未来の教育研究5 ナショナル・カリキュラム1

ドイツの教育標準 Bildungsstandards
 PISAショックが最も大きかったのが、ドイツである。2000年に行われた第一回PISAで、ドイツは31カ国中、読解力が21位、数学が、数学・科学がともに20位だった。(日本は8位、1位、2位)しかし、2015年の試験では、11位、16位、15位に上昇している。ヨーロッパでは、イギリス、フランス、デンマーク、スウェーデンよりは上位になっている。つまり、PISAショックからの立ち直りが顕著なのもドイツなのである。もちろん、PISAの成績が、その国の教育の水準を決めるわけではない。国際学力テストは他にもあるし、また、学力テストの成績が教育水準と完全に対応するわけでもない。しかし、テストができないよりはできたほうがよいということも、否定できないことだろう。フランスのように、PISAの成績が必ずしもよくないのに、国家的に気にしていないと感じる国もある。
 しかし、ドイツはちがった。大きなショックを受けたのである。 “未来の教育研究5 ナショナル・カリキュラム1” の続きを読む

未来の教育研究4 教養論・国民的教養・多文化・階級文化

 21世紀の教育で最もシビアに問われているのは、教育内容である。学校制度をめぐる論議は、20世紀で完全に済んだわけではないが、21世紀になると主要な争点ではなくなっている。制度的な争点は、むしろ学校制度の運用、管理の面で残っている。しかし、AI技術の実用化という状況、そして、多数の職業が消える可能性が指摘されているなかでは、何を教え、何を学んでいくのかが、より重要な論点となっている。
 19世紀から20世紀にかけて、教育内容は、その主体と内容に区分されて議論されてきた。歴史的に、身分、階級、階層的に、学ぶべき教養、内容が異なっていたからである。エリート層は古典文化(日本では漢学、ヨーロッパではギリシャ・ローマ文化)を学び、一般大衆は3Rであった。義務教育が成立すると、初等教育では、3R中心の教育内容が教えられ、中等教育では、古典文化や職業的な実科内容が、分岐した学校に割り振られる形になっていく。従って、中等教育の教育内容の分化は、20世紀前半は、統合されることはなかった。(1)

 教育内容を検討する際には、言葉の問題が重要である。 “未来の教育研究4 教養論・国民的教養・多文化・階級文化” の続きを読む

未来の教育研究3 教育の自由・新自由主義

  私が学生時代以来、最も重要な理論的基本として考えてきたのは、堀尾輝久氏の「教育の自由」論から、教育や教育制度を構築する議論だった。しかし、「教育の自由」という概念は、公教育では、歴史的にもほとんど認められてこなかったもので、唯一、憲法上、教育の自由を認めているのは、オランダ憲法のみであるとされている。そもそも、公教育は、社会権としての教育権を実現したもので、自由権はその論理のなかに含まれていない。もちろん、実態として、自由に教育が行われている、つまり、教育の内容について、政府、公権力が規制しない時代(国によって、相当異なるが)があったことは事実であるが、それはまだ、教育内容を詳細に規定するほどの、政治情勢がなかったか、あるいは、政府にそれを実効的に規定できる力がなかったからである。
 最も、伝統的な教育、庶民の学校では3R、中等教育機関では、古典文化を学ぶなどの伝統的な内容はあった。更に、職業教育の要請は、内容上明確であるから、あえて国家的に規制する必要もなかったといえる。オランダの教育の自由も、実際に存在する学校が教えていることを追認するものであったといえるのである。 “未来の教育研究3 教育の自由・新自由主義” の続きを読む

未来の教育研究2 三分岐・総合制・単一学校制度

 三分岐型は、多くが、伝統的なエリート学校で、大学に接続する学校(グラマースクール、ギムナジウム(ドイツ)、VWO(オランダ))、義務教育となった小学校の上に接続する高等科が発展した学校(モダンスクール、ハウプトシューレ、MAVO)、そして、従来からある職業学校・実科学校(テクニカルスクール、レアルシューレ、LBO)の三つのタイプに分かれる。実科学校のレベル、評価は、国によって異なる。イギリスやドイツでは比較的高いが、オランダでは低い。そのために、MAVOとLBOは統合されている。(オランダでは、その統合前は4つに分かれていたが、統合によって3つのタイプになった。)
 総合制の学校制度は、この三分岐制度に対抗して構想されたものである。従って、1960年代になり、提案がなされ、政治的な争点となった。保守党は三分岐維持で、社会民主党(労働党)が、総合制を支持したために、自治体の政府をどちらの政党がとるかによって、左右された。 “未来の教育研究2 三分岐・総合制・単一学校制度” の続きを読む

未来の教育研究1 最初のメモ

2016年に「未来の研究に関する研究1」を『人間科学研究』(紀要)に書いて、その後、2、3と書きついでいく予定だったが、研究が膨大に膨らんでいったために、書かずにきた。定年となるので、その後にじっくり取り組もうと思っていたのだが、事情があって、今年書くことになった。未来の教育の構想がさかんに出ているのだが、実は、それほど革命的に新しいものではなく、過去の教育論とつながっていることを示したのが、1だった。しかし、現代の科学技術の発展を踏まえて、当然装いは新しくなっているし、学ぶ内容も変わっていく必要があると思われている。そうした動向が、顕著になる80年代、90年代に、教育制度の世界では大きな変化があった。それを扱うのが2で、いよいよ21世紀にはいって、21世紀の教育構想がだされ、実際に変わりつつある面と、そうそう変わり得ない部分がある、それを踏まえてどこに行こうとしているのか、あるいはいくべきなのか、そこに踏み込むのが3の予定であった。
 膨大なものになってしまったのは、戦後改革も経過せざるをえないと考えて、資料を集めだしたからだ。私の博士論文は、大戦間の教育制度改革(統一学校運動)だったので、やはり、その後の戦後改革があって、80年代につながることを無視するわけにもいかないと考えた。今年書かねばならないことになり、とりあえず、一番大事な21世紀に焦点をあてた考察にしようと考えている。時間があまりないので、ここに草稿を書きながら、完成させることにした。これまで書いたような内容から、急にアカデミックな研究の舞台裏のような文章が多くなる。 “未来の教育研究1 最初のメモ” の続きを読む