オランダという社会(3)柱状社会について 2002.10.30

 今回はオランダ社会に特有とされてきた社会構造について、説明します。もっともそれは現在ではほぼ崩れているというように言われているのですが、新たな展開があるという考え方もあり、知っておくといいのではないかと思われます。
 オランダと一部ベルギー(ベルギーは19世紀にオランダから分離独立した)にだけ存在したといわれる「柱状社会」というのがあります。これは、社会組織の重要な部分が宗教的に組織されていて、社会生活がほぼ宗教的に分離して営まれる状態をさしています。つまり出産する病院や医師、助産婦から始まって、学校、協会、スポーツクラブ、放送や新聞など、そして極端な場合には職場も宗教色があったというわけです。
 オランダは、プロテスタント勢力が中心となって、カトリックの政治的中心であったスペインから、独立戦争を経て独立を勝ち取ったという歴史があります。しかしそのことで想像されるような、プロテスタント一色の国ではなく、むしろカトリックも多いし、新教でもカルビン派もいて、宗教的には勢力がかなり拮抗している状態が続いたのです。そこで、いわば「棲み分け」的な生活を営んできたということでしょう。
 特に、1,917年に長年の学校闘争が集結し、1,920年より、私立学校と公立学校の財政的格差がなくなった時点から、柱状社会が顕著になったと言われています。
 学校闘争というのは、今の日本の状況をみるとよくわかりますが、公立学校は税金で運営され、私立学校に通わせる人たちは、税金を払いつつ、私立学校ですから授業料を納めていたわけです。これは不公平ではないか、と私立学校側が長年運動をしてきたのです。私立学校といっても、当時はすべて宗教学校ですから、学校闘争はまた、宗教闘争でもあったのです。1,920年から、私立学校といえども、条件を満たせば公費で運営できるというようにして、私立学校でも公立学校でも同じ条件になり、ここで、今でも続いているオランダの学校選択制度が成立したのです。そして、学校がそのように、宗教的に分かれて、しかも平等な立場で存在するようになると、自然と大人社会も更に一層宗教的にまとまるようになりました。そして、勃興してきた新聞や新たに生じた放送メディアなども、宗教的に棲み分けをするようになり、柱状社会が形成されてきたというわけです。
 以前は、人口移動が非常に少なかったので、宗教的な分布もかなり地域的な分布と重なっており、柱状社会も安定的に存在しえたのです。しかし、第二次大戦後、とくに、1,960年代を経て、オランダも現代的な社会に変質してきました。人口の移動が激しくなり、また、教育の世界においても、宗教的な理由よりは、教育的な理由で学校を選択する風潮も出てきました。また、結婚も同じ宗派の中で相手を選ぶというよりも、宗派など気にせずに人物本位で選択するようになると、夫婦で違う宗派に属するという事例も、けっして珍しくなくなってきたのです。そうすると、柱状社会などは、ほとんど意味がなくなります。
 カトリック学校に通わせるといっても、宗教的な意味よりは、カトリック的な教育が優れていると考えて、プロテスタントに属する親が子どもを入れる場合だってでてきました。

 こうして、柱状社会は次第に消えてきたのですが、まだ放送と学校がその色合いを残していると言われています。信仰の程度は別として、いまだに学校は、カトリックとか、プロテスタントとか、イスラムとか、宗教的な分類を保持していますし、学校の看板にも、それは明記してあります。公立学校というのは、宗派色をもたない学校です。

 柱状社会は、ある意味では、「自由」や「寛容」の精神の社会制度への具体化ともいえるでしょう。宗教的に電停すれば、異なる宗教は認めたくないということになりますから、異なる宗派の学校に対して、税金を支出するなどということは、我慢できないのが普通です。しかし、そこをお互いに認め合って、干渉せず、共存していこうということですから、自由や寛容の現れであることは間違いありません。
 しかし、逆に、国民的な制度を構築していこうなどという発想ではありませんし、実際には認めていないのに、システム上存在を認めていこうということですから、ある面いいがげんでもあるわけです。問題の先送り的な側面も否定できません。

 そうしたことが、現在移民問題が大きくなって、オランダ社会が揺れている原因になっているのかも知れません。

 オランダはヨーロッパの国の中で、イスラム教やヒンズー教の学校を、「税金で全額」運営を支えている唯一の国家でしょう。それだけ寛容なわけです。ところが、イスラム人口が増え、イスラム学校では、オランダ社会の精神と異なる教育をしているのではないか、そこで学んでいる生徒たちは、オランダ社会で生きていく上で十分な学力を保障していないのではないか、という疑問が一方にあり、また、事実イスラム系の人びとは、これまでのオランダ社会の風習とは異なる習慣をかなり維持して、イスラム内部社会をオランダ社会の中に形成している面も否定できません。ある人に言わせると、イスラムの増大によって、オランダは再び柱上社会が復活しつつあるという評価となるのです。
 柱上社会という極めて特異なシステムの評価、そして、その崩壊の評価、そして復活の評価、これは極めて興味深いテーマです。そして、日本とも決して無縁ではないとも思われます。
 在日と言われる人たち、日系労働者の合法的な受け入れ、等で、日本社会にも、ある種異文化内部社会が存在します。日本の衛星放送で行われている外国語放送が、英語をのぞいて、すべて在日や日系労働者を対象としていることは、みなさんご存じでしょう。かつて外国語というと、まずはドイツ語であり、フランス語であったのですが、そんな放送はまったく日本にはありません。
 放送や教育が柱上社会の中心であることを思えば、日本だって、決して無縁のことがらではないように思われます。

 柱状社会の復活が事実であるのか、事実であるとすれば、ふたたび「棲み分け」社会に戻るのか、あるいはまた違う展開をとるのか。移民排斥のような。