オランダで内閣が成立  2003.5.23

 今日のインターネット新聞によると、オランダでやっと内閣が成立したようです。1月22日が総選挙ですから、5カ月以上が経過しています。私の車が1月以上も修理にかかったのは、個人の問題ですが、内閣が成立するかどうかは、国家の問題ですから、それに5カ月もかかるというのは、なんとも不思議な現象です。
 前に書いたように、昨年の総選挙で、日本で右翼として紹介されたフォルタインという党首が選挙直前に暗殺され、その同情票もあったのでしょうが、選挙に圧勝、まったくの新生党、それどころか、選挙直前に結成された政党であるにもかかわらず、突然第二党になってしまったわけです。しかも党首だけの人気で勝ち取った議席なのに、肝心の党首が死んでしまったのですから、政党として機能するわけがあります。
 散々ごたごたを繰り返したあげく、連立をくんだ、第一党のキリスト教政党と保守政党の国民党からあいそをつかされ、連立を解除するために、国会を解散して、総選挙となったわけです。解散したのが、10月なのに、選挙が1月末というのも、呑気なものですが、選挙結果は前に紹介したように、キリスト教政党の第一党は変わらなかったのですが、前回大敗北した労働党が、断然躍進、第二党として、迫ってきたわけです。国民党は完全に敗北し、当然、キリスト教政党と労働党の連立が模索されました。
 この組み合わせは過去にもあるので、それでうまくいくと思われたのですが、経済政策などが相当違うことで、政策合意がなかなか成立しないことが予想され、ごく初期には非公式に、D66という60年代にでできたリベラルな政党(かなり少ない議席だが、合わせると多数になれる。)との連立を表明したのですが、その党首が拒否、労働党との連立のための調整が、延々と続いたわけです。
 その途中でデンマークに来てしまったので、途中経過はよくわからないのですが、少し前に、とにかく労働党との連立は無理であるということになり、前回の組み合わせの国民党が主な相手となって、もうひとつを探す、フォルタイン党は絶対にいやなので、またまたD66へと、相手が変わったわけです。今回はずるずると数カ月がたっているあとなので、D66としても無理に断ることはできなかったのでしょう。あるいは、政権に参加したいのは最初からだったのだけど、時間をかける必要があった、ということなのかも知れません。というもの、1月の総選挙のときに、D66は、昨年まで連立の一角を閉めていた政党であるにもかかわらず、順位が7位だったために、テレビ討論会などに一切呼ばれず、政策を訴える機会すらなかったこともあって、今回の総選挙で更に議席を減らしたという状況があったのです。そういう意味で、政権参加への意思がなかったとはとうてい思われません。

 とにかく、こういう事情で、この3政党によると連立がやっと成立し、内閣ができたというわけです。
 日本でも報道されているでしょうか。