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(19) 93/05/15 05:38
オランダ通信43 子どもの教育事情3
私の次女はバレ−狂で、とにかくバレ−ができれば何もいらないという程です。日本でも週4回通っていたのですが、こちらに来て、とにかくまずバレ−教室探しをしました。 バレ−教室に関しては、いろいろなことが起き、教育の問題でもあるので、今回詳しく報告します。
私の住んでいるところは、人口2万の村で、ライデンの隣です。バレ−教室はひとつしかありません。私の大家さん(ライデン大学の教授で、1年間私と入れ違いにアメリカに留学し、その留守を私たちが借りています。)は、そのひとつのバレ−の先生を紹介してくれたので、すこし生活が落ちついて、すぐ彼女に電話をしました。近所の人も子どもをそこに入れていて、とても人気があるので、入れるかどうかわからない、と言っていたのですが、とにかく来て欲しいということで出かけました。
モニカという名の比較的若いバレ−の教師で、感じのよい人でした。場所は中学の体育館を使っており、週1回だけ、私たちの村で教えていました。小学校の後半の年齢の(それがそこでは一番上級)に行ったのですが、私たちも見ていて、とにかく驚いてしまったのです。
クラシックバレ−というのは、きちんと決まった服装が一応あります。これは多分世界共通でしょう。バレ−シュ−ズあるいはトウシュ−ズ、バレ−用のタイツ、そして、バレ−のウェアです。それから原則として髪の毛はうしろで結んで丸めます。そうしないと、髪が踊りの邪魔になるのです。
日本でもいろいろなバレ−教室をみましたが、この4つのことが守られていない教室はありませんでした。
ところが、モニカの教室は、20人くらいいて、髪を丸めているのが1人だけ、ウェアを着ているのは半分で、タイツを着ていない人が5人くらい、そして、裸足の者が3人くらいいるのです。この服装というのは、決して単なるユニフォ−ムではなく、バレ−という動きのために必要なものなのですが、そういうことは、お構いなしという感じなのです。
そして、始まってもモニカの言うとおりなど踊らず、すき勝手なことをしている子どももいます。教師はべつに叱りもしません。
ああ、オランダなんだ、と思わず笑ってしまいました。でも、ただはっきり言えることは、とても楽しんでやっていることは確かですし、みなすぐに親切に子どもに対応してくれました。そういうことは、来たばかりなので、とても嬉しかったようです。
例のラトケ教授の娘さんが、はるか昔、ライデンの教室でバレ−をやっていたということで、別の先生を紹介してくれていたので、しばらくして、電話をしました。それで、いざ行くというときになって、どういうわけか、子どもが躊躇しはじめ、今日は見ているだけだ、といいはるのです。踊れるというだけで幸せ一杯という彼女がどうしたのか、と聴くと、オランダは本場のフランスに近いのだから、皆すごく上手なはずだ、だから、いきなり一緒にやるのは嫌だ、というのです。どのくらいの水準か見てからだ、と言って、どうしても踊らないというので、実際に教室についてから、先生に勧められても踊ろうとせず、見ていました。
そこはブリエ−ルという人のやっているスタジオをもった教室で、ブリエ−ルという人は、ジャズダンスが専門で、オランダでは非常に有名な人なのだということを後で知りました。クラシックを教えるのは、若い人でした。
さすがにここは、4つをきちんとしていない生徒はなく、練習も熱心にやっていました。そして、感心したのは、身体障害者がいたことで、皆と一緒にきちんと練習しているので、驚きました。日本でも随分生徒を見たけど、障害のある子どもはなかったと思います。その後、いろいろな分野の練習をみたけれども、障害児が参加していることは、めずらしくないのです。
練習初日は、クラスがふたつあるので、ふたつとも参加するということにしました。能力を見るということもあるし、本人がたくさんやりたいということでもあったのです。
それで一つ目をクラスが終わったときに、ブリエ−ルが入ってきて、彼女はハ−グに行きなさい、というのですね。ハ−グって何かもちろんわかりません。それにハ−グには電車に乗っていくので、遠いから嫌です、などと反射的に答えても、向こうは承知せず、それからずっとハ−グの連発です。
ブリエ−ルはアメリカで10年くらいジャズダンスを踊っていたそうで、英語が旨いので、英語でまくしたてます。大体趣旨はこうです。
オランダ人というのは、全く練習嫌いで、いいかげんなんだ、だからバレ−でも大成しない、ここに来ている生徒も、バレ−にかけているような子どもはおらず、ちっとやってみようかという程度だ、それに対して、私の子どもは素質もあるし、また情熱もある、そういう子どもには、きちんとした教育を与えてやるのが、親の義務である、だからハ−グに行かせなさい。
それで親として、はずかしいくらい子どもを褒めるのです。
何度か聞かされる内に、ハ−グというのが段々分かってきました。
ハ−グというのは、バレ−と音楽の専門家養成の学校なのです。小学校の7年生から中等学校までの学校をもち、バレ−のレッスン場や劇場までもっています。日本語に訳せば、王立芸術学院というようなもので、学校付きのバレ−専門学校は3つか4つあるのですが、「王立」が付いているのはハ−グだけのようで、もっもとレベルが高く、職業としてのダンサ−を養成する学校なのです。バレリ−ナをめざすオランダの子どもの憧れの的なのだそうです。
そうこうする内に、ブリエ−ルは「勝手に」ハ−グに連絡をとり、娘を紹介するとともに、案内書を送るように手配しました。それで、すぐにわが家に「受験申込み書」が送られてきたのです。実はその時に、はじめて「学校付き」ということがわかり、私としては受験しても意味のないことがはっきりしました。しかし、非常に珍しい経験なので、話の種として受けさせるのもいいか、などと無責任なことを考え、娘に意向を聞いたところ、バレ−なら何でもやりたいので、受けたいと言います。1993年度の入学試験であり、また小学校の7年生からのクラスということで、(娘は5年生)受験できるのかを確かめようと思って電話したところ、やはり難しいが、受験はしてもよい、ということで、その場での電話申込みで、申込みは済んでしまいました。なんともまあ妙なことです。
1993年の開始にはオランダにいない、いたとしても6年生である、オランダ人ではない、という、これだけの否定的条件にあるのに、簡単に受験を認めるのです。日本では考えられないことだ、などと思って、まあとにかく受験に家族で、見学旅行みたいな気分で出掛けました。
さて、試験当日になると、さすがに皆バレ−をしているという体をしており、緊張しています。年齢も様々です。
時間になると、本人は別室に集合し、保護者たちは見ることができなくなりました。しかし、その間、学校の見学と説明があり、中をつぶさにみることができました。
大きなバレ−レッスン場が2つ、学校なので、通常の教室や施設があり、最後に劇場に案内されて、そこで質問を受け付けていました。劇場は、舞台(様々な装置は当然)オ−ケストラボックス、そして、客席が多分400くらいの感じの舞台で、そういう物はすべて同じ建物の中にあり、とても新しいものでした。
質問はオランダ語だったので、もちろんほとんど分からないのですが、何人くらい合格するのか、大学には行く道があるのか、寄宿は可能か、などといろいろな親が真剣に聞いていました。合格は0から2人がせいぜい、大学には別の学校に移って勉強してから、寄宿は可能などということだったように思われます。合格はもちろん定員ではなく、能力によるので、決まっておらず、親はため息をついていました。
それが終わって喫茶室で、くつろいでいると、そこから楽器が置いてあるスペ−スが見え、くさりでぬすまれないようにしてあるのが、可笑しくて、写真にとりました。オランダらしいという感じです。
さて、終わって出てきた娘に聞くと、はじめは簡単な柔軟、簡単なバ−レッスンと踊りがあって、それから5人が指名されて、すこし難しい柔軟をした、娘はその中の1人だった、というのです。その中の1人は非常に上手で、スタイルもよかった、自分は3番目にうまかったと思う、などと「分析」しています。
本人はあまり自信がないようなので、「受かったってどうせ行かないのだから、まあ落ちても同じだよ」などと予防線をはりましたが、雰囲気としては受かるのではないかと思っていました。それにしても、皆のいる前で、5人だけを選び、特別の試験をするというのは、なんとまあ「露骨」だな、と感じたものです。
さて翌日、ハ−グから電話がありました。どうもブリエ−ルが電話をするように言ったらしいのです。その趣旨はこうです。
娘は素晴らしかったし、才能があるので、合格なのだが、内は7年生からで、娘はオランダ語ができない、そして、5年生である、だから、本当はいますぐに入学してほしいのだが、(というよりこちらがそう思っている、と誤解しているらしい。こちらは入る気などないのに)今受け入れることは難しい、(当たり前だ、1993年9月からの生徒の試験ではないのか)それを了承してほしい、というお詫びの電話なのです。始め、何故そんな電話をかけるのか、理解できなかったけど、オランダの学校は、何度も書いたように、受け入れ校があれば、自由に途中から転校できるので、1993年からといっても、すぐ入ることも可能なのです。
実はモニカが1回、ブリエ−ル1回ということで、週2回のレッスンだったのが、娘は不満だったので、それをブリエ−ルに話していたところ、もっと遠いライデドルプにある教室を紹介されていたのですが、ハ−グの電話の教師も、そこをかわりに行ったらどうか、と勧めるのです。
その翌日合格証が来て、それをもってブリエ−ルのレッスンに行きました。
そこで、私たちとしては、とても考えさせられる経験をしたのです。
ブリエ−ルは怒りをぶちまけるという感じなのです。オランダの学校は何故才能のある子どもに道を開かないのか、オランダ人はハングリ−精神がないから、ちっとも伸びない、アメリカ人と日本人とロシア人はよく練習するから、どんどん若い人が育っている、と。
こちらはぽかんとして聞いているという感じ。
そして、うちにいても伸びないから、ライデドルプに行け、の連発です。だいたい、営利的にやっているのに、内より余所に行け、などと日本でもいうだろうか。
あなたの生徒が減るではないか、と言うと、私たちはお金のためではなく、才能の開花のために仕事をしなければならない、それが私たちの役目だ、というのです。まあ、きれいごとでも、実際にこうして紹介しているのだから、嘘ではない、と感心せざるをえません。とにかく見に行くだけでも行け、ときつく言うので、見に行こうか、と子どもと二人で見に行きました。
これが、ある意味では運命的な(おおげさか?)見学でしょうか。
ブリエ−ルのところはバスで20〜30分、ライデドルプは40〜50分で、とても遠い感じです。独立した建物のスタジオをもっており、小さい子ども以外は、全員テストをして入れるという、完全に才能教室的性格をもった教室です。娘はハ−グに合格しているということで、テストを免除されました。
教師はエルザといって、オランダナショナルバレ−のソリストだった人で、ハ−グの教師をやっていたのが、自分の考えでの教育をしたくて、教室を開いたそうです。実は、日本人の助手の人がいて、とても助かったし、事情もよくわかりました。
さすがソリストだけあって、手本などで踊るものはすばらしいものがありましたが、ここでは、そういうことは抜きにして、教育の特徴を紹介します。
3回くらい練習をずっと見させてもらったのですが、それまでとまったく違うことがありました。
モニカのところは、皆で楽しんでいました。教育というような要素はあまり感じないほどです。ブリエ−ルのところは、平等に教えていました。日本では、平均的な向上を図るために、まだできない人を引き上げるように教えていました。(日本でもかなり厳しい教室だった)
でもエルザは、全く違うのです。
上手な人以外は、教えないのです。まず自分で手本を示し、皆にやらせていく間に、注意をするのですが、直ぐに上手な子どもだけ注意していることがわかります。バ−が3方面にあるのですが、一見して中央のバ−には、あまり上手でない子どもたちがいます。彼女たちは「壁」と呼ばれていると、日本人の助手の人が教えてくれました。割り切って楽しむために続けている人も多いが、さすがにそういう取扱が嫌で止めていく人も少なくない、ということでした。
とにかく能力主義は徹底していて、そのため、厳しく注意されると、その子どもは実に嬉しそうな表情をします。
私の娘はとても基本的なことができなかくて、それを注意されているし、また私にも説明があったのですが、そういうことは分かってなかったのか、と聞くと、日本でも一応教えられていたけど、日本ではある程度できる子どもは、あまり注意されなかったので、きちんとできるところまでいかなかった、というのです。
ところが、エルザは能力のある者だけ注意するので、できない者はいつまでたってもあまり上手にならないが、できる者はどんどん伸びていく、ということになります。娘は気に入られて、家でもきちんと柔軟をしたりしていたので、どんどん伸びていって、注意もされるので、かなり短期間に、欠点をある程度是正することができました。
しかし、この子どもの扱いの相違は、非常に考えさせられました。(続)