるいは外部的存在である。そこで、問いは次のようになる。

Q 我々は、子どもたちは、何故学校に行くのか? 現在の大きな学校教育上の問題である「不登校」を考察するとき、「何故学校に行かないのか」「何故学校に行けないのか」という問いをたてて、答えを見いだそうとする。しかし、不登校は、通常前の段階とて登校していた事実がある。学校に行っていたのに、行かなくなる、あるいは行けなくなるわけである。したがって、まずは、学校に行っていた時期の「行っていた理由」をきちんと理解しておくことが必要だろう。不登校は、その「学校に行っていた理由」が揺らいだ、あるいは消えてしまったが、その原因であると考えられる。

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イギリスの若者がメンタルヘルスの改善を求めて活動

 イギリスの10代の若者たちが、グループを作って、メンタル・ヘルスを必要としている若者へのサポートを、確実に実行させるための働きかけをしたという記事の紹介です。Mental health The students who helped themselves when support was too slow comingというThe Guardian2019.2.12の記事で、作者はLouise Tickleです。

 イギリス全土かどうかはわかりませんが、ここで紹介されている地域は、Cumbriaという地方で、元々医療・福祉体制が遅れていると思われます。イギリスに限らず、先進国のほとんどでは、若者たちは、試験競争にさらされ、常に誰かと比較され、いい評価をえないと上級への進学に不利になり、人生そのものがやりにくくなるというストレスをかかえながら生きることを余儀なくされます。もちろん、そのことによって、誰もが精神的な疾患をかかえるわけではありませんが、どこでもサポートを必要とする若者が増加しています。それだけではなく、この記事では、治療を申請したのに、ウェイティング・リストに載せられて、3カ月も待たされ、そのうちに、すっかり参ってしまった若者が紹介されています。彼女はそのために学校にいくことができなくなりました。いろいろなことを真剣に受けとめながら生活していれば、誰でもそうした危機に陥る危険があると、彼女は述べています。

 そんななかで、何人かの若者が集まって、We Willというグループを作り、精神的な問題を抱えている若者に、サポートをするように働きかける活動を始めます。集会を開き、そこで強調されたことは、今の若者が生きている世の中は、古い世代が若者だったときとは違うのだ、ということです。まずは試験の圧力、そして、ソーシャル・メディアの中毒的な関わりからくるストレスです。

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教育行政学ノート(1)教育学と教育行政学

大学での講義は、新年度が最後になる。教育行政学も当然最後だが、テキストをかなり書き直したいと考え、ノートという形で書きためていきたい。最も、新年度には間に合わないので、これまでのテキストと併用する予定である。


1 教育行政学のように、ふたつの学問領域が併記されている場合、どちらの領域に属する学問なのかが問題となる。教育学として、行政分野を扱うのか、行政学の対象領域が教育であるのか。これは単なる言葉の遊びではなく、学問の性格を決めるほどの重要性をもっている。 教育学の分野として、行政の教育的あり方を追求する学問と考えるならば、制度としての教育、あるいは学校の管理・運営・行政が、教育者や学習者の活動を促進するようなあり方を考えることが課題となる。他方、行政学としての対象が教育であるならば、それぞれの対象の固有性よりは、行政としての効率性、有効性のありかたを課題とするだろう。 例をあげてその違いを考えてみよう。

Q1 教科書を選ぶのは誰がよいか。日々の教育計画を立案するのは誰がよいか。

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林壮一 『アメリカ下層教育現場』 光文社を読む

 著者はボクシングを中心とするライターであるが、たまたま最底辺層の高校生のためのチャータースクールに、非常勤講師として日本文化を教える経験をする。本書はその体験記と、その後かかわったボランティアの経験から、アメリカの下層の教育現場を考察した書物である。

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道徳教育教材分析を始めるにあたって

 私自身は、道徳教育を「教科」として、あるいは毎週特定の時間を使った「特設道徳」は必要だと思っていない。1958年に、道徳が時間設定されたときに起きた論争でいえば、道徳は教育全体のなかで行われるもので、教科としては、国語や社会のなかで、そして広く学校行事などで行われるものだと考えている。さあこれから道徳を勉強しましょう、などといって、道徳が身につくとは思えないのである。

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クラウディオ・アバドのボックス

 2014年になくなったアバドは、現代最高の指揮者の一人であったし、私のもっとも好きな指揮者の一人だった。自分で勝った初めてのオペラのレコードが、アバドの「セビリアの理髪師」だったが、すべてとはいえないが、かなりのCDを所有している。交響曲ボックス、オペラボックス、ソニーのボックス、そしてDVDボックス(25枚組)である。新しく購入したオペラボックスとDVDボックスについて、感想を書いておきたい。

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空き家のようになってしまいましたが

私も本当は定年の年齢になりました。尤も、教員免許の課程申請の関係で、もう一年勤めなければならないことになったのですが、いよいよ定年後にむけて、どのように活動していくかを、真剣に考えなければならないようになりました。そこで、ひとつが、ブログを再開しようかと思っています。もちろん、もうひとつ、主要なブログをもっていて、そちらで普段は活動しているのですが、定年後は、違う形での情報発信をしていこうと考えており、それには、wordpressを使うのがいいようなので、少しここで肩慣らしをしようと考えたわけです。