第四回 開成高校生事件・早稲田高等学院事件
前回の授業の優秀書き込み
この書き込みは、非常に論理的に書かれていまして、性犯罪者は再犯が多いので特別な対策が必要であるというが、本当だろうかということを、この筆者は数字を調べることで、明らかにしようとしている。いろいろな犯罪の再犯率をあげて、必ずしも性犯罪が高いわけではないということをまず示している。いろいろな統計がありますから、統計の取り方によって、数字がかなり変わりますので、この数字が唯一絶対ということはないのですが、この筆者はこの数字があったということで、考慮すべきことは事実です。こうした数値をあげながら、性犯罪の再犯率が高いわけではないという事実を挙げて、その後、メーガン法がどういう経緯で成立したかを整理している。この部分には、テキストにない事例もでていますので、いろいろなことを調べたのでしょう。次に、メーガン法によって性犯罪が減ったのか、抑止力があったのかを考察しています。これは非常に難しい問題で、実はメーガン法成立後、全米的な調査をするということになっているのですが、どうもそれが分析公表された形跡があまりないのです。僕はこの問題を専門に追いかけているわけではないので、もしかしたら出ているかも知れませんが、あまり話題になっていないことは事実です。それで、メーガン法によって、性犯罪が減ったという数値が示されているわけではないのです。ですから、効果があるのか、疑問が出されても不思議はないわけです。ただ、個々の事例として、メーガン法によって出されている情報によって、性犯罪を未然に防いだという報告はたくさんあることは事実です。あるいは、前回いろいろな意見がでていたのに、あまり触れた人がいなかった事例として、間違われたというのがあるのです。写真が公表されている、あの人に似ている、性犯罪者に違いないというので、暴行受けたりするという事例です。いろいろ問題があることは事実です。そうしたことがここに書かれているわけではありませんが、この文章の結論としては、慎重な対応が必要であるという結論になっています。
証拠をあげつつ、論理的に展開しているという意味で、なかなかすばらしいと思いましたので、あげてみました。
書いた人、補うことありますか?(反応なし)
すばらしいものを書いたのだから、言えばいいかと思うのですが、ほとんどだまっているみたいですね。
家庭の事件
今日は家庭で起こった事件を考えます。
開成高校生が父親に殺害された事件、通常開成高校生事件といいます、それから、早稲田高等学院の生徒が、祖母を殺害し、自殺した事件、早稲田高等学院事件といいます、そのふたつの事件を取り上げることにします。
この事件を取り上げる理由が大事なので、理解をしておいてください。
今では、家庭で生じた事件はいくらでもありますね。うんざりするくらいありまして、いくらでも、とりあげる素材、考えねばならない課題があるのですが、ただ、注意しなければならないことは、私も、また、みなさんもそうだと思いますが、通常、報道によって知っているわけです。報道というのは、非常に表面的で、新聞やテレビだけでは真相がわからない。もちろん、細かく事件をおいかけて、いろいろな新聞を読み、いろいろなテレビ番組をチェックし、週刊誌、月刊誌もよんでいれば、かなりのところまで掘り下げることかできると思うのです。でも、なかなかそういうことはできない。みなさんがある事件を考えるときに、多分わずかな新聞記事などで判断すると思うのです。しかし、ひとつの事件を考えようとするときには、そうとう掘り下げた素材が必要だと思うのです。
このふたつの今日取り上げる事件は、優れたドキュメントがあるのです。
先週研究室を引っ越したので、本がどこにあるか探して、見つけたのですが、持ってくるのを忘れてしまったのです。本多勝一という人が書いた『子どもたちの復讐』という本です。昔は上下2冊だったのが、今は朝日文庫1冊になっています。この本は、非常に優れたドキュメントで、いろいろな資料も入っています。
なぜ、このドキュメントが優れているかというと、普通事件の関係者というのは、事件のあと、たくさんの記者がやってきて、いろいろとしつこく聞くのですが、詳しく取材に応じるということはないわけです。だから、非常に表面的なレベルで書かれる。あるいは、突っ込んだ事情を把握したとしても、プライバシーの問題が出てくるので、分かっていても書けない。でも、この本の場合、開成高校生の事件はさておき、早稲田高等学院の事件は、有名な家族で起きた事件で、そのためにも一層騒がれたのですが、有名人だけに、マスコミ対策がきちんとしていて、取材を断って、関わらなかったのですが、唯一本多勝一にだけは取材を許して、彼には相当程度資料もみせて、いろいろな裏話もして、本がきちんと書けるように協力したのです。ですから、通常の記者では見ることのできない資料も見ることができたし、また、書いていいという許可がある。そうやって出来た本ですので、通常の本とはレベルが違う。本多勝一という人は、とても個性の強い人で、本多勝一なんか嫌いという人も多いのですが、この場合は、本多勝一と当事者の信頼関係があってできた本ですので、非常に優れた本であるということは間違いないのです。本多勝一が書いた文章だけではなく、さまざまな当事者の書いた文章もでていますので、この本をきちんと読めば、この事件については、かなりわかります。また、資料もでていますので、本多勝一だけの視点ではなく、多様な視点から事件を把握することもできます。みなさんが、なんでもいいのですが、集中的にある事件について調べてみるときに、きちんとした資料か収集できるということが大切ですので、そういうことも考えてほしいという理由で、この事件を取り上げるということがひとつです。
最近は、親が子どもを殺すとか、子どもが親を殺すという事件が「またか」という感じで頻繁に起きますね。そういう事件の走りといっていいのです。この事件をもって、戦後の家庭内での暴力と殺害が起きるという時代になったと言えるのです。もちろん、昔から家庭内暴力とか、家族間の殺人事件というのは、あったに違いないですが、この事件特有の性格をもち、そして、似た性格をもつ事件の一連の流れを考えてみると、このふたつの事件が最初の事件であったと言えると思います。
開成高校はみなさん知っていますね。もちろん、早稲田高等学院も知っていますね。そういう目立った高校を舞台におきた。もちろん現場は家庭ですが、関係者が有名な学校の生徒だった。しかも、家庭内の、つまり育て方に問題があったと考えざるをえないという事件でもあり、当時非常に騒がれました。連日、新聞やテレビで報道されたものです。
みなさんは、特別な機会で学んだ、読んだということがない限りは知らないと思いますが、この事件を一度きちっと考えてみようということで、いろいろな考えさせる要素がありますので、この事件をとりあげることにします。
開成高校生事件の概要
年表がテキストにあるので見てみましょう
この事件は子育てが、どういうところで、どういう風にうまく行かなくなっていくのか、を考えさせる。
子育てというのは、そんなにうまくいくものではありませんよ。みなさんだって、親子けんかなんてしょっちゅうしていますね。いままで、親子の対立が一回もないなんていう人はいないですよね。いたとしたらちょっと大丈夫?といいたくなるくらいです。子どもは自立心をもつときに、必ず親と対立しますので、親子の対立を経て成長していくわけです。親も成長するし、子どもも成長する。ところが、何か違う異なった条件が起きたときに、道がずれてくる、そういう場合に、悪い結果が起きることがある。この開成高校生事件は、父親が子どもの開成高校の生徒を殺してしまうという最悪の結果になったわけですが、名前は聞いたことがあるかも知れませんが詳しいことは、ほとんどの人は知らないと思うので、まず具体的事実を紹介しておきます。
昭和21年、この事件で子どもを殺害した「父」が、みなさんのお父さん、お母さんが生まれていないころだと思いますが、疎開地から戻ってきたのです。開成高校生の父親です。この父は、自分の父は既にいなかったのです。たぶん、戦死したのでしょう。母親は子どもを残して再婚してしまったので、祖父母に育てられた。しかも戦後の混乱期です。食料もない時期です。おじいさん、おばあさんが、子育てをした。通常の父親母親とは違うだろう。このことが、後々ずっと問題となります。この父親は自分が父親に育てられていないので、そもそも父親って何をするものか、知らなかったに違いない。だから、自分が父親になったときに、何をしていいのか、わからなかった、それがこの事件につながったという考えです。
みなさんの中には、先生になる人がいるかと思うのですが、自分が教師になったとき、自分が習った先生の授業スタイルをまねてやるものです。親になったときにも、自分の親のまねをする。それが普通です。しかし、この人は、自分の父親はいないわけですね。父親がいない人は父親になれない、ということはまったくありませんけれども、そういうことが起きても不思議ではない。
とりあえず、祖父母に育てられ、いつまでも世話になっているわけにはいかないという状況だったのでしょう。義務教育が終わった段階で、上京しています。宇都宮にいて、上野に出てきています。最初はコックの見習いをして、たぶん、かなり頑張ったと思います。そして、この人は、非常に才能があったと思われるし、また、非常に勤勉であった。その証拠に、義務教育だけ、つまり中卒で東京にでてきて、直ぐに上野で貸し事務所と喫茶店の経営者になっています。みなさん、中卒で、働いて、自分の資金で事務所などをもてるでょしうか。2,3年の間のことです。普通あまりないと思います。この人は、そうとう優れていたのだろうと思われます。そこで、働いていた女性と結婚した。自分は初婚だったが、相手は再婚だった。相手の親と同居しています。しかも、姉さん女房ということになります。
やがて、長男が生まれるのですが、かなりの時間がかかった難産であったといわれています。結婚してから長男が生まれるまで、少し時間がかかっているので、多少高齢出産であったと思われます。出産の時間がかかるのは、母体にも赤ちゃんにも負担がかかるので、出産時のトラブルが起きることがあります。この事例でもそうしたことか言われてるのですが、真相はわかりません。解剖したわけではないので。
ここまではとくに変わったことはないのですが、ここから、あまり普通ではない子育ての状態になっていきます。
それは、神田に大衆酒場を出す。
ここでバイトしている人がいるかも知れませんし、これからする人もいるでしょう。文教の学生はけっこう大衆酒場でバイトする人がいますので、わかると思いますが、夕方5時から深夜の生活です。ですから、子どもと完全に生活が逆転してしまう。子どもが学校にいっているころに、父は家庭で寝ていて、学校から帰る前に職場にいき、子どもが寝てから帰宅するという生活です。つまり、父親と子どもはまったく接触しないことになります。
また、私立の小学校にいれて、車で母親が送り迎えする。
5、6年で塾に通い、家庭教師もつけて、受験勉強をして、開成中学に入学するわけです。まったく父親として接することがない。父親としての役割を果たしていないというと言い過ぎでしょう、経済的には果たしているわけですから、でも、人間関係的には父親として、子どもに接していないことは事実だったわけです。母親がすべて子どもの世話をしている。塾や家庭教師もそうです。こうしたことに対して、後で、母親が子どもを受験戦争に追いやって、負担を強いたのではないかという非難を浴びることになったのです。みなさんは、どう思うでしょうか。そういう批判をしますか?
それに対して、この母親は「世間並みのことしただけです」と答えたのです。これが世間並みであるかどうかについては、いろいろな意見があったかと思うのです。
私立の学校に入れて、車で送り迎えをし、進学教室に通わせて、家庭教師をつけ、私立ですから中学もありますので、そのままエスカレートでいってもいいのですが、成績が非常によかったので、開成中学を受けて、上位56番で合格した。開成中学って、受験のときの順位まで教えてくれるんでしょうかね。そこらはわかりませんが。56番というのは、開成は100人以上東大に入りますので、ああこの子は将来東大だ、と親は思いますね。親からみると、親は義務教育だけですから、相当誇らしい子どもであるということになります。しかし、段々成績が下がってしまう。高校になると下から数えた方が早いくらいになってしまった。そうすると東大は無理だという感じになる。半分にはいなければ無理ですから。それでショックを受けたかも知れないし、家庭内で波風がたつ。まず家庭内暴力が始まります。そうとう酷い暴力があったと言われています。ターゲットは母親です。父親はいたらターゲットになるけれども、あまりいませんので、数的には少ない。それで母親がずっと対応しています。カウンセリングにも行きますし、また精神科にもいく。当時はカウンセリングを受けるとか、精神科に行くというのは、相当抵抗があった時代なのです。いまでも多少の抵抗感はあると思いますが、当時の抵抗感は非常に強いものがあったのです。精神病院がまわりにあるだけで違和感を感じるというような時代ですので、偏見が強かったわけですから、そういう中では、勇気をもって対応しようとしたと考えることができます。この子は、精神的に病んでいるに違いないと思ったから、カウンセリングも受けさせたし、また、精神科も訪れる。そして、入院もするのです。精神科にいったときに、電気ショック療法を受けたりしているのです。最近もこういうことをするのかどうか、わかりませんが、精神科の治療も、時代で変遷があるのです。何人かの人は知っているかと思いますが、1960年代までは、荒れてしまう精神疾患の人には、ロボトミーという治療が行われていました。その言葉知っている人いますか?(授業で言わなかった補充、現在でも統合失調症などの、暴れた場合の対応として、電気ショック療法は普通に行われているそうです。)
学生 脳の一部を切り取ってしまう治療です。
太田 そうですね。前頭葉という脳の部分を切除してしまうという手法で、戦前開発されて、1960年代まで行われていたのです。前頭葉というのは、「意思」に関わる部分なのですが、そこを切除すると、意思が弱くなるので、凶暴性もなくなるということが実際に起こるのだそうです。もちろん、凶暴性がなくなり、従順になるだけではなく、「意思」とうい点で薄弱になってしまいます。酷い話ですね。今では、批判が強くなったので、行われていません。(授業では述べなかった補充 このロボトミーという治療法を開発した人は、ノーベル医学賞を授与されている。ノーベル賞の業績が完全に今では否定されている少ない事例のひとつである。)それほどひどくはないけど、体に電圧をかけて電気を流す、そういう治療法を描いた「カッコーの巣の下に」という映画がありますが、これをやると、暴れていた人が大人しくなるそうです。ただ、2、3日だけです。彼は、電気ショック療法をされたわけですが、母親として耐えられない。(補充、この場合2、3日となっていたのですが、現在では、1カ月ほどは持続するのが普通だそうで、かなり劇的に症状が改善されることもあるそうです。)
また、入院もします。昔の精神病院の入院病棟というのは鉄格子でがっちり閉ざされた、まるで刑務所のような作りになっていたのです。今は相当改善されていますし、精神疾患では入院を例外的にしかしなくなりましたから、まるで刑務所のような独房に入れられている息子をみて、ショックを受けて、退院させてしまいます。そうすると、また家庭で暴れる。そういうことが続いて、とうとう、子どもが寝ている間に父親が首をしめて、殺してしまいます。それを母親が見つけて責めるのですが、自分たちも死のうということになり、車で死に場所を求めて出かけるのですが、途中で気が変わって、自首して、事件が発覚しました。その後何年間か裁判をして、高裁まで行きました。父親は、残酷で無責任なわけではありませんので、世間の同情が集まりました。
みなさんは、家庭内暴力はとくにめずらしいものではないという意識で、いままで過ごしてきたと思うのですが、こういう種類の家庭内暴力というのは、この事件で脚光を浴びたのです。つまり、この事件のときに、家庭内暴力という現象が知られていなかったし、どうしていいかわからなかったのです。だから、自分の家庭で起きても、この父親のような行動をしたかも知れないということで、減刑運動が起きました。父親はもちろん、強く反省していますし、更に母親が裁判の途中で自殺をしてしまうのです。これも気の毒なことでした。母親の自殺はもちろん、子どもの殺害を悲観してということでしょう。
父親はたしか執行猶予がついたと思います。そして、全国遍歴の旅をしていたようです。今でもこの大衆酒場はあるようです。どれがそうなのかは、しりませんので、行ったことはないのですが。
事件の概要はこういうことです。
何か質問はありますか?
この事件に関しては、本多勝一の本には、裁判記録もそうとう出ています。僕が読んで興味深いと思ったのは、当時の開成高校の同級生たちの座談会があるのです。同級生が父親に殺されてしまったわけですね。相当ショッキングなことだと思うのですが、その同級生たちの反応が、読んでいる限りではすごく醒めているんですね。もちろん、ずっと不登校ですが、学校にきていないことも気にしていないような口ぶりなんですね。殺伐としたものを感じましたね。
いまの掲示板ではないのですが、前の掲示板のときに、この事件のあとで入ったらしいのですが、開成高校の卒業生という人が書き込みをしたことがあります。あなたの書いていることは、少し事実と違うというような指摘をしているのです。そこで2、3回やりとりをしたということがあります。昔のを探せばあります。
質問がなければ、問題点の検討をしてみましょう。
この事件はさまざまな観点から検討する必要があります。
あのとき、ああいう選択をしたけど、別の選択をすればよかったというような感覚がありますよね。いくつかの選択肢があって、ある選択肢をとったから、今があるわけですが、違う選択肢をとったらどうだったのか、というようなことを考えると思うのです。
この事件では、そうした選択肢がたくさんあるのです。例えば、父親が大衆酒場を経営するというのも、ひとつの選択だったわけです。それまでは貸し事務所をもっていて、それで生活できていたわけですから、大衆酒場を経営する必要性はなかったはずなのです。つまり、必要に迫られてやったわけではなく、あくまでも、たぶん生活をよくするために、より収入の多い大衆酒場の経営に乗り出したのでしょう。意図的に違う路線を選んだわけです。そのために、子どもとの接点がなくなった。これは明らかだったのです。それまでの貸し事務所なら、昼間の仕事ですから、子どもとの関係をもつことは可能だった。
小学校に入れるときに、みなさんの中でも、私立の小学校に行った人がいるでしょうが、大多数は公立の小学校が行きますね。私立中学はたくさんありますが、私立の小学校はまだまだ少ないですから、かなり少ないはずです。あえてそうしたことがよかったのだろうか。
私立の小学校に行けば問題になる、というようなことは言えませんが、問題が起きがちであることも事実です。それは、この家庭で典型的なように、車で送り迎えする。公立小学校なら、集団登校が普通ですから、みんなと一緒に学校に行き、一緒に帰ってくる。帰ってきたら、みんなで遊ぶ。ところが、車なら、通学も別だ、帰宅してから、友達と遊ぶことはない。学校の友達は遠くですから、一緒に遊ぶことはできない。地域に住んでいる子どもたちは、友達ではないから、遊びにくい。もちろん、私立小学校に通っている子どもで、近所の友達を遊ぶ人もいるでしょうし、問題がおきないこともあるでしょうから、私立小学校=問題ということは、まったくありませんが、この場合はどうだったのか。
また、塾に行かせている。実際に問題が起きてきたときに、さまざまな相談機関にいっている。カウンセリングにいき、精神科にもいく。薬物治療をうけたろうし、入院もした。そういうあり方も考えねばなりません。
これは、皮肉な話なんですが、この事件が起きて、子どもはいろいろとカウンセリングを受けたということが話題になったときに、ある有名なカウンセリングの専門家に取材に行ったのですが、そのとき、その人は、「何故自分のところに来なかったのだろう。きたら、ちゃんと治してあげたのに」と話したのだそうです。それが新聞に出たのですが、実はこの親子は、その人のところにいって、カウンセリングを受けていたということがわかったのです。だから効果がなかったのだということなのですが。
そういう問題がたくさんあるのですが、どうでしょうか。
ここ2、3年聞いているのですが、ターニングポイントはどこにあったのか、ということです。ターニングポイントなんてないという意見もありましたし、また、僕の言いたいことが伝わりにくかったのかも知れないので、説明をしておきましょう。
事実としては、ひとつの一連のできごととして、悲劇が起きたわけですが、さかのぼって変えることはできないわけですが、違う選択をしたらどうだったのか、さっきいったように、考えますね。そういうレベルで、例えば、父親が大衆酒場を開かなければ、事態はまったく違うようになったに違いない、いや、父親とは何かを知らなかったことが原因だから、どういう仕事であっても、きちんとした親子関係は形成されず、同じようなことになった、とか、いろいろと考える余地があると思うのです。
そういう意味でのターニングポイントということなのですが、考えてみてください。歴史なんか一般にそういう問題として考えるのだと思います。
もうひとつ説明しておきましょう。
この事件、および早稲田高等学院で、本多勝一がとっている基本的スタンスがあるのですが、子どもを見る際の物差しが一本しかないということに原因がある、こういう見方です。それは正しいだろうか。一本の物差しとは何かということですが、これはみなさん、わかりますね。
学生 成績
太田 はい、そうですね。成績、あるいは偏差値ですね。学力。そういうものが支配している。開成高校にいくのは、成績がいいからですね。今でも国立の医学部って、めちゃくちゃ難しいですね。そのなかでも一番難しいとされている東大医学部は、医療に興味があるから来たという学生が少ないと嘆いていた時期があります。成績がいいから来た。成績がいいと、親や学校の先生が受けろという。受かれば学校の評判をあげることができますから。そういうような感じは確かにありましたが、今でもあるんでしょうか。医学部は成績がよくなければ行けないという事態は変わりありませんから、成績がいいと医学部に行くという方向があるかは別問題ですが、一本の物差しが、どの程度人々の行動を規制し、この事件ではどうだったのか。
どれでもいいですから、意見のある人言ってみて下さい。
学生 私は父親とのコミュニケーションがなかったのが問題だったと思います。コミュニケーションがあったら、私立小学校や私立中学に行きたくなかった場合、父親にいうことができて、いかなくて済んでいれば、こういう事件がなかったのではないかと思います。
太田 大衆酒場を開いたことが問題だということになりますか。それでコミュニケーションがなくなった面が大きいわけですから。
学生 はい。
学生 自分は、学力に目が行き過ぎたのが問題だと思います。この事件について、調べたんですけど、母親が、子どもの成績があがると喜ぶんですが、下がるとどなりつけるみたいなんですね。子どもは親に、成績があがったことで喜ばれることが生き甲斐みたいになっていたんですけど、次第に成績が下がって、怒られるのが増えて、生き甲斐が失われていたように感じたらしく、中学の卒業のときに、「死こそ我が友」という寄せ書きをしたくらい、追い詰められていたので、勉強面で期待しすぎたのが問題だと思います。
太田 さっき母親の「世間並み」のことをしたといのは、違って、世間並以上に、学力や成績に拘っていたことが、彼を追い詰めたという意見ですね。
学生 今の意見に近いのですが、父親とか母親が一本の物差しを勘違いしていて、子どもに教育があっているのか、あっていないのかをよく考えないで、塾にいれたり、家庭教師をつけたりしてしまって、結果的に子どもにあっていなかったので、こういう事件が起こってしまったと思うんですよ。
太田 でも開成中学に56番で入ったんですよ。それはまぐれだったということですか?
学生 自分は公立小学校だったのですけど、けっこう進学校で、筑駒や開成に入る生徒がいたんですけど、早稲田に3人いったりという小学校だったんですけど、開成に入った友人も成績が最初よくて、入ったんですけど、最終的には本人も落ちぶれたといってましたが、慶応の文学部あたりに納まってしまって、東大も受けたんですけど、彼は受験に失敗してしまっただけで、父親と母親も頭はすごくよくて子どものことをよく考えて、塾とか予備校も子どもにあったところに入れたみたいなんですけど
太田 ストレスを感じさせる圧迫はなかったということですね。
学生 はい。本人も気負っていることもなかったし、心も折れることがなかったみたいで、大学が慶応に決まったときもすがすがしい顔をしていたというか、自然だったんですよ。だから、子どもに無理させていることに気がつかなかった親に問題かあったと思います。
太田 一般に慶応に受かればすがすがしいと思うんですが。(一同笑い)開成だとすがすがしくなりにくいということでしょうか。ただ、あなたの友達の場合には、親が一般的な感覚をもっていたということですね。
学生 私も、母親が私立小に送り迎えするのは、どう考えても過保護になるので、過保護が行き過ぎて、子どもがプレッシャーを感じたのだと思います。
太田 私立小学校にいれるのが過保護なんですか?
学生 私立小学校に入れること自体はいいんですが、送り迎えなんかまで車でやるというのが。
太田 せめて、自分で通えるところに入れろよ。電車であれば、同じ電車で通う友達がいるということもあるけど、そういう配慮が足りなかった、と。
学生 はい。
学生 気が休まる時間がなかったので、こうした事件が起きてしまったと思うんですけど、学校が(聞き取れず)車で送り迎えするし、家庭教師までつけて、自由な時間、彼が好きにできる時間がなくて、だからこういうことになってしまったと思います。
太田 これでいうと、一本の物差しに、彼自身が取られわているということですか?
学生 はい
太田 まだいるかと思いますが、次の事件がありますので、これくらいにして、次の話題にします。
早稲田高等学院事件、これは開成高校生事件の翌年に起きた事件です。密接不可分の関係にあります。この事件をおこした人が、度々のこの事件について触れていた。遺書を残しているのですが、開成高校生事件について書いています。本多勝一も、2巻本だったときに、上が開成高校生事件で、下が早稲田高等学院事件というように、本田勝一もこの事件を一連の事件として捉えている。その中心は、一本の物差しである。早稲田高等学院もエリート高校と言われている。
この場合には、孫がおばあさんを殺して、その後自殺をするという事件です。二人死んでいます。
開成高校生の場合は、普通の家庭で起きた事件です。子どもが開成高校に行っていたので話題になったけれども、親は普通の親だったのです。早稲田高等学院の場合は、エリート家庭そのものです。殺されたおばあさんの夫であるおじいさんは、戦前の東京帝国大学の教授で、世田谷の成城に広大な敷地をもった邸宅に住んでいる。東京に住んでいる人であれば、それだけ聞けばどういう人かわかりますよね。成城ですから。
朝倉という一家なのですが、フランス文学の世界では有名な家庭です。おじいさんは東大のフランス文学の大家だった。著書もたくさんある有名人だった。
それから、遺書がありまして、一部テキストに引用してありますが、本田勝一の本には、重要な部分に遺書が資料として掲載されていますので、この遺書をぜひ読んでください。高校生とは思えないような文章です。難しい問題を論じていますね。
要するにこの事件はどういうものか。
やはり前史がありまして、高名なフランス文学者の家庭で起きたのですが、おじいさんに娘がいる。弟子がいますから、先生のお嬢さんと結婚するといのは、夢であり、出世の道ですね。何人かがアプローチしてくる。そのなかで、おじいさんが認めた弟子がいます。おじいさんが公認しているみたいだが、娘は気に入らない。弟子はプロポーズしているのですが、娘は断っている。そこで、弟子は自殺未遂を起こすのです。「彼女と結婚できないなら死にます」ということです。
これって、女性からするとどうですか?うれしいものですか?嫌なものですか?あなたのと結婚できなかったら死にます、といって、実際に行動をおこしてしまったとしたら、そこまで自分のことを思ってくれるのかと、肯定的になるか、そんな軟弱な人は嫌だということで、ますます嫌いになりますか?
参考までに手をあげてもらえます?多少心が前向きになるという人。(3、4名)
そんな軟弱な男はいやだ、という。(圧倒的多数)これが多数ですね。これは人の好き好きですから、個人の自由だと思いますが、この場合のおじいさんの娘は、ますます嫌になる感じだったのです。しかし、周りは、そんなに思っているのだから、とますます強く結婚を勧めて、ついに、折れて結婚してしまうわけです。その当事者である和泉という少年が生まれました。
そして、こういうことになったのです。意に沿わない結婚を強いられて、子どもが生まれたが、このまま充足的な存在は嫌だということで、母親となったこの娘は、自律的な人間になりたいということで、シナリオライターとしての道を歩み始めるわけです。そして、次第に認められて仕事も来るようになっていた。そこに子どもが生まれて、育児に取られたくなかった。煩わしい。子どもがかわいくないというわけではないけど、自分の仕事にかけたいという思惑と、おばあさんの立場からすると、自分は娘しかいなかったところ、始めて男の子ができた。おじいさんの後継者が出来たというわけです。かわいくてしょうがない。幸いなことに、母親は育児をさけたがっている。そこで、利害が一致して、育児をおばあさんがやることになった。父親は、おなじフランス文学者として、先生(おじいさん)にまけまいと頑張っている。おじいさんは、研究一筋である。それぞれが独自の道を歩んでいて、子どもである和泉とおばあちゃんの関係だけが濃密になっていく。これでうまくいくはずがない。結局、この夫婦は少年が中学3年の受験期に離婚してしまいます。
こういう家庭ですから、当然小学校時代は塾に通って中学受験する。中学受験をして、落ちた生徒というのは、往々にして、中学の最初は成績がいいけど、油断してしまうと、成績が落ちるという人がいる。みんながそうだというわけではないけれども、和泉少年の場合には、その典型的な姿となって、中学2年のころは成績が非常に悪かったそうです。まともに高校に行けるか、という心配までしたそうですが、その後頑張ったようで、どういうわけか早稲田高等学院に受かってしまう。ここらは血筋としたいいようがないのですかね。早稲田高等学院というのは、偏差値のない学校でした。つまり、例えば73あっても受かる保証はないというのが、偏差値のない学校という意味です。それほど難しい学校だったわけですが、そこに受かってしまった。
ところが、頭はいいかも知れないけれども、おばあさんとか、おかあさんとの関係では、いろいろと問題があった。
そのなかでも転機となったのが、家の改築だった。それまでは、母屋と別棟という形で同じ敷地内だが、建物は別に住んでいたのが、母屋が古くなったので、建て直すことになったのです。それを機会に、母親は自立して、別居したいと思って、相談したところ、おばあさんが猛反対して、せっかく建て直すのだから、一緒の棟にしようということで、完全に同居することになってしまった。そこで、2階に、祖母と和泉の部屋をつくり、通常は廊下を介して出入りするようにドアをつくるのですが、この場合、その他に、隣の部屋の間にドアをつくって、鍵もないので、いつでも出入り自由の感じになってしまったそうです。これは普通の家庭では考えられないようなことです。
要するに、この孫とおばあさんの関係は、非常に緊密なわけです。おばあさんの愛情は、100%というより、150%くらいの感じ。もちろん、和泉からすれば、その愛情は十分に感じているし、分かっているけれども、高校生にもなれば、ある面でうっとおしいですね。もう少し自分は自分でいたいとか、そんなべたべたしないでくれ。つまり、愛と憎しみが極端な形で肥大化してくる。そういうときに、開成高校生事件が起きた。遺書によれば、自分は開成高校生の気持ちがよくわかるというのです。世間のエリートに対する妬みの感情があって、それを敏感に感じる。大衆はエリートを妬みをもっているので、攻撃してくる。そういう攻撃に耐えられなくなって、彼は暴れ出したのだ、そして、殺されてしまった。自分はそういう大衆に対して、復讐するのだという復讐計画を建てまして、それがテキストにでている殺人計画書と言われるものなのです。(テキストを表示)
12月はじめに、計画を建てたらしいのですが、友人には打ち明けていたらしい。1月になったら、新宿のロッカーに「ざまあみろ」というのをしまっておく。そう書いたステッターと思って下さい。それを大量に用意して、15日に新宿に出かけて、無差別殺人をして、「ざまあみろ」を死体に貼り付ける、という計画なわけです。「ざまあみろ」は残っているようです。これが計画的な殺人計画なのか、たんなる空想というか妄想なのか、本人が死んでしまったので、よくわからない。ただ、いくつかのものはあったし、彼の行動の日付はあっている。しかし、実際には実行されずに、おばあさんを自宅で殺して、そのときには、母親もいたのです。ギャーという声をきいて、2階にあがってみると、和泉少年が血相変えておりてきて、そのまま飛び出した。その後小田急に乗って、本当は新宿までいくはずが、経堂で降りて、ビルに登って、そのまま飛び下り自殺をして死んでしまったのです。こういう事件だったのです。遺書は新聞社に送りつけるように用意されていたのです。原稿用紙400字分100枚です。みなさんの使うワードでいうと、たぶん30枚くらいでしょう。それが非常に特異な内容が書かれている。ひとつは、大衆がいかにエリートに対して迫害的になっているか、それに対する自分の復讐の義務が書かれている。大衆の代表として、祖母、母親、妹が書かれているのです。文書として書かれた遺書は、妹の分だけ割愛して、「子どもたちの復讐」に載っています。おばあちゃんは死んでしまったし、母親は自分で許可したわけです。
この事件もいろいろと考えなければいけない面がたくさんあります。
質問ありますか?
この事件のときも、マスコミは大変だったですね。開成高校生は子どもだけがエリート高校生でしたが、こちらは、エリート家庭そのものですから、マスコミの取り上げ方も大きかったような気がします。
(テキストの引用遺書を朗読35−36ページ)
どうですか?笑ってはいけないんですが、深刻にとれば深刻ですが、ばかばかしいといえば、ばかばかしいですね。こっけいですらあります。
なぜ、お母さんが、本多勝一にだけ取材を許したかというと、彼だけが、事件の受け取り方が違ったからです。ほとんどのメディアは、エリート高校生がおこした事件であるという書き方だったけど、母親からすると、それは違和感があった。それに対して、本多勝一は、「エリートになりたかったけど、なれなかったストレス」が引き起こした事件であると捉えた文章を発表していたのです。それを読んだ母親がそういう人なら、この事件を正しく書いてくれるのではないか、と思って、本多勝一に協力したということだったようです。みなさん、ぜひ、遺書を読んで判断してください。
こちらの事件に対しての意見はどうでしょうか。
学生 私は高校生が特別なというか、歪んだ思想が生まれたことがあるのではないかと思うのです。父親が学者で母親もシナリオライターで、忙しくてコミュニケーションが少ないことがあって、エリートの家庭だから、勉強ができることが評価されて、本人も自分はできるという自尊心があって、祖母は(聞き取れず)と思います。それで、学力が向上したということもあるし、また人間は勉強ができなければいけない、エリートでなければ意味がないというような考えを培ってしまった環境が原因だと思います。
太田 違うかも知れませんが、開成高校生も哲学者を読みふけっていたと言われています。こちらの彼も相当本を読んでいたはずですね。神戸の事件をおこした少年も、ヒトラーが書いた『我が闘争』を読みたいといって、親にせがんでいます。買ってあげたので、読んだのでしょう。そういう意味で、かなりバランスのとれた読書と、そこから、自分の考えを形成していくことか普通だと思うのですが、この場合には、まわりがそういう人がいませんので、要するに、いろいろな本を読みつつ、考え方が独特というか、歪んでいるというか、そういうところに行ってしまって、それに加えて受験的なストレスが重なったという感じですか?
学生 はい
学生 事件の原因は、この家族と社会にあると思うんですけど、エリートとか、エリートじゃないとか、そういう概念しか子どもを縛れなかった、そういう勉強ができるできない、だけじゃなくて、もっと広い、社会ももっとそういう視点で見ることができたら、こういう事件は起きなかったのではないかと思います。
太田 一本のものさしを社会や家庭がもっていたところに原因がある。
学生 愛情の不足があったと思うのですが、両親や祖母に対する不満を、別居している母親とか、受験の大事なときに離婚してしまう親への不満とか、あまりに無責任な行動に対する批判があったのではないか。
太田 エリートとか、そういうことは、反抗の手段というか、本当の理由ではなくて、本当に理由の中心は愛情、愛情不足であった、普通の人として愛してほしかった。、おばあさんは愛情はたくさんあるのだけと、おじいさんのようになってほしい、というような特殊な側面がありますね。愛情そのものにプラスアルファがある。本人からすると、素直な愛情を欲していたということですか?
学生 自分は、ターニングポイントを考えたいんですけど、この少年はエリートという言葉に以上に固執していると思うんですよ。家庭から、自分は絶対にエリートでなければいけないということを、意識の中に自覚していたと思うんですよ。小さいころから。だから、家族がお前は自由に生きていいとか、自由という言葉を少年にかけてあげたら、少年は、あんな道を進まないで済んだということをいいたいと思います。
太田 もうひとつの問題ですが、これはエリート的な家庭で起きたとされているのですが、普通の家庭では起きないような、特殊な事件だったのか、あるいは、逆に、起きた事件そのものは、普通の家庭内のトラブルであって、エリートということが強調されているけれども、普通の事件である。一般的な問題をはらんでいるかも知れません。そこらをよりわけてみる必要もあるかと思います。いろいろな問題がありますので、自由に設定して書いて下さい。