439/628 GEC01342 WAKEI オランダ通信51 能力の問題
(19) 93/06/17 05:52 コメント数:1
オランダ通信51 能力の問題
427の上善如水さんから始まったいくつかのア−ティクルで、能力は決まっているという論が展開されていて、それがオランダの教育観と同じであり、その点でのオランダ教育への共感が示されていたように思います。
しかし、私はこの点については、オランダ教育には共感していないのです。この点で、オランダ教育はいずれ改革せざるをえなくなるだろうと思うくらいです。
人間の能力にかなり大きな差があることは、だれも否定できないところです。人間の能力に差がある、ということを指摘することは、それ自体としては、ほとんど意味をなさないと思うわけです。
古代アテネでは、それこそ能力の平等観からか、公的仕事を籤で決めていたそうです。しかし、現代で、そのようなことを主張する人はいないわけですから、人間すべて能力は平等などと考えている人は、実際のところいないでしょう。だから、「人間の能力は決まっているんだ」という論理は、あまり教育なんて受けたってしょうがない連中がいる、そして、そういう連中には、社会はお金をかけて教育を与える必要などない、はやく自分に相応しい仕事をしなさい、という主張に、通常はなるわけです。
たぶんオランダという社会は、現在のところ、そのような主張が、社会の主流になっていると考えられるのです。実際に、そういう主張を、よく聞くことがあります。
しかし、別の観点から、オランダ社会を見ると、そうした、教育を十分には受けてこなかった人々が、現代社会にふさわしくない働きブリで、我々を驚かせることがよくあるのです。
ライデンのマクドナルドは、学生がよるアルバイトをしているのですが、注文やおつりを間違えることがよくあります。学生ですらそうなのです。
他の店では、推して知るべしです。ヨ−ロッパでは、技術革新についていけなくて、企業が競争に破れることが、よくあるわけですが、その基本的原因は、やはり教育の問題でしょう。つまり、社会の基礎的部分で技術を支えている人達の教育水準は、ヨ−ロッパは意外と低いのです。なんと言っても、日本は後期中等教育の率が90%を越えているわけで、しかもその教育水準自体が、はるかに高いものがあります。いろいろ問題はあるにせよ、この点の優位性は否定しがたいものがあります。こちらで、失業問題のひどさを聞くと、余計そのように感じるわけです。
オランダ人は、よく言います。人間の能力は先天的なものがあるので、無理に高い教育を受けさせなくてもよいのだ、と。
しかし、その能力をどのようにして計っているのか、あるいは、どのようにして計れば、本当にその人の能力を計ることができるのか。
この点について、オランダ人が、きちんとした対応をとっているとは思えないのです。つまり、小学校では、ほんとうに良く遊びます。無理な勉強を押しつけるようなことはないわけです。結構習い事などもしますが、日本のように、一生懸命というような雰囲気は、多くの場合ありません。結構いいかげんなのです。
それで、本当にこの子どもの能力は、こうだ、などと判定できるものでしょうか。
私が日本の大学の講義で、かならず一度は一年間に問題にするテ−マがあります。それは、「実力というのは、全然準備しないで、いきなり何かやらせた時に発揮する能力のことなのか、それとも、ぎりぎり準備、練習してから発揮できる能力なのか、人間の実際の能力を計るとき、どちらがより正しく能力を計っているのか」という問題です。私は、大人数の講義でも、討論形式の方法を取っているのですが、この問題では、大抵活発な討論がされます。
オランダ社会では、少なくとも、多数の意見、そして、実際の親の行動は、「準備しないで」という方法・認識をとっているように思われるのです。しかし、どうも私は、そういう考えに賛成できないわけです。
だいたい音楽に接したことのない人に、音楽の才能がない、と断定できるだろうか、ということです。
CONTIさんが確か紹介していたように、ヨ−ロッパの学校というのは、基本的には「知的学習」の組織なのです。したがって、音楽や図工や体育は、授業としてありますが、非常にお粗末です。ただやっている、という程度で、日本のように体育祭で競争したり、音楽祭の合唱コンク−ルに向けて練習する、などということがないのです。知的学習だって、日本のような学習指導要領はありませんから、教師によって教える内容には、相当な差があると考えてよいでしょう。
そういう中で、判定される能力に、どれだけ正確なものがあるでしょうか。
やはり、人間の能力は、ある分野をかなりやってみて、分かることなのではないか、と思うのです。
じゃなんでもかんでもやってみなければ、ならないのか、ということになりますが、もちろんそんなことはできないので、それは、実践的な問題として、解決される以外にはないのでしょうが。