五十嵐顕考察29 「教育財政学」はなぜ書かれなかったのか

 昨日は、著作集の編集委員会があり、編集委員会といっても、半分は研究会で、報告と討議がある。昨日は、五十嵐論の総括的な柱の報告があって、時間の関係でほとんど討議できなかったのだが、非常に充実した報告で、興味深かった。この報告について触れることはせず、また、充実したものであることを確認したうえで、私が聞いていて、主に考えたのは、こうした個人の業績を考える上で、研究者であれば、当然書かれた文章を素材にして考察するのだが、(そして、この報告は主要な本を素材にしていた)私は、むしろ書かれるべきであったのに、書かれなかった素材のことであった。もちろん、だれでも、あらゆることを書くことはできないのだが、専門領域については、当然かかねばならないことがある。そして、五十嵐は、東大の教育財政学講座の担当者だったということも、書かねばならないことがあると、多くのひとは考える。それは、「教育財政学」という総括的な著作である。実際に、五十嵐は、晩年それを書こうと努力していたといわれている。しかし、長い研究生活のなかで、ついに、そのような本が書かれることはなかった。

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チャイコフスキーを拒否するウクライナバレエ

 9月1日に放映された深層NEWSをyoutubeで見た。ウクライナ国立バレエが日本公演を行ったことを契機とした番組と思われるが、戦時中にあるウクライナのバレエをめぐる状況が伝えられ、コメンテーターのコメントがなされていた。
 内容は、昨年2月から5月くらいまでは、まったく公演ができない状況になってしまい、また、かなりのダンサーが亡命したという。160人(?)くらいいたダンサーが30~40人になってしまったという。ちなみに、総監督は、若いころからウクライナで学んで、ダンサーになっていた日本人のかただそうだ。ロシアが侵略してきた当初に、兵隊としてキーウの防衛に従事したダンサーが登場して、父親は現在も前線にいるというようなことが語られていた。

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ワードパッドがなくなるようだ

 今日のヤフーニュースに「もうすぐさよならワードパッド」と題する記事があった。
 
 多少驚いたのだが、その驚きの内容は、むしろ、いまでもワードパッドってあったのか、というほうが強かった。たしかに、かなり前には、試しに使ってみたことはあるが、本格的に使ったことはない。いまこの文章を読んでいる人のなかにも、ワードパッドって何?という人も多いのではないだろうか。マイクロソフトのWindowsには、標準で、リッチテキスト編集のためのワードパッドと、プレーンテキスト編集のためのメモ帳というふたつの無料のソフトが標準でついている。ワードパッドは、要するにワープロである。メモ帳はいわゆる「テキストエディタ」だ。

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ジャニーズ事務所の会見

 今回も例によって、わざわざ見たわけではないが、丁度食事時だったので、けっこう長い時間、ジャニーズの会見をみていた。ここのタレントには、まったく興味がないし、今後どうなっていってもかまわないのだが、問題になっていることについては、やはり、関心をもたざるをえないし、また、単純にここにでてきたひとたちを非難するのもどうか、という感じがある。ただ、今回の一連の流れのなかで、普段とは際立って違う現象があったことについては、面白いと思った。他のひとたちには、それほど重要ではないかも知れないのだが。
 第一は、事務所から正式に依託された第三者委員会である再発防止委員会が、依託先にたいして、遠慮会釈のない厳しい報告を提出したということだ。責任者に、元検事総長の林氏をすえていたことで、事務所もかなり本気で受とめていると感じていたが、あれほど依頼主に忖度しない報告も珍しい。そして、その提言にしたがって、藤島社長が退任し、所属タレントの最年長である東山紀之氏と、タレント養成のためのジャニーズアイランドの社長をしている井ノ原快彦氏、そして弁護士が出席していた。新しい社長は、いろいろな人に頼んだが、いずれも断られ、結局、所属タレントの東山氏がやらざるをえなくなったという事情らしい。

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アシュケナージのこと 2

 アシュケナージのソロ集が届いて、けっこうな枚数聴いてみたが、あらためて、この曲はこう弾かれるべきものだ、という確固たる安定感があることに気がつく。それは、ベートーヴェンでも、シューベルトでも、シューマンでもそうなのだ。特別に個性的な演奏ではない、というより、そういうことをまったく志向しない、ごく標準的な解釈で、充分に音楽として感動できるのだ、という姿勢だろうか。

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マイナンバー・カード再論 老人はみなデジタル音痴なわけではない

 文春オンラインで、紙の健康保険証をマイナンバー・カードに一体化して、紙を廃止するのは、老人ファシズムであり、また、リベラルのラッダイト運動であるという批判を展開している。紙の保険証問題については、前にも書いたが、こういう議論がでているので、反論せざるをえない。 “マイナンバー・カード再論 老人はみなデジタル音痴なわけではない” の続きを読む

最近のウクライナ情勢

 ウクライナの大規模攻勢が、予想したほどの進展をみせず、膠着状態が続いているように見える一方、ウクライナの汚職報道も目立っている。そして、ロシア内の爆発や火災などが目立つ。鈴木宗男氏が、テレビに出演して、ロシアは負けない、北方領土は、2島以外は日本が正式に放棄している、というような話を、例の口調で「熱弁」していた。
 もちろん、専門家ではないので、正確なところはわからないが、できるだけ情報を集めている。それをもとに、以下、自分なりに想像していることである。

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大谷をトレードで獲得するとは考えにくい ドラフト・トレードを考える

 スポーツ関係のニュースでは、大谷のトレードが毎日話題になっている。大谷をトレードにださないのは、罪だ、というような論調の記事すらある。しかし、常識的に考えて、現時点で大谷をトレードで、ほんとうに獲得しようとする球団などあるのだろうか。藤浪のトレードはわかる。もともと、給料のやすいチームだから、トレードでも見返りがそれほど高い人材を求められるわけではない。そして、当初は、最悪の投手とまでいわれたのに、以外と実力がありそうだ、というような選手だから。もっとも、まだまだ不安な投手だと思うのだが。
 しかし、大谷の場合には、獲得するといっても、かなりの見返りが必要だが、今年のシーズンが終わったら、FAになるわけだ。そこで、他のチームを選ばれてしまったら、大量の見返りを放出してやっとトレードで獲得した大谷がいなくなってしまうわけだ。トレードは本人の意思とは無関係だから、生きたいチームにいくわけではない。しかし、FAは、自分が生きたいチームを選択することができる。つまり、トレードで獲得しようとしても、かなり大きな危険性をおかすことになる。少なくとも私がオーナーで、獲得するかどうかを決める権限をもっているとしたら、トレードは考えず、FAで獲得するために全力をつくすだろう。多くのチームの責任者は、同じように考えるのではないだろうか。騒いでいるひとたちは、多くがスポーツジャーナリストであって、経営者ではないだろう。
 しかし、トレードというのは、不思議なシステムだ。ドラフト、トレード、FAという3種類の選手獲得・移動の手段があるが、選手本人の意思が主体となるのは、FAだけで、ドラフトとトレードは、選手本人の意思は考慮されない。

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高齢者優遇政策ってほんとうか?

 私もとうとう後期高齢者になってしまった。そして、一月後、市から封書がとどいた。市からの封書などは、まあろくなものはない。だいたい税金関係だ。そして、案の定、税金関係の書類だった。後期高齢者保険証というのがあるのだが、私はまったく知らなかったのだが、実はこれに、特別の保険料がかかるというのだ。もちろん、定年退職しているので、国民健康保険になっており、先日保険料を納めたばかりだ。さらに、後期高齢者健康保険の保険料が必要だというのである。しかも、通常の保険料より高額なのだ。びっくりした。たしかに、後期高齢者になれば、医療機関を利用することも多くなるだろう。しかし、それは通常の国民健康保険で充分だ。なにか特別に後期高齢者健康保険でなければ対象とならない疾患でもあるのだろうか。そもそも私は、ほとんど医療機関を利用しない。昨年は一度も病院にいかなかった。今年になって、目がかなり充血したし、目を酷使しているので、眼科にいったが、ごく簡単な治療で、目薬をもらって終わりだ。

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夭折した演奏家 3 ディヌ・リパッティ

 楽器別に選んでいるわけではないが、チェロのデュ・プレ、バイオリンのヌヴーだったので、ピアノはやはりディヌ・リパッティということになるだろう。前の二人と同様に、今でもその早い死を惜しむだけではなく、CDを愛聴しているひとたちが少なくない。なにしろ亡くなったのが1950年だから、70年も前になるのに、新たな人気を獲得しているようにも思われる。しかし、現在現役で活躍している音楽家のほとんどは生まれていないわけで、実際にリパッティを実演で聴いた人は、ほとんどいないだろう。1917年に生まれ、50年に亡くなったルーマニア人である。しかし、後年はルーマニアには帰らず、母親も病気見舞いとして、ディヌが住むスイスにやってきた母親もスイスに亡命したという。共産化しか体制を嫌ったということだろうか。ルーマニアの演奏家は他にクララ・ハスキルやチェリビダッケがいるが、品格のある演奏をする人が多いようにおもわれる。正直なところ、私個人は、ハスキルのほうをよく聴いたし、ハスキルは好きなピアニストだ。ボックスももっている。
 リパッティは、白血病といわれていたが、実際には、ホジキンリンパ腫という病気でなくなったのだそうだ。広義の癌の一種なのだろうが、現在ではかなり治療法が進んでいて、生存率も高くなっている。だから、現在に近い世代であれば、33歳という若さでなくなることもなかったかも知れない。

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