「鬼平犯科帳」 密偵たちの死1

 「鬼平犯科帳」には、たくさんの密偵が登場する。実際に長谷川平蔵は、多くの密偵を使っていたとされている。ただ、よく時代劇に出てくる岡っ引きとは違う。岡っ引きも、平蔵の密偵と同じように、どちらかというと反社会的な人物が多かったようだが、岡っ引きは、十手を預かっていて、表向き彼らが岡っ引きであることが知られていた。しかし、「鬼平犯科帳」に出てくる密偵は、そうしたアイテムはまったくもっておらず、外見はまったくの町民である。ただ、事件そのものは、実際にあったものもあるが、個々の密偵は、まったくの作者による創作であると思われる。(もっとも、ある人が密偵になったが、密偵の名簿にその名はない、というような記述があるので、そうした名簿が実際にあるのか、あるいは名簿自体が池波の創作なのかはわからない。)
 小説のなかで、密偵は3類型に分類できる。常時平蔵の命令を受けて活躍している密偵。「密偵たちの宴」に登場する6人である。(彦十、粂八、おまさ、五郎蔵、伊三次、宗平)常時登場するわけではないが、何度か重要な役割でもって登場する密偵。そして、単発的にわずかに登場する密偵である。興味深いことに、理由は多様だが、殺されてしまう、あるいは自害して死んでしまう密偵は、第二グループに多く、第一グループでは一人だけである。そして、第三グループには見当たらない。

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シャーロック・ホームズと鬼平犯科帳

 シャーロック・ホームズのBDをとりあえず全部見終わった。全体的な感想だが、初期に制作されたものほど、作品も面白いし、ドラマ化も充実していた。後半も終わりに近いほうになると、まったく原作と異なる話が挿入されるだけではなく、それがあまり成功しておらず、しかも、どこかカルト的要素が入ってきて、シャーロック・ホームズの特徴である明るさ、温かさと逆の雰囲気が前面にでてきて、楽しめないものがいくつかあった。当時イギリスのテレビ界で2時間ドラマが流行していたために、それにあわせてシャーロック・ホームズも2時間に拡大したものに変更され、原作になかった話を加えることになったようだ。ただ、それだけではなく、主役のブレッドの体調が思わしくなくなり、動きなどにもスムーズさが欠けるようになったことも影響しているように感じられた。ワトソン博士は交代させても、さすがにシャーロック・ホームズ役を変えることはできなかったのだろう。原作も初期のものに名作が多く、ドラマ化も最初のシリーズでは、名作中心に選択されているので、原作に忠実に作れば傑作になるという感じで、安心して見ることができる。

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鬼平犯科帳 「盗賊婚礼」不思議な物語

 「鬼平犯科帳」クイズのための作業である。「盗賊婚礼」は、話としては面白いのだが、突つきだすといろいろと妙なところがある。それを考えてみたい。
 筋は以下のようなことだ。
 
・傘山の弥太郎は、山城屋文蔵方に押し入り、780両を盗み、「けむりのごとく」消え失せた8人の盗賊の頭である。亡父の時代は50人手下がいた。
・その盗みで、引き込みをしたお粂と父親ということになっている由松を,火付盗賊改は追っているが、行方をつかめない。
・手下の勘助と喜代次が、瓢簞屋という料理屋をやっているが、弥太郎は別のところに住んでいる。瓢簞屋は、平蔵が好んでいる店である。勘助とも親しく話もしている。
・先代が親しかった盗賊鳴海の繁蔵の娘を弥太郎と結婚させる約束があると、亡夫が、死に際に弥太郎にいって、弥太郎は承知していた。
・8年後二代目繁蔵から、妹のお糸を親同士の約束に従って女房にしてほしい、そして、これを縁に、親たちのように仕事の協力をしてほしいという申し入れがある。
・その使者は、繁蔵配下の長嶋の久五郎だった。

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鬼平犯科帳 平蔵はなぜ出世できなかったのか

 長谷川平蔵は、火付盗賊改方という役職のまま死去している。そして、その役職に就いた者は、2,3年で次の役職に転出していく例が多いとされる。事実、平蔵の父親の宣雄も、火付盗賊改方のあと、京都町奉行に栄転している。正しい比喩かどうかは異論もあるだろうが、江戸町奉行は、現在では東京都知事に近く、火付盗賊改方は警視庁刑事部長くらいなのだろうか。しかも、警視庁の部分も知事部局であると考えた上だ。だから、町奉行と火付盗賊改方とでは、かなりの格の違いがあったと考えられている。鬼平犯科帳でも、平蔵は、いつまでこんな仕事をしなければならないのかと嘆く部分が、何度も出てくる。実際に、長谷川平蔵は、町奉行になることを強く希望していたとされているし、また、江戸の庶民たちにも人気があったので、そうなることを期待されていたという。しかし、何度もチャンス、つまり江戸、大阪、京都などの町奉行職の交代が、平蔵の火付盗賊改方任期中にあったにもかかわらず、彼が指名されることはなかった。もっとも、父の宣雄が京都町奉行になったのは、53歳のときだったから、平蔵も長生きしていれば、チャンスがあったとも考えられる。しかし、火付盗賊改方を2,3年務めたあと、なんらかの奉行職に栄転していくことは、よくあることだったから、8年もの間火付盗賊改方のままだったことは、議論の対象になってもおかしくない。そして、長谷川平蔵は、あくまでも小説の話としても、「理想の上司」などといわれている割りには、自身が希望していた上のポストには行けなかったのだから、皮肉なものだ。

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鬼平犯科帳 木村忠吾はいつ結婚したのか

 今日は少々息抜き気味に、久しぶりに鬼平犯科帳ネタ。
 題名の通り、「木村忠吾はいつ結婚したのか」を解こうということだ。「シャーロック・ホームズ」には、国際的なクラブがあるそうで、入会するためには、極めて難しい試験をパスしなければならないということだ。つまり、ホームズに関する、細かい内容を知っている、つまり、全シリーズの内容を詳細に知っていることを示せないと、入会できないというもので、日本人は数えるほどしか会員がいないとか。逆にいえば、ホームズには、それだけの作品としての魅力と、それから膨大な量の物語があるということだ。
 日本の小説で、そこまでするだけの人気を誇る物があるだろうか。たくさんのひとが原文で読んでいるだけではなく、ドラマになっていて、内容が知悉されていることが必要だ。だから現代小説でなければならないが、私には、第一候補は「鬼平犯科帳」だと思われるのだが、難点は、鬼平犯科帳の内容には、いくつか矛盾があることだ。前にも書いたことだが、平蔵の部屋に忍び込んで煙管を盗んだ船頭の友五郎(かつての盗賊浜崎の友蔵)は、「流星」(8巻)で盗賊の手伝いを無理やりやらされて、島流しの刑になる。(もっとも予告だけだが)それが、「火付け船頭」(16巻)では、もともと働いていた「加賀屋」で普通に船頭をしており、常吉の逮捕に協力している。つまり、作者は、友五郎が島流しになるはずだったことを、忘れてしまったのかと、少々疑わざるをえないのである。このように、物語のなかに、辻褄が合わない点があれば、「試験」をつくるうえで難点になる。そういう例をいくつか「分析」してみようというわけであり、今回は、題名のことを扱う。

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鬼平犯科帳 盗賊の連絡法

 前回、密偵たちと与力・同心の連絡法について考えたが、その最後に、盗賊たちのつなぎについてと予告した。ただ、それを整理していると、どうしても気になることがある。
 「鬼平犯科帳」は、もちろん創作としての小説だから、事実とは異なっているが、しかし、実在の長谷川平蔵が主人公であり、かなりの部分歴史的事実を踏まえている。実際に長谷川平蔵が扱った事件が、題材になっているものもある。だが、ほとんどの物語は作者の創作であり、実在した長谷川家のひとたち以外の人物も、ほぼ創作である。しかし、長谷川平蔵が、実際にたくさんの盗賊を捕らえたことは事実なのだが、盗賊たちのあり方についてはどうだったのだろうという疑問が残るのだ。長谷川平蔵が活躍していた時期に、江戸の街に盗賊がはびこっていたことは、事実であるし、長谷川平蔵が火付盗賊盗賊改方に抜擢されたのが、江戸の大規模な打ち壊しを鎮めるために大きな力を発揮したからだといわれている。

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鬼平犯科帳 密偵との連絡方法

 鬼平犯科帳は、今の時代でいえば、「刑事もの」だから、捜査や連絡の手法がたくさん出てくる。当然、江戸時代だから、科学捜査などはないし、連絡方法も原始的だ。捜査の手法なども、ほとんど現行犯逮捕が主で、証拠を積み重ねて犯人を割り出すなどということが、かなり難しい時代だった。行方不明だった同心の源八が発見されたが、記憶喪失になっていて、行き詰まってしまう。が、発見されたとき身につけていた破れた菅笠の文字から、藤沢あたりの街道にある茶店が特定されるというような例はあるが、他はほとんどが現行犯である。盗賊と思われる人のあとをつけ、居場所と押し込み先(引き込みとの連絡から探る)を探りあてて、押し込む現場を抑えるというやり方である。これが、火付け盗賊改めの本当のやり方だったかどうかはわからないが、指紋や遺留品の科学的分析、防犯カメラなどが使えなかった時代としては、わかりやすい設定といえる。
 しかし、連絡方法については、当時でもいろいろあったに違いない。そこに活躍するのが、密偵たちである。現在でも、スパイはたくさん活躍しているわけだが、実はスパイの連絡方法やものの渡し方などは、古典的な手法もたくさん残っているらしい。だから、鬼平犯科帳の密偵たちの活動のスタイルは、考えさせることが多々ある。

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鬼平犯科帳 密偵たちの誕生とその後

 鬼平犯科帳の魅力のひとつは、たくさん登場する密偵たちの活動である。平蔵直属の、日常的に密偵として活躍する中心的密偵(彦十、おまさ、五郎蔵、粂八、伊三次)とは別に、あるときだけ活動する密偵たちも多数でてくる。そんな密偵たちを紹介しておこう。「鬼平犯科帳」に登場する盗賊改めの密偵は、すべて元盗賊である。町奉行所の同心についている岡っ引きは、必ずしもそうではないし、また、密偵でもない。むしろ、おおっぴらに活動している。しかし、盗賊改めの密偵たちは、元盗賊であるために、昔の仲間に見つかったら、報復され、命があぶない。実際に、密偵になりたてのおまさは、昔の仲間に密偵になっていることを見破られ、拉致されてしまう。あやういところを平蔵に助けられるわけだが、元盗賊だということは、仲間を裏切ったことになり、そこに非常に屈折した感情が入りこむことになる。密偵として、盗賊の捕縛に協力するわけだが、見逃したい相手もいる。とくに中心的な密偵たちは、たいてい、誰かしら、平蔵に昔の仲間の助命を願い出ていて、それを平蔵は聞き入れる。そういう機微が、密偵たちの活動に深みを与えているのである。

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鬼平犯科帳 作者晩年の衰え? ふたりの五郎蔵

 最近、鬼平犯科帳について、あまり書かないが、自分としては毎日親しんでいる。毎日のジョギングのときに、だいたい一話ずつ、録音バージョンを聞きながら走る。毎日なので、当然、何度も繰りかえしており、録音のある話は、完全に頭に入っている。そうすると、やはり、多くは何度聞いても面白いのだが、なかには、聞けば聞くほど、話の展開に不自然さを感じるものもいくつかある。それは、晩年に書かれたものに多い。やはり、高齢になると、すく雑な筋の流れに、矛盾なく、しかも巧みな展開を持ち込むのは、難しいのかも知れない。文庫本の24巻目は、とりあえず長編の形で進むのだが、一話ずつの関連は弱く、その話のなかでの展開にも無理を感じるものが多い。そして、途中で作者が亡くなったために、ここが絶筆という断り書きがはいるのである。つまり、死亡する直前に書き進めていた物語ということになる。それはすごいことなのだが、どうしても気になるのは、「ふたりの五郎蔵」という話だ。前に少し書いたのだが、今回、すべて書き出してみようと思った。物語をずっと振り返りながら、どこに矛盾や不自然さがあるのか、池波正太郎氏が元気なら、どんな展開にしたかを考えてみた。

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鬼平犯科帳 密偵の自害

 鬼平犯科帳には、たくさんの密偵が登場する。いずれも以前は盗賊だったためか、非常にくせのある個性的な存在である。そして、長谷川平蔵直属の密偵として、常に中心的に使われている6名と、途中で登場したり、あるいは、登場する回に死んでしまったりする密偵もいる。そのなかで、死んでしまう密偵は、やはり印象に残るし、考えさせる。
 たくさん活躍している密偵は、たいがい密偵になった事情が語られているが、なかには突然登場して、密偵になった経緯が、具体的にはわからない者もいる。仁三郎もその一人である。
 仁三郎は、連作の「鬼火」事件に、突然いなくなった主人が居酒屋で、見張りをする密偵として登場するが、鬼火事件では、それほどめざましい活動はしない。むしろ、次の「蛇苺」で重要な役割を果たす。といっても、活躍するのではなく、むしろ失敗である。尾行を平蔵に命じられて、二度も見失ってしまい、しょんぼりしているところを、平蔵に「お前ほどの者なのだから」と、非常に困難であったのだから仕方ないと慰められ、次の仕事は必ずという決意を新たにするという役どころである。
 そして、いよいよ、次の話である「一寸の虫」では、その篇の主人公となっている。しかし、ここで死んでしまうのである。

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