遅ればせながら出発の日の報告 2002.10.19

 出発は9月の8日。
 最初の申請は1日出発の予定だったのだが、いろいろと検討の結果、飛行機のチケットを世界一周チケットにしたので、アメリカに渡ることが義務となり、それならばぜひサドベリに行こうと考えて、そのためには、学校が始まっている必要があり、一週間延ばしたというわけだ。とりあえず9日に出発の予定でチケットを手配したのだが、9日は満席ということで、8日になった。もっとも、このチケット取りにはいろいろな事情が輻輳して、書くこともたくさんあるのだが、いずれそういう気持ちになったらいうことで、今回は省く。
 とにかく、いろいろな準備を経て、当日になって、朝7時に出発、成田についたのが、さすがに日曜なので道路が混雑しておらず、9時前には着いた。着いたら、旅行代理店は10時半出発ですよ、言っていたのだ、なんと10時15分の出発で、若干あわててしまい、チェックイン手続きのあとの家族との団欒は省略して、すぐに出国手続きに入ってしまった。
 ところが、そのあとがいけない。客は予定通り満席になって、飛行機に入っているのに、一向に飛行機はでる雰囲気がない。時間がどんどんすぎているのに、なんの説明もない。かなりたってから、パイロットからの説明があった。説明によると、荷物が多くて重量が基準をオーバーして、荷物を出し入れしてバランスをとっているとのこと。機内の説明なので、日本語で繰り返されてもよくわからず、最終的にどうしたのかわからないが、幸いというか、席が窓際で、私の窓のすぐしたが荷物の搬出搬入の場所になっていて、作業をじっくりと見ることができた。もっとも、荷物が後ろの方に移動すると、何をしているのかわからないのだが。
 非常に大きな荷物出し入れ用の車が来て、それは引っ越し用のコンテナと同じようなコンテナを飛行機から出し入れする。ちょうど二階に出し入れ口があって、飛行機からコンテナを出すと、2つずつにまとめて、エレベーターのように上下させながら、別の運搬用の車に移動する。運搬車は6、7個程度しか運べないので、何台もきて、結局20個くらいのコンテナを出し、後ろの方に移動させて、かなりの時間が経過してから、また、荷物を入れ始めた。その作業が結局1時間半はたっぷりかかったような気がする。しかもかなりの雨が降っており、作業をしている人たちは、確認の用紙が雨に濡れないようにするので、相当苦労していたようだ。重いコンテナと軽いコンテナを移動させることで、バランスはとれたろうが、重さが軽くなったのかどうかはわからない。
 そういう作業をしていることを、窓で見ていた私はわかっていたが、全然見えない大部分の乗客は、とにかく待たされて退屈していただろう。

 とにかく離陸したときには、既に疲れてしまった。当初の飛行時間は12時間だったのだが、11時間ちょっとに変更されていたので、相当スピードをあげたのだろう。12時間というと、どういう食事なのかよくわからないが、なんとなく、この食事を減らしたような気がする。それ以外、重量を減らす手段はないだろうから。これまでの経験だと、重い食事が2度はあると思うが、重いのが1度と、非常に軽いのが1度だった。

 しかし珍しい経験をしたということで、少々の遅れは気にはならなかったが、となりの人はトランジットでロンドンに向かうのだが、間が1時間しかないということで、完全に乗り遅れることになり、対応はとってくれたらしいが、どうなったかわからない。その隣はハンガリーに音楽の勉強にいくという大学院生で、間が5時間なので、かえって幸いだという感じだった。
 機内ではこの3人がけだったが、途中からすっかり打ち解けて、いろいろは語り合うことができた。まわりはあまり話していなかったようだ。
 隣の男性はとにかくビールをよく飲み、結局7、8缶飲んだと思う。飲み物の注文はすべてビールで、しかも飲み物の注文にこないときにも、わざわざ声をかけてビールをもらっていた。とにかく好きらしい。オランダ航空なので、でるのはハイネケンなのだが、ハイネケンはどちらかというと好きではないと言っていたが、それでも次々とよく飲むのには驚いた。機内でのアルコールは酔いを誘うということになっているが、そんな風ではなかった。
 若い人で、海外出張でのイギリス行きだとか。長い旅行ではないらしい。
 その隣も若い人でどこかわからない音大の大学院生で、リストを専門にしているとか。卒業演奏にリストのロ短調ソナタをひき、卒業論文でその分析をするらしい。なんで、ピアノの人が、いくら修士課程とはいえ、論文を書く必要があるのか、疑問だと言ったところ、多くの人がそう思っているらしく、「そうですよねえ」と強く共感されてしまった。だいたい、音楽などの芸術に論文が必要だとは思えない。フルトヴェングラーは「運命」の最初の動機、ジャジャジャジャーンという部分の演奏について、大論文を書いたらしいが、誰か読む人がいるのだろうか。そんな論文を読んでも感銘するとは思えない。また、フルトヴェングラーの運命にいくら感激したとしても、だからその論文を読む気にはならないだろう。むしろ、彼の他の曲の演奏を聴きたくなるのではないだろうか。
 私はあまりリストのピアノ曲が好きではないというよりは、食わず嫌いなので、そう率直に言ったところ、その人も以前はそうだったのが、段々好きになって卒業論文や演奏に取り組むつもりになったのだとか。リストというと、単に技巧的という感じがあるが、晩年の作品はまったくそうではないものもあって、かなり複雑な作曲家なんだとういうことで、今度機会があったら聴いてみようと思う。
 それから、前回のオランダでの経験で、民衆大学でのコンサートの話をしたところ、興味をもってくれて、共感していた。それは、今回もまたやっているかどうかぜひ確認してみたいと思っているが、民衆大学の一環として、ランチコンサートがあるのだ。基本的に演奏をしたい人が応募し、聴衆は極めて安い料金(民衆大学の正規の生徒は無料らしい)で聴くことができる。日本円でだいたい200円程度だった。小さな場所なので、50人程度しか入らないし、一杯になることはあまりない。でも、料金を払った聴衆を前に、コンサートをやるというのは、とても勉強になり、主に音大生あるいは卒業間もない人が舞台にたっていた。
 一度、ベートーヴェンの「悲愴」を弾いていた女性ピアニストが、途中で暗譜を忘れてしまい、途中で停止し、あらためて楽譜をおいて演奏したことがある。そのとき、最後に予定されていたショパンを一曲はしょったので、よほど動揺したのだろう。しかしその事実は逆に、そうした若い、未経験の人に演奏の場を提供しているのだということを示してもいる。日本でそういう機会はほとんどないのではないだろうか。
 彼女の話でも、通常の学内演奏会やいわゆる発表会のような無料の聴衆で、部分的に弾くのではなく、有料の聴衆を前に、コンサート全体に責任をもつ演奏会を行うことは、とにかく、勉強になり、大きく成長することができるのだそうだ。先輩でコンサートを何度か開くことができた人がいるそうだが、演奏が飛躍的に上手になったという。
 まあ、そんな話をしながら、アムステルダムについたのが、予定を1時間遅れた4時過ぎ。それから、ホテルに。