前回の優秀書き込み
これは前から知っていたようで、本を読んでいたので、書きやすかったということでしょうが、本で読んだことと、テキストに書かれていること、授業で扱ったことを踏まえて、書いている。他の授業で、女子高校生監禁殺人事件の件で質問されて、読んだ本と授業での扱いが少し違うという質問を受けたのですが、その方でしょうか。
それはいいとして、違うと指摘されたのは、両親が女子高校生に会った回数が違う、本だと、もっと会っていて、帰るように説得した回数も一回ではないというような話でした。また、その両親が政党の活動家であったようなことは、本には書いていないという指摘でした。
もちろん、資料によって事実関係の書き方が異なることはありうることで、著者は書いたことをすべて書くわけでもないし、名誉を考えて、あることを付せて書くこともあるでしょう。本は独自に著者が取材をして書いた、また、裁判記録や、政党の機関紙は別の情報源から書いているので、書かれている事実が異なることはあるでしょう。
両親が高校生にあって、帰るように説得した回数が異なるというのは、例えば後になるほど、自己弁護的に回数を多めにいうということはあると思うのです。また政党の活動家であったことは、部外者はなかなか書きにくいという事情があります。私が主に材料としたのは、裁判記録や当時の新聞、それから政党の機関紙等ですので、それはそれとして正確な情報だろうとは思います。もちろん、別の見方もありますから、みなさんは、いろいろな資料を使って、その違いを考慮しながら、真実を構成していけばいいのではないかと思います。
そういうことを踏まえて、いろいろと書いているので、後で読んでください。
この事件については、本も出ていますし、また、この書き込みで、最初にインターネットで検索したところ、20万件ヒットしたと書いてあります。この20万件が全部この事件を扱っているかどうかはわかりませんが、とにかく今でもインターネットでは、非常に大きな関心を集めている事件であることは確かです。この少年たちが出所してきたときにも、相当話題になりましたし、また、別の事件を出所後におこしたりしていて、その度にこの事件が思い出される形で、その後も何度も話題になっています。
いじめ事件のロールプレイ(役決め)
テキストを読んできたと思いますが、東京中野区の富士見中事件ですが、そのときに、葬式ごっこというをやって、それがこのいじめ事件のキーワードになっています。その葬式ごっこに教師も加担してしまったことが、大きな話題になり、問題視されています。毎年、先生役といじめグループ役に分かれて、ロールプレイをしてもらっています。
葬式ごっこについては、あとで詳しく説明しますが、とにかく、鹿川君をいじめるための葬式ごっこをやることを企画し、生徒が色紙にサインしたあと、先生のところにもっていって、先生にサインを頼むのですが、結局、先生がサインしてしまうのです。それは非常にけしからんと思いますね。でも、けしからんと思うだけで、真実がわかるか、という疑問もありますので、ロールプレイをやってもらっています。ロールプレイをやると、そんなに簡単に、教師が生徒を説得できるわけではないことが、おそらくわかると思うのです。一応毎年募っているのですが、毎回やってくれる人がいるわけではないので、2年に1度くらいはやっています。もちろん、単なる発言ではないので、ロールプレイに参加してくれた人は、発言2回分にカウントします。
自分はいじめ役の説得にまけずに、そのプランを止めさせる自信があるひと。そういう人は、先生役に応募してください。また、逆に自分はそういう先生を説き伏せて、サインさせることができるという自信があるひとは、いじめグループ役に応募してください。
どうでしょうか。
(2グループ決める。決めるプロセスは略)
いじめ事件の概要
いじめの問題というと、深刻になった場合、自殺を考えると思うのです。今回扱うのも自殺事件です。ただ、いじめが深刻になった時期にすぐ自殺が起きたのではなく、一定の期間経った以降なのです。その前は復讐するという時期がありました。いじめの被害者が加害者に復讐して、殺害するという事件が1960年代から70年代にかけて起きています。僕が中学や高校の生徒や大学の学生だったときには、いじめによる自殺というのは、あまり起きませんでした。むしろ被害者が加害者を呼び出して、ナイフを用意していて、いきなり刺してしまう。相手を殺すくらいですから、そうとう悲惨な被害を受けていることがほとんどでした。それで同情されて、あまり厳しい罰を受けることはなかったようです。しかし、それは罰せられるわけです。殺人になってしまう。
そのことが理由かどうかはわかりませんが、むしろ、被害者が自殺するようになっていきました。それが70年代終わりから80年代以降です。その重要な転換点になったのが、林賢一君事件です。埼玉県で、今もあるかどうかはわかりませんが、昔上福岡市というところで起きた事件です。東上線沿いの地域で起きました。林賢一君は、通称で、実際は在日朝鮮人でした。在日の人は日本名をもっているので、普通は在日であることがわからないのですが、林君の場合には、おばあさんがチョゴリという朝鮮の民族服を来ていたので、地域の人にはよく知られていたのです。そのために、民族的な差別でぶっと小さいころからいじめられていたのです。中学になっていじめが激しくなり、民族差別という理由ですので、教育委員会が非常に深刻な反省をして、民族差別を無くすための教育をするようになったそうです。
林賢一君は非常にかわいそうなくらいにいじめられていたようです。みなさん、卒業のときに、サイン帳をまわして、お互いに頑張って、元気で、というような励まし合うようなことを書きあうと思うのですが、林君の場合には、サイン帳を回したのですが、そこには「死ね」というようなことばかり書いてあるのです。この事件を取材した本があるのですが、(『僕、もうがまんできないよ』)そこにこのサイン帳の書き込みがそのまま印刷されていますが、誰一人として、いいことを書いていないのです。それだけ偏見が強かったということで、結局死んでしまうのです。林君の場合には、いじめから逃れるという性格が強かったのですが、その後、自殺によって復讐するというタイプの自殺が出てきました。死ぬときに、遺書を残して、自分のいじめた加害者を列挙する。そうすると、加害者に対する社会の非難が高まりますので、そういう効果をおそらく狙っているのでしょう。もちろん、自殺そのものをさけてほしかったし、いじめが解決されるべきだったと思うのですが、そういう復讐的自殺と見られるものが少なくなかったことは事実です。
いじめも、その後、だんだんエスカレートするようになり、通常のいじめのイメージを超えた、恐喝などを含んだいじめがでてくるようになった。その端的な事例が大河内清輝君事件と言われるものです。そして、この大河内君事件が、文部科学省のいじめ対策を大きく変えることになりました。現在文部科学省がとっているいじめ政策は、この大河内君事件に端を発しているということができます。この事件をきっかけに、全国にスクールカウンセラーを設置する政策が出され、文教大学に臨床心理学科が出来たというような動きになっています。
いじめ統計の問題
また、いじめを考えるときに、統計がとても重視されますが、統計は、かなり注意して読み取るべきであるといえます。統計一般にそうですが、特にいじめの事件の場合には、注意が必要です。なぜかというと、全国的に利用される統計は文部科学省が出します。文部科学省はその数値を出すかというと、県の教育委員会の報告を集計したものです。県は市町村の教育委員会の報告を集計したものです。市町村の教育委員会は、学校の校長の報告を集計したものです。ですからいじめ統計というのは、各学校の校長が把握している事態の総計なのです。つまり、校長が把握していないいじめは、統計に入ってこないのが普通です。いじめの多くは、先生が知らない場で行う。だから、先生はいじめを正確につかんでいるわけではない。だから、いじめ統計はどうしても実態と違ってくるのです。
その違いを端的に表している例をあげてみると、1997年くらいから、2005年くらいまで、いじめによる自殺は0であると、文部科学省はずっと報告してきたのです。ところが、その時期の新聞を検索しますと、その時期にいじめによると思われる自殺の例が出てくるのです。ということは、この子は自殺したが、いじめが原因ではなかったということに、どこかで処理されると、統計上、いじめによる自殺として出てこない。
また、文部科学省のいじめ統計をみると、だいたい毎年8割くらいは解決していると書いてあります。みなさんの実感に合いますか?もちろん、先生たちの取り組みによってです。これも、教師が認識し、校長に報告されて、教育委員会を通じて、文部科学省にあがっていく。そうした数値なのです。それはそれとして、大事な数値であると思うのですが、やはり、ことがらの一面しか表していないと考えるべきであって、別の統計が必要であると考えるべきでしょう。
(鹿川君事件の概要)
事件の概要を紹介しながら、どういう問題点があるかを整理しておきましょう。
場所は、東京都中野区の富士見中学で起きました。いじめに関する新しい要素があったということもあり、自殺ですから注目されたわけですが、実は、中野区は、教育委員の選び方を独自の方式で選んでいましたので、そのために注目された面もあります。(補足 現在教育委員は首長の任命によるが、以前は公選であった。つまり住民が選挙で選んでいた。その方式を支持する人たちが、「準公選」という制度をつくって、事前の投票をやっていた。結局文部科学省の圧力もあり、また、それを支持しない区長が当選して、現在は行っていないが、かなり長い間実施されていた。)
鹿川君は、当初はいじめグループであった。これが事件のポイントの一つです。最初いじめグループだったのです。ところが、いじめのターゲットが転校してしまった。こういうことはよくあることです。ひどいいじめを受けていた生徒が、学校に対応を申し入れていたが、学校側が適切な対応をしてくれない。それでは生活が壊されるので、他の学校に移る。移れば、当面そのいじめは受けませんので、その生徒へのいじめは解消されることになる。しかし、いじめを行っているグループからみると、いじめをすることが彼らにとって必要である場合、ターゲットがいなくなれば、別のターゲットを探すことになる。
この場合、ターゲットがいなくなったので、鹿川君は、ターゲットに少しずつなっていった。体が小さかったために、グループの中で、いわゆるパシリと言われる存在だった。荷物をもて、とか、買い物行ってこいとか、歌ってみろ、などというレベルだったのが、段々激しくなる。最初のターゲットが転校したのが、一学期の終わりでした。夏休みを経て、9月になると、鹿川君が次第にターゲットとなっていく。ふざけのようないじめが、だんだんエスカレートしていく過程の中で、グループが葬式ごっこをやろうということを考えだす。
みなさん、知らないと思いますし、僕も名前しか知らないのですが、ドリフターズの「8時だよ、全員集合」という非常な人気番組がそのころあったのです。そのなかで、葬式ごっこ的な内容が組み込まれていたのだそうです。僕自身は、ドリフターズを知っていましたが、その番組を見たことはないので、どういうものかわからないのですが、聞くところによると志村けんが、毎回死ぬことになって、遺影を飾られて、葬式を行うような場面なんだそうです。知っている人いますか?
この番組はとても人気があったので、今DVDになっているので、この部分を見たいと思って、チェックしたのですが、葬式ごっこの内容は入っていないのです。
学生 志村けんが死んでいる役なんですけど、棺桶の中に入って、まわりの人が悲しんでいるんですが、オチ的には、志村けんが生き返るんです。
太田 生き返るんですか?生き返ってどうなるんですか?
学生 けっこうまわりの人の親族役の人が、ひどいことを言っていて、それで生き返るんですよ。
太田 なるほど。そういう番組だそうです。それをやろうということになったのです。正確なことはわからないのですが、人気番組って、学校でまねをしますね。それでかなり多くの学校で、葬式ごっこをやっていたのではないかと言われています。前に、学生で、自分たちもやっていました、という人がいました。ところが、話題になったのは、この事件だけです。
とにかく、このグループは、鹿川君を死んだことにしようということで、鹿川君には知らせないで、たぶんたまたま欠席していたのでしょう、授業中に色紙を回したのです。その色紙にサインして、ご冥福を祈りますというようなことを書く。男子は全員書いたと言われている。女子の数名が、そんなことに加担できないと拒否したそうです。最近は女の子の方が正義感が強いのでしょうかね。止め役も女子の方が多いということを聞きますが。
鹿川君は、そういうことは知らなかったようです。秘密裏に行われている。クラスの生徒が書いたあと、先生にも書いてもらおうということで、先生のところに交渉に行くわけです。その場面をやってもらうことになるので、よろしく。
みんなでいって、先生を説得するのですが、もちろん、先生は、ああそうか、といって、簡単に書くわけありませんから、先生は抵抗します。しかし、いじめグループの方がとにかくしつこく、しつこく、巧みに説得をしようと試みまして、最終的に先生たちが負けてしまい、4人の先生が色紙にサインをしたのです。そうして、当日朝、鹿川君の机に、遺影のようにした写真と、花と色紙を飾っておいた。登校してきた鹿川君がそれをみて、かなりショックを受けたようです。家に帰って、俺は死んだことにさせられたと、悲しそうにいったそうで、特に、先生までサインしていたことに大きなショックだったようです。 その後彼は、こんなことをするグループは友だちではないということを感じたのでしょう、グループから抜けようとします。しかし、グループからみると、いじめの重要なターゲットですから、抜けようとしたことは、かえって、いじめを激化させる結果になりました。それまでは、なんとなくふざけの延長的なものだったのですが、暴力的ないじめに変化していきます。
だんだんいじめが激しくなってきたのですが、グループから抜けて、僕たちと仲良くしようというように、鹿川君を応援してくれる人たちもいたようですが、グループの人たちがそれを許さない。どんどんエスカレートしてくる。
では、学校の取り組みはどうだったのか。
諸説あるのですが、いろいろな資料をみると、この学校はいじめが横行していて、鹿川君のいじめだけではなく、むしろもっと大変な事例があったとも言われています。学校側は相当真剣にいじめ対策をしていたのですが、80年代の学校とは、荒れているところがあって、いくら先生が対応をとろうとしても、後手後手になって、ほとんど効果がないというような例がいくつもありました。一番深刻なものに対応していると、3番、4番手のものはおろそかになってしまう。鹿川君の事例は、あまり深刻視されていなかったとも言われています。もともと仲間だったということが、先生たちの意識に影響していたと考えられるのです。そうこうする内に、鹿川君は盛岡まで出かけて、JRの駅の構内のトイレで首をつり、遺体で発見されました。もちろん、家出状態になっていたので、探していたのですが、遠くで発見されてしまった。
遺体の脇に遺書がありまして、「このままでは、生き地獄になってしまう。**、**もうそんなことやめてくれ」というような走り書きのメモでした。
このときに、先生側がどう対応したかということですが、さすがに担任の先生は、サインをしたことを心配して、学級でのホームルームで、「あれはなかったことにしてくれ」と言ってしまったようなのです。そういうことを言わなければ、事態は違っていたかも知れないのですが、言ったことによって、かえって、それが早く知られ、問題視されるようになりまして、この事件を「葬式ごっこ」の事件と言われるようになったのです。生徒たちは腹をたてたのです。生徒も加害者ですから、どっちもどっちという面があるのですが、とにかく、世間的に葬式ごっこが有名になってしまった。つまり、担任教師がいじめに加担して、自殺まで引き起こした、という、かっこうのメディアによる学校批判の材料になった感があります。
担任の先生は、実際には、この事件が名目上の理由ではないのですが、懲戒免職になりました。名目は塾の講師をだまってやっていたということだったのですが、実際には、この事件の責任を取らされたということでしょう。いじめを解決できなかったために、処分されることは、今の法律体系ではありません。
裁判になりましたので、裁判上の論点がいくつもあります。
事実経過での質問はありますか?
学生 葬式ごっこを先生は見ていたのですか?
太田 正確なところはわかりませんが、見たと思います。もっとも、写真をかざったりしたことが葬式ごっこで、お経をあげたり、いわゆる葬式のまねごとをやったわけではありませんが、そういう写真やサインを飾ってあったことは知っていたはずですね。サインをしたわけですし。
学生 そうした葬式ごっこがいじめであるということは認識していたのですか?
太田 それはいつからいじめであったかという問題が絡んでいるわけです。それに関しては、複雑な形になりますね。まず先生がいじめを認識していたということは間違いないです。母親にいじめられていることを前提にした手紙を書いているのです。もっと強くなってほしいというような趣旨だったようですが。葬式ごっこがいじめと思わないことは不自然であるし、また、そう思ったからこそ、長時間抵抗して、サインしなかったわけです。だから認識していただろうと思います。担任の先生は、みなさんは、酷い先生だと思うかも知れませんし、また、いじめを解決できなかった弱点はあると思いますが、この先生は、通常の意味では優れた面もあったと思っているのです。僕は。辞めさせられたあとも、自分がこの事件の当事者であることを隠そうともしなかったそうです。
ただ、当初はグループの一員でのふざけから始まったことは事実なので、深刻な認識をもつようになったのが、遅かったという弱点はあったと思いますが、認識していたことは事実です。また、葬式ごっこが問題ある行為であったと思っていたことは、「なかったことにしてくれ」と言ったことからも、逆にわかりますね。
学生 そのグループがいじめグループであったことは認識していたのですか?(あまりよく聞き取れず。)
太田 それはそうですね。鹿川君の前は、かなり酷いいじめをやっていて、対策をとろうとしていたわけですから、このグループのことは、認識していたと思います。
この学校は当時、生徒の方が強いという状態だった。今でも学級崩壊になると、そうなりますが、生徒が教室を支配してしまうような状況になる。先生が支配できなくなってしまうわけです。この学校が、かなりの程度、そうなっていた。先生はなんとか対応しようとするのだけど、生徒の方が強いので、先生の対策が有効でない、負けてしまうというような状態だったのでしょう。だから、分かっていたことは間違いありません。
学生 この時代はいじめが多いと先生は言いましたが、
太田 この時代いじめが多かった、と言いましたっけ?
学生 はい
太田 この学校はいじめが多かった、と。
学生 クラスのいじめに、手が回らなかったということは、他にもいじめがあったということですか?
太田 このクラスの他に、ということですか?それは正確にはわかりませんが、たぶんあったと思います。学校全体としても、いじめが相当数あって、先生たちは対応に追われていたと書かれています。他のいじめが、この事件のように悲劇的結末には至っていないので、触れられていないのです。でも、あったと思います。
学生 サインをもらうというのは、それでどういういいことがあるのですか?
太田 いじめグループの快感みたいなものでしょうかね。
学生 それは参列者がサインするみたいなサインですか?
太田 いわゆる葬式ごっこ風にやったわけではなく、写真、花、色紙をかざって、その色紙の中に名前があるということです。
学生 なるほど。
太田 こういういじめグループからすると、先生を屈伏させたというような支配欲的な満足感だと、僕は思います。
では、ロールプレイをやってみましょう。
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ロールプレイ1(職員室)
生徒 失礼します。先生こんにちは。
先生 職員室に入るときは、帽子とりなさい。
生徒 すいやせん。えっとですね、こんど、僕たちのクラスでみんなで、ドリフターズで話題になっている葬式ごっこやりたいんですけど。知ってますか?
先生 先生はドリフターズ好きだけど、学校でやることじゃないよね。
生徒 みんなで、遊びたいんですよ。葬式ごっこで。
先生 そういうのは学校で、遊びでやることじゃないんじゃないの。
生徒 いや、テレビでもやっているし、はやっているし、
生徒 クラスの女子なんか、やりたいやりたいって言っているんですよ。教室で。先生もやったら面白いかな、って。それでけなんですけど、先生のサインもほしいみたいな。あったら面白いじゃないですか。鹿川もかなりショックじゃないすか。
生徒 そうだそうだ。「えっ先生も」みたいな。
生徒 それを狙いたいだけなんす。おれたち。
だからほしいな。そうだそうだ。
先生 だれが楽しそうって言っているの?
生徒 みんなですよ。そうそう。みんな乗り気で。
先生 それをやることを鹿川君は知っているの?
生徒 ぜんぜん。超乗り気で。まじで。むしろ「僕でいいですか?」みたいな。そんな感じです。乗り気です。今日は休んじゃっているんだけど、家でスタンバッているから、こういう幽霊なんか、つくって頑張ってもらっているんだけど。
先生 鹿川君が知っているなら、楽しそうだけど。
生徒 そうでしょ?わかるでしょ?先生、お笑いのセンスあると思うよ。
先生 でも、先生は書いちゃいけないから書けない。やるなら、
生徒 それはないよ。みんなも書いてんだも。書いてよ。先生がないと。面白いじゃん。絶対。
生徒 先生がいないと面白くないんです。
生徒 そうなんです。
生徒は僕らは完全な葬式ごっこしたい。先生が名前書かないと、
先生 みんながやれば、先生なしでも
生徒 あまい。先生なくして、このクラスは成り立ちません。
先生 でも、教師という立場上、そういうことに名前を書くことは絶対にできません。
生徒 どこが問題なんですか?
先生 いじめとかになったら。
生徒 なりませんよ。一緒に遊んでいるのを見ているでしょう。俺たち超なかいいですよ。
生徒 一番なかいいんですよ。この間も1000円貸してもらったよう。
先生 いつまでもちゃらちゃらしないで、勉強しなさい。
生徒 先生、俺たちの中で葬式ごっこやるのがどんなだってわかってないしょ。(よく聞き取れず)みんなね。
生徒 となりのクラスなんて、既にやってて、となりのクラスから、葬式ごっこやっていないと省かれる。「え、おまえら、葬式ごっこやっていないの」って感じ。
生徒 残されているの俺らだけ。正直。
生徒 超遅れてるって。
生徒 となりのクラスは先生がサインしてくれたんだよ。
先生 みんながばかにされたら、先生が守ってあげるから。
生徒 いやいや。やばいよ。そんなに重いもんじゃないから。普通に。人としてね、遊ぼうようって。名前書いてくれれば、出席とかしなくていいから。
先生 最初は遊びでも、鹿川君が傷ついたら。
生徒 鹿川から、葬式ごっこやんねえ?っていわれて、いいよって。
生徒 あいつから、どうせなら、みんなのサインほしいって。葬式ごっこの主役だから。
先生 じゃ、明日鹿川君一緒にきて、書いてっていったら、書くよ。
生徒 いや、ちょっと、まって、腹痛くて、職員室には来れない。職員室アレルギー。
生徒 鹿川も先生のサインないとやる気ないし。
先生 ホームルームのとき。
生徒 となりのクラスもみんなやってて、鹿川が先生の名前集められないと、前のクラスに、お前先生の名前もらえなかったのって。
生徒 鹿川が見ているところで先生が書いたら、リアリティないじゃないですか。
葬式ごっこですから、亡くなる予定です。亡くなるのに、いるなかで、鹿川君さようなら、なんて書いたッて、リアリティないじゃないです。鹿川君いないところで、書くことに。
先生 でも、みんなそれでもいいんじゃないの。
生徒 だめです。100%。
先生 じゃ、鹿川君ころさないで、山崎君とか。
生徒 いいんだけど、鹿川がやりたいですって。先生わかっていない。鹿川がどんなに熱意もっているか。山崎じゃ、役不足なんですよ。オーダーメイドですから。
−−−−
太田 では、これまで。
第二グループ
生徒 失礼します。今、クラスで劇つくっていて、鹿川君が交通事故で死んじゃった子の役やっていて、色紙つくってて、リアルにしたいから、先生のもほしいんですけど、ここに書いて下さい。
先生 なんで、その劇やることになったの。
生徒 老人ホームで発表するのに、この前、ボランティアで老人ホームいったら、老人たちが、劇やって、っていうから、交通事故で死んだ子を弔う、感動の劇を作っていて、先生にも参加してほしいんですけど。
生徒 先生もドリフ知っているでしょう。今はドリフしかないでしょう。老人ホームでは死んじゃって信者って、涙あり、笑いもあり、みたいな。それをやりたいわけよ。
生徒 死ぬなんて怖くないみたいな。
生徒 明るくね。いってらっしゃないって、言ってあげよ。そんな会。先生の名前がほしいわけよ。
生徒 リアル、リアル。
先生 おじいちゃん、ドリフしらないと思うし。
生徒 いゃいゃ、おじいゃちん、超力説していたよ。超天使(よく聞き取れず。)
先生 おじいさんたちの前で葬式やるって、リアル過ぎるかな、
生徒 リアルだからこそ、現実を受け入れるっていう。強さを求める。
生徒 おじいさんは、おいさきないんで、って絶対いうから、これからも先があるって、ことを知らせてあげたい。死って悲しいことですよって。
死はかなしいから、すぐ死ぬっていわない。もっと生きる楽しさを知る。
生徒 死にたくなっても、
先生 でも、やっぱ、葬式ごっことかではなくて、もっと、何かを乗り越える感じの劇にしたほうがいいんじゃない。
生徒 葬式も明るくしちゃいましょうよ、ってそういう。笑い飛ばそうな。暗いものと考えないで、死も楽しいよ、って、要するにお笑いですよ。正直。
生徒 先生はいじめなっか考えてるけど、違うんだよ。まじで。遊び。なんでもないんだよ。
先生 いじめとは思ってないけど、葬式ごっこみたいなものではなく、部活とかで、
生徒 クラスで話し合ったことで、決まったことだし。鹿川も脚本書いちゃっているから。明日だしね。今日金曜日で、発表、土曜日だから。
生徒 今もらって、老人ホームにいって、先生の許可もらって、ということで、劇できるんですよ。おじいちゃんのためにも、サインもらいたいんだよね。
生徒 先生お願いします。
先生 絶対だめ。先生のサインなくても。
生徒 **先生に書いてほしいんですよ。
先生 先生の知らないところでボランティアでやったんでしょう。
君たちだけでできるんなら、君たちだけで。
生徒 ボランティアの人に、**先生の名前が必要だと言われているんですよ。
生徒 クラス全員でやっているということにしたいんですよ。
先生 鹿川君が作ったんだっけ?
生徒 いいだしっぺ。
生徒 鹿川君、今原稿作るのに忙しくて、ここには来れないんで。
生徒 鹿川君本人がきて、話し合ったら、いいんだけど。
先生 でも、鹿川君がもしかしたら、嫌がるかも知れないじゃない。
生徒 鹿川君、原稿作っているもん。
生徒 全然嫌がっていない。まじで。さっき言った通りだけど。超乗り気だよ。
−−−−−−−
太田 たぶん、いじめグループは、こういう感じでやったと思いますよ。先生たちは、プロですから、もっといろいろと抵抗したと思います。
昨年までのグループだと、先生は一人でしたが、もう少し、理屈でおしてましたね。道徳教育的観点から説教するような感じでしたかね。でも、理屈でいこうとするんだけど、理屈でいくと、なかなか難しいのですよ。鹿川君をつれてきなさい、というようなことを言ってますが、本当にそう言ったら、説得側にとって、チャンスではないでしょうか。実際に鹿川君をつれてきて、自分もやりたいです、といわせるでしょう。実際にはいやだとしても、強要するでしょう。今は、鹿川君が忙しいと逃げていましたけど、たぶん、そんな逃げは必要ないでしょう。むしろ、先生が巻き込まれてしまう。
聞いていた感想はどうでしょう。今は5分程度でしょうが、実際には1時間くらい粘ったと思います。明らかにいじめグループの方が優勢ですね。もちろん、先生という立場がありますから、これはできないと言い続けたとしても、どこかで根負けしてしまうという状況だったのではないかと思うのです。ああいうグループを説得するというのは、力関係的に、普通教師が上なのに、それが逆転しているときには、説得自体がすごく困難になってしまう。これは学級崩壊などで、今でも起こっていると考えた方がいいですよ。教師はどうやったら、それを乗り越えることができるのか、と考えなければならない。この事件をみると、なんで、あのとき先生は書いてしまったのか、と批判することはやさしいのですが、だけど、実際にどうやって、グループの要求をはねのけることができるか、説得できるか、ということは、とても難しい。それを分かってほしいと思って、やってもらったのですが。困難さは実感できました?
最初のいじめグループは統制がとれていたので、あれで1時間やられたら書いてしまうなあ、という感じはでていましたね。
学生 最初に生徒に言われたときに、先生が弱気でやらない方がいいのではないかと思いました。最初に書かないと強くいって、そこから、葬式ごっこが、道徳的にだめだということをしっかり言わなければいけないと思います。
太田 先生役はどうして、しっかり言えなかったのでしょう。もっと毅然とした態度をとるべきだったのではないかという話ですね。
学生 いきなり頭ごなしにだめという言い方が、おしつけで、かえって、意見を押し通そうとすると思うので、やわらかく行こうと思って。逆に今回は押されちゃったんですけど、いきなり全否定みたいなのはどうかなと思ったので、最初は柔らかくと思っていました。
学生 そういう風に弱気にいくから、先生は押されてしまうのではないか。
太田 ああいう雰囲気の中で、強気を貫けるかというのも大変ではありますね。最初のグループが巧みに言っていたんだけど、遊びなんだ、鹿川君も承知している、みんな盛り上がっている、という中で、だめだめだめ、というのが、貫けるか、難しいですね。遊びなんだというので。もちろん、遊びなんだけど、本当はいじめなわけで、でも、当人たちは遊びといっている。そういうポーズがとれる。しかも、テレビでやっている。そういうことになると、あなたの言っていることか間違っているということではないですけど、その場の雰囲気としては、難しいということがある。
やった人も難しいと思ったから、柔軟路線をとったのだろう。
たぶん、担任の先生は、むしろ、道徳的に対応したと思いますよ。だからこそ、一時間粘った。
この事件をもう少し考えてみよう。
裁判になりましたが、一審と二審とで、認定において、相違があるということをテキストに指摘してあります。いじめをどう認定するか、という点で、判決で相違が出たのです。葬式ごっこがあって、本人が抜けようとおもって、いじめが暴力的になった時点で、それがいじめであることは明らかですが、その前の、「かばんもて」とか、「買ってこい」というようなことが、いじめであるのか、これについては、ふたつの判決が分かれたのです。みなさんは、どう思いますか?みなさんが、担任であったときに、そういう感じのグループをいじめと見なすのか、どうか。
あきらかに、暴力的にいじめているのに、加害者たちは、「これはプロレスごっこです」と言い訳をする場合もありますから、荷物もたせたり、歌わせたりするのは、遊びだということは、よくあるパターンです。プロレスごっこになると、被害者はかなりやられているわけですから、いじめと認識するのが、当然でしょうが、パシリ的なものは、見分けが難しいと思われます。裁判の場合は、認定によって損害賠償額が影響されますから、正確に線引きしますが、実際の教室でのできごとは、線引きを明確にすることは難しいでしょう。
みなさんとしては、葬式ごっこの前は、いじめなのでしょうか。
学生 いじめの行動がパシリなどは、軽いものだと思いますが、やらされている本人がつらいとか、いじめと感じたりすれば、それはいじめですから、被害者や加害者とコミュニケーションをとらずに判断するのではなくて、どちらにしても、被害者と話し合って、気持ちを理解して判断すべきだと思います。
太田 被害者の主観によって違ってくるのだ、ということですね。
例えば、鹿川君が、グループ内で遊んでいるだけです、といえば、それはいじめではない。
学生 私も同じ意見なんですけど、自分がされていやだなあと思うこと、パシリだったり、歌わせられるということだったり、その時点で、いじめだと思います。
太田 ちょっと違いませんか?前の人は、本人の意思によるけど、あなたの場合は、行為による、というような聞こえますが。つまり、パシリをやっている人が、これは遊びだ、自分の役割だと思ってやっていても、いじめであるということですか?そうではないんですか?
学生 やっぱり、他の人からみても、自分がされて、嫌なことを他人に押しつけることは、いじめに入るのではないかと思います。
太田 一般的にいやだとされることをやったら、本人の意思とは関係なく、いじめである。
学生 そういう場合は、本人も嫌だ思うのではないかと思うのです。
太田 それは非常に微妙で、鹿川君は、これが自分の役割だと思っていた、あるいは、思っていなくても、聞かれたら、そう答えた可能性はありますね。本心との間に多少のずれがあったとして。いじめの被害者って、素直に言いませんよね。
学生 私は、ふざけやっている遊びといじめの境は曖昧だと思うのですが、許されるふざけと、許されないふざけが、境目だと思うのです。いじられる人、まわりにいじられたり。
太田 いじりという言葉ですか?先日初めて知ったんですけど。
学生 いじられやすい人とか、からかわれる人とかは、いますよね。荷物もてよとか。そこには、フレンドリーな関係があって、ふざけている関係ですが、いじめの場合はそれがないですよね。そこの境目、毎回とか、まわりがみていて笑えないとか、まわりが見ているとわかると思うのです。フレンドリーだな、とか、いじめだなとか。やはり、これはふざけにはいらないということは、理屈ではなく、いけないと思うのです。先生側が理屈で返そうといってましたが、いじめグループの人が上手だったんですけど、そういう人に対して、理屈で返すのは、すごく難しいと思うのです。最後に署名するのではなく、激昂してもよかったと思います。
太田 いじりはいじめではないのですか?フレンドリーであれば、構わない。
学生 はい。
太田 フレンドリーというのは、お互いに主観的にずれがありますよね。いじる側はフレンドリーのつもりだけど、いじられる側はフレンドリーではない。
学生 それは本人が、ときどきちょっと不満に思うくらいならいいけど、常に不満のときには、いじめだと思います。
太田 僕は認識が甘かったんですけど、3年生の授業で、いじりっていうことに関しては、返しのテクニックが必要である、というのです。いじりは広くあるので、自分がいじられたら、的確に、笑いで返すテクニックをみんなが身につければいい、というような人がたくさんいたのですが、みなさんの感覚でもそうなんですか?
僕はそういう考えに違和感を感じるのですが、学生諸君はそうだそうだというのですが。
みなさん、考えてみてください。
いじめの認識については、客観主義と主観主義というふたつの立場がありますね。ある行為をすることが、もちろん、それは多くの人がいじめと感じる行為ですが、ある行為によって、判断する、これが客観主義です。それに対して、やられる側がどう感じるかによって判断するという立場が主観主義です。ある行為をされている人が、いじめと感じればいじめであるし、感じなければいじめではない。いじめる側がいかに、遊びだ、フレンドリーだと言っても、それは認めない。現在の文部科学省は、主観主義です。完全に主観主義でいいのか、という問題もありますが、その点はよく考えてみてください。
学校側がどうして、防ぐことができなかったのだろうか、という問題が残ります。
いじめ対策を国家的レベルで行ったとされる北欧では、基本的に校長に責任をもたせた上で、さまざまないじめ対策を提案しつつ、実行していった。校長は責任があるということを明確にした。
いじめ対策の先進国と言われている北欧と日本では、違うところです。日本では、いじめで悲劇が起きたとしても、学校の教師や校長が、行政的責任を取らされることはないのです。被害者から訴えられて、損害賠償責任が生じたときも、国家機関がそれを負いますから、個々の校長や教師が責任をとることはない、それが甘いのではないかという意見もありますが、どうなんでしょう。
学生 責任という観点は、学校や校長の立場的な区分とか、仕事の境目が曖昧だし、また校長先生は、授業を聞くとか、生徒と話をするというようなことはあまりなくて、そういう中で、いじめが起きたから、先生が責任をとれと言われても、普段からできないから、責任をとりようがないし、校長に責任をなすり付けるのは、どうかと思うし、北欧も、校長の立場的な部分の違いから、出ているのではないかと思います。
太田 北欧も昔は責任がなかったのです。ところが、北欧でもいじめによる自殺などが起きて、それを学校側がきちんと取り組まなければならない、そのために校長に責任がある、ということを明確にすれば、あいまいにするとか、ちゃんと取り組まないというような事態がなくなって、真剣にやるのではないか、ということで、校長の責任を明確にしたのです。
学生 おっしゃる通りなんですけど、やはり、今まで続いてきた部分があるので、校長先生が急に責任をとりなさいといっても、マニュアルがないわけだし、校長としても、難しいと思うのです。ひとつのクラスに集中しすぎたり、逆に距離を置きすぎたりとかで、バランスが難しいと思うので、はっきりさせる必要があるかと思います。
太田 ロールプレイでいろいろなことが見えたと思うので、しっかり考えてみてください。