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(19) 93/05/22 04:17 コメント数:1
オランダ通信46 能力観
上の娘がプリCITOテストを受けました。
CITOテストというのは、大分前に多分書いたと思いますが、中学に進む時に、どの類型の中学に進むかを判定する、重要な資料となる「全国テスト」です。CITOという言葉は、centraal instituut voor toetsontwikkeling のことで、テストのための中央機関というような意味で、日本で言えば、対象は違いますが、大学入試センタ−のようなところでしょうか。
オランダでは、全国的なテストはこのCITOテスト以外ありません。
もう一度整理しておくと、中学は4つの類型に別れていて、年数も違います。大学に行けるコ−スから簡単な職業学校まであって、親の希望、CITOテストの結果、そして、学校の成績とを考慮して、決めるわけです。CITOテストの結果には、どの中学が適当か、という判定も付いているそうです。しかし、だれに聞いても、一番重要視されるのは、学校の先生の意見である、と言ってます。
CITOテスト自体は、日本の学力テストと知能テストを合わせたようなものらしく、解答はすべて選択式で、記述問題はほとんどないようです。正確にはわかりませんが。というのは、ここが日本と全く違うところで、いろいろな人に聞いているところなのですが、まずオランダには、CITOテスト対策の問題集がありません。日本だったら、入試が終われば、1月もたてば、本屋には入試問題を収録したワ−クブックや対策本が並ぶことになります。そして、入試が近づくと、またいろいろな過去の問題を集めた本が出ます。そういうもので、子どもたちは「準備」をするわけです。だから、大人が内容を知りたいと思えば、テストの内容を知ることができるのですが、CITOテストは問題集として収録されたものがないので、どうも分からないのです。
だから実際に接した人に聞くわけですが、そうすると、先のような選択式のテストということになります。
娘が貰ってきたパンフによると、プリテストは、「言語」「計算」「情報」の三つで、娘は「計算」だけ受けました。他の二つは難しすぎるので、受けないということでしょう。それにすぐに帰国するので。
娘によると、問題は非常に簡単なもので、馬鹿馬鹿しいくらいのものもあった、ということです。例えば、100+50=50+?という問題で、?はいくらでしょう、というのを、いくつかの数字から選ぶというものです。
もちろんそういうものばかりではなく、多少考えさせる問題もあるようですが。
さて、日本人である私の最大の疑問は、オランダの親と子どもは、この人生を決めるようなテストのために準備をしないのだろうか、ということです。親や子ども(と言っても現在の子どもではなく、学生の子ども時代のこと)に聞くと、まだ家で準備をしたという人には会ったことがありません。学生ですから、CITOテストでは非常に良い成績を取った子どもたちなのです。
教師に聞いたときには、「学校で準備をするのだ」と明確に述べていました。ヨ−ロッパの学校は「知的教授」の機関であって、生活指導などしませんから、これは当たり前のことでしょう。勉強は家や塾でやるから、学校ではしつけをしてほしい、などということは、オランダでは通用しません。だいたい、それは教師の任務ではないので、生活指導に係わるようなことはしないので、テスト準備こそ、学校の任務になります。
そして、CITOテストの学校としての成績は、やはり教師の「評判」に係わる重要な要素なのだそうです。もちろん、こちらには「勤務評定」などありませんから、公的な教師の評価には関係ありませんが、親たちが学校を選択するときの、指標になります。
ペッピングは人気がありますが、まだ8年生を受け持ったことがないので、評価はできない、というのが親たちの意識だそうです。
では何故、学校だけではなく、家でもさせることをしないのか。
帰ってきた答えは、いくつかあります。
小学校の時代は子どもは遊ぶことが大切で、勉強は学校だけでよい、という強固な考えです。日本とは全く違います。日本では、小学校では子どもは遊ぶことが、仕事だなどという時代は、存在したでしょうか。現在のような受験時代の以前は、子どもは家庭の仕事を手伝っていただろうし、特に農村では、子どもは不可欠の労働力だったと思うのですが、大体オランダの子どもは、ほとんど家事の手伝いをしないそうです。とにかくよく遊びます。勉強は7年8年になると宿題が出るので、それをするだけです。
次の答えは、子どもには生まれついた能力があるので、無理をしても仕方がない、ということです。無理に難しい学校に行っても、落第が待っているだけなので、本人の能力にあった学校に行くのがいいのだ、だから無理に勉強して、無理な学校に行くより、本人の本当の能力を計って(従ってあまり勉強せずに試験を受けて)本人に相応しい学校に行くのがいい、ということです。それに、CITOテストは良くなくて低い学校に行っても、そこで成績が良ければ、上の学校に変われる、という安心感もあります。
しかし、もともと大学コ−スの中学から大学に入った学生と、低い学校から移行して、つまり、何年か余計にかかって大学に入った学生とは、この点については受取が違うようです。
日本人との感覚的な相違という点では、「努力」の持つ意味が非常に違う感じがします。日本人は生まれつきの能力よりも、(少なくとも同じ位には)努力を重視すると思うのです。特に人間評価としては、努力の占める割合は、とても大きいのではないでしょうか。しかし、オランダでは、どうも、生まれつきの能力を覆すような「努力」はありえないし、また無駄だ、と思っているのではないかと思います。