東と西 2003.7.14


旧東ドイツと旧西ドイツの国境付近に住んでいるので、どうしてもその違いについて感がえざるをえない。とにかくやっかないな問題だ。先日ドイツ人と話していたときに、とにかく旧西ドイツの人たちの払う税金で旧東ドイツの復興をやっているので、我々が払った税金が我々のために使われていないという不満を多いに語られた。これは、10年前に、オランダ人が難民や移民たちに対して抱いていた感情と非常によく似ている。10年後、オランダではイスラムに対するかなり露骨な反感を表面に出す人たちが現れてきたわけだが、ドイツではどうなるのだろうか。同じドイツ人のことだから、事情は異なると思うが。
 ワイマールなどは復興にかなり力を入れているようで、あちこちで工事が行われていた。東のときには、ワイマールは有名な地区であったにもかかわらず、閉ざされていて、西の人たちは残念な思いをしていたようだ。
 500メートル行くと、旧国境があるというので、何度か試みたのだが、とにかくチューリンゲンの森とフランクルの森が長く続いている地帯なので、旧東の村に行くといっても、部外者には簡単ではなく、何度も失敗し、先日初めて隣のノイハウスという村に行きついた。私が滞在しているシュトックハイムというのは、炭鉱だった地域なのだが、隣のノイハウスも当然のこととして炭鉱の町で、競い合っていたようだ。今は炭鉱は閉鎖されているのだが、人々の意識には深く残っていて、あちこちに炭鉱マークがある。
 そして、先日初めて歩いて旧東の村、ノイハウスを歩いていて、表情が非常に固いことに気づいた。もちろん、初めての全く見知らぬ日本人が歩いているのだから、にこやかにはできないのだろうが、旧西の地域だと、村人たちは、初めての人でも挨拶を交わす。少なくともこちらがにこやかに、ハローといえば、ハローと返ってくるのだが、旧東ではそういう人はほとんどおらず、とにかく険しい表情なのだ。ソ連支配下の間に「笑い」を忘れてしまったのだろうか。もちろん、こちらはもともとバイエルン、ノイハウスはチューリンゲンという違いはあるかも知れないが、小さな山、といってもようするに20分も歩けば着いてしまう隣村なのだから、そんなに気質的に違いがあったとは思えない。やはり、分裂していた時代の生活の中で変化が起きたと考えるべきだろう。
 また家内の感想では、旧東は花が少ないという。西では、多くの家の外側、塀、ベランダなどに花が装飾してある。本物の花だ。花瓶がおいてあるというのではなく、花で覆うように装飾されているので、とてもきれいだ。ところが、旧東地域には、それが非常に少ない。ベランダなどがあっても、(ない家が多いようだが)花が全くない家もたくさんある。
 これは「笑い」「笑顔」のない人々の感覚と対応しているのかも知れない。
 というわけで、我々の旧東への感想はいかにも悪いのだが、ノイハウスやそのままバスで比較的大きな町のソンネンベルクというところに行ったのだが、そこでも旧東のいい点について感じた。それはほとんどの人がとてもスリムだということだ。
 シュトックハイムでは、山に面した村だということもあって、とにかく太っている。お相撲さんみたいな人も少なくない。昼間からビールを飲み、毎夜またビールを飲み、そして、歩くのは大変だから移動は車。そして、ドイツでレストランに入るとすぐに感じるが、とにかく料理の料がとてつもなく多い。先日家主さんに地域の典型的な食べ物だというので、レストランに連れていってもらったのだが、かなり大きなグースの肉と、日本でいうとおにぎりみたいなものだろう、じゃがいもを練ってボール状になっているクレストという食べ物を食べたが、それにサラダをつけ、ビールを飲むのが、ランチなのだから、こんなのを毎日食べていたら、ああいう体型になるのももっともだ、と思った。
 東の人たちがスリムだというのは、昼間からビールを飲んだり、おいしい料理を大量に毎日食べているわけではないからだろうが、とにかく好感がもてる。