最近続けて高校生が裁判員になる可能性にかんする記事がでた。
「高校生も裁判員になるかも!? 熊本地裁で体験イベント」
「「死刑か無罪か」高校生も裁く時代に 法教育と受験は両立できるのか」
主に、裁判員になることを前提に、どのように法教育をするかというようなテーマの記事だが、そもそも、裁判員になるとはどういうことなのか、どのような人生経験が必要なのか、というような基本的な議論が必要なのではないだろうか。アメリカの陪審員制度は、有罪か無罪か、民事であれば、原告と被告のどちらが正当かだけを決めるのだが、日本の裁判員裁判は、基本的に凶悪犯罪の刑事訴訟が対象で、多くが死刑を含む判断が要求され、そして、量刑も議論の対象になる。受験勉強を続けている高校生や、受験勉強から解放されたばかりの大学生、そして、まだ働き始めたばかりの労働者が、そうした人の人生を決定するような判断をまかせられるのか、私は大いに疑問である。