選挙の結果 2003.1.31

 かなり時間がたってしまいましたが、先週選挙が行われました。前にも書いたように、オランダの選挙は日本とは非常に違うので、とても興味深くテレビに釘付けになっていました。選挙そのものは終わったのですが、最も重要なことはまだ済んでいません。つまり、キリスト教民主党と国民自由党が中心であった内閣が、突然大きくなったLPFという、日本では右翼政党と紹介された政党が入ったために、混乱が起き、こんな政党とは一緒にやれないというので、内閣が辞職し、今回の選挙になったので、内閣をとにかく編成することが最も重要なことなわけです。
 ところで、予め予想されていたことですが、LPFとは組まず、またLPF自身が凋落するだろう、すると、どこと組むのか、キリスト教民主党と国民自由党の2つでは多数派を形成することができない。昨年まで政権を担当していた労働党がかなり躍進するだろうと言われていましたが、現在のオランダの政治状況でいうと、思い切った政策を実行するためには、労働党とはキリスト教民主党は政策が違いすぎる、そこで、第一党になると予想され、引き続き首相になると考えられていたキリスト教民主党の党首であるバルカネンデは労働党との連立に一貫して否定的だったのです。
 ところが、選挙終盤に、誰も予想しないことがおきました。
 労働党の党首が若い(39歳)のボスという人だったのですが、(この人は昨年後半代表になった)この人が非常な人気で、もしかしたら第一党になるかも知れない、という予想になったわけです。そうすると、当然ボスが首相になるわけですが、突然、本当に終盤になって、ボスは、労働党が第一党になっても、自分は首相にはならないと言い出したのです。これには国民はすっかり驚いてしまいました。オランダは議院内閣制ですから、国民が直接大統領を選挙するわけではなく、国会議員を選挙して、そこから首相が選出される仕組みですから、当然のことながら、第一党になった党の代表が首相になるのが、当然視されています。日本でいえば、自民党の党首が首相になるようなものです。自民党の総裁選挙が国民的感心になるのは、その人が首相になるからです。
 オランダでも同じことなのですが、ボスは自分は首相にならないと言い出し、しかも、首相候補者はあらゆる選挙予想が労働党第一党になると予想を出したら、発表するといって、候補者の名前すら出しませんでした。ここで、かなり議論が錯綜し、もちろん、キリスト教民主党や国民自由党、LPFは労働党を攻撃しました。
 オランダの選挙は、一応候補者の名前が公表はされているのですが、マスメディア的には党首(筆頭候補者と正式にはいいます。)だけがクローズアップされ、毎日テレビに出て討論していますが、他の候補者はほとんど前面に出てきません。党首の討論能力や人柄が非常に多く左右すると考えられます。
 そういう中で、第一党になっても首相にならないと代表が言い出したのですから、多くの人がびっくりしたのはわかるでしょう。
 労働党は第一党になるかも知れないという勢いだったのですが、私の解釈では、この騒ぎで伸びが止まってしまったように思います。応援する側からすれば、がっかりせざるをえません。
 そして、本当に最終段階、選挙の2、3日前だったと思いますが、アムステルダム市長のコーエンが首相候補者であると公表され、本人も了承したとされたのです。
 オランダの政治の仕組みを知らないとわかりにくいのですが、オランダの自治体の長というのは、選挙で選ばれません。オランダの地方自治体では地方議会の議員が選挙され、首長は中央官庁から任命されてきます。戦前の日本の県知事みたいなものです。したがって、政治姿勢も明確ではありませんし、国民に選ばれたわけでもありません。まして、アムステルダム以外の人たちからすれば、どんな人かもわかりません。
 他の政党、前に書いた3つの政党は、それならば党首討論などの場にでてくるべきだ、と主張しました。当然の要求でしょう。ところが、どういうわけかよくわからないのですが、ボスはコーエンがテレビに出て、他の党の党首と討論する機会を設けませんでした。
 ここは、私は理解しがたいところでした。ポスはずっと労働党の仕事をしてきたわけではなく、他の分野から転出してきて、いきなり党首になったような人なのだそうで、そういう意味で党の基盤が弱いので、やりにくいと思ったのかも知れません。それなら、何故代表になったのか、という批判が出ますし、ここはすっきりしないまま、選挙を迎えました。
 結果として、キリスト教民主党44、労働党42、国民自由党28という結果になり、あとは非常に小さい数になっています。
 オランダの議会(第二院といって、日本の衆議院にあたる)は150名なので、過半数は75になります。キリスト教民主党と国民自由党は盟友という感じなのですが、過半数に足りません。LPFを加えると安定多数になるのですが、また昨年のような混乱になるのは嫌なので、再三それはない、とバルケネンデは明言してきました。昨年まで政権に入っていた少数のD66という政党(1,960年代の世界的な政治の季節の中で生まれた政党、中道左派という感じ)と組みたいというのですが、こちらはかたくなに拒否して、野党を貫く、と断られ、かといって、労働党と組みたくはない、というので、いまだにどの政党が政権を担当するのか、決まっていないという状態なのです。オランダ人によると、2、3カ月はかかるのではないか、というようで、実にのんびりしています。辞職したのが10月ですから、だいたい半年は正規の内閣が存在しないことになります。ゆったりとしていい、と考えるか、あまりにだらしないではないか、と考えるかは、人によって違うでしょう。
 
 さて、とりあえず選挙は終わったわけですが、いくつか感想を。
 今回及び前回は例外だったそうですが、投票率の高さに驚きました。投票日は平日の水曜日であり、しかも多くの地域で雨が降っていました。しかし、投票率は80%を大きく超えていたのです。時間が長いこともありますが、日本では考えられない率です。しかし、考えてみると、平日の方がいいかもしれませんね。日曜日だと、どうしても遊びに行ってしまう人がたくさんいますが、平日ならば、仕事とか学校の都合を企業や学校側が考慮すれば、選挙に行く人が増えるかも知れません。
 第二に、とりあえず選挙の争点が政策中心に議論されていたことです。オランダではまったく宣伝カーが走り回って名前を繰り返すというようなことはやりません。中心はテレビによる党首討論で、ここでは非常に激しくやりあっていました。内容はよく理解できないのですが、相当の政策理解がないと対応できないことは明らかです。あとはビラなどもありますが、政党ごとに開く集会が中心になるようです。
 それからメディアのかかわりもずいぶんと違うような感じがします。日本では、メディアの紹介は人物中心であり、政策は、「どこも似たりよったりで違いはない」などとまとめます。これは非常に無責任で、メディアの役割を放棄していることだと思うのですが、日本のメディアのレベルはこんなものかといつも思わざるをえません。表面的に違っているように見えても、どんどん突っ込みをいれて、どこが違うのかを国民に明らかにしていくのがメディアの役割のはずですが、日本のメディアはそういうことをしません。しかしこちらのメディアはどんどん聞きにくいことを聞いていって、違いがわかるように議論を仕組んでいきます。ごまかせば聞いている人はわかりますから、そこで政党の信頼に関わってきます。もちろん、すべてがそういうように機能しているわけではないでしょうが、基本的な姿勢として非常に大きな相違を感じました。