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(19) 93/04/11 05:46
オランダ通信33 生命終焉措置
前回、安楽死に関するオランダの事情を報告しました。すると、4月9日と10日の新聞に、今度は「痴呆症」に関する記事がでました。9日にはNRCという新聞、10日にはVolkskrant(民衆新聞)という新聞です。この2つの新聞は、オランダの新聞界で、もっとも固い新聞で、前者が保守的で、後者が左翼的ということになっているようです。しかし、左翼的といっても、「労働者的」ということではなく、「カトリック的」ということのようです。いまは「カトリック」の立場そのものではないが、オランダのカトリックは左翼的伝統が強いそうで、そうした流れにあるということです。(ここらは伝聞なので、確かなことではありません。そういう意見が多い、という程度に受け取ってください。)
さて1985年依頼、王立医学協会は痴呆症の延命措置に関する委員会を設け、検討してきたのだそうです。それが、一応の報告書を出したということです。ですから、これが法的な決定というのではありませんが、こうした文書は、とても大きな影響力を持つということは、確かです。
さて、前回の安楽死では、三つの基準がありました。ひどく、除去できない苦痛、医学では治療不可能、本人の意思表示という三つです。
しかし、今回の「痴呆症」ということになると、もっと大きな矛盾にぶつかります。というのは、「本人の意思」なるものが、厳密に言えば存在しえないからです。
医学協会の目的は、当然、自分たちがもし「生命終焉措置」をしなければならない場合、刑法的に問題にならないような基準を、明確にすることです。
ここで、ふたつの新聞は、全く異なる見出しを付けました。
NRCは「医者はときとして、自ら痴呆症患者の生命を終わらせてもよい」というものです。しかし、Volkskrantの方は、「王立医学協会は身体的苦痛が条件 痴呆症患者の生命は終焉させられてもよい」となっています。
訳語で「よい」というのは、英語でmayにあたる言葉です。
この記事は報告書の紹介ですから、内容にそれほど大きな違いはありません。しかし、その報告書の読み方として、医者は自分の判断で、痴呆症患者を死なせてもいいのだ、という側面を強調した前者と、身体的苦痛が条件という、条件付けを重視した後者とでは、はっきりと違います。
こういう文書は、専門用語が出てきて、とても難しいのですが、(専門ではないので)私の読み取った範囲で、この難しさを考えてみます。
安楽死でもっとも普通に問題になるのは、癌の末期の苦痛です。しかし、癌患者は意識ははっきりしているので、自分の意思表示をすることができます。
ところが、痴呆症というのは、自分の意識を喪失する病気ですから、まず自分の意思で、死にたいという表示をすることができないわけです。
もちろん、もし自分が痴呆症になってら、殺してほしい、というような意思を、きちんとした形で、元気な内に表明しておけば別でしょうが、人間中々そういうことはありません。
そこで、報告書は、「最後の意思」なる概念を検討したようですが、これも結局は、はっきりしたものではありえないわけです。つまり、痴呆症になった患者が、最後に明確に意思表示したもので、「殺してほしい」という意思表示がある、ということは、ちょっと考えにくいわけです。
では、Volkskrantが条件付けたように、「肉体的苦痛」ということが条件であると、どうなるのでしょうか。
これもすぐに、壁にぶつかります。つまり、本当に「耐えがたい苦痛」で、患者苦しんでいるのかどうかの確認すら、とても難しいということです。
そして、治療不可能ということの意味も、癌とは随分違うでしょう。癌は治療不可能になった時点では、確実に死が迫っているわけですが、痴呆症の場合は、そういう断言はできません。その後もずっと生きる可能性もあります。
では何故こんなことが、医学の問題として検討されるのか。
その理由は明確でしょう。
つまり、治療する側、医者・家族・福祉組織のいずれもが、その大きな負担に耐えられない状況が、たくさん生まれているということでしょう。どうせこのまま直らないまま死ぬのなら、今死んでもらった方が、すべての人のためになる、という極めて「ク−ル」な発想で、報告書では、「非人間的状況に陥る」と表現されています。こうした場合には、医者が判断しうる、ということを、医者たちが求めているわけです。
オランダと日本の違いは、このク−ルな判断をするところまでは同じなのですが、オランダはこのク−ルな判断を「実行」しているのに対して、日本ではまだ躊躇しているということではないでしょうか。(私の誤解で、日本でも実行されているかも知れませんが) 報告書には、「痴呆症」患者の積極的生命終焉措置は、めったにないとされていますが、逆に言えば、やはりあるのでしょう。「めったにない」というのは、外の表現と受け取らざるをえません。そうでなければ、1985年からの検討などされているわけがないのです。
因みにオランダの老人の生活と、日本の老人の生活は、様式的に全く異なるようです。オランダでは子どもと同居することは、ほとんどないそうで、子どもとは別に生活し、ただしお互いに行き来する、ということのようです。そして、自分で生活することが困難になったら、老人ホ−ムに入って、そこで余生を送るということです。老人ホ−ムには、暗いイメ−ジはなく、医療なども整っているので、望んで入るそうですが、その場合には、家などは全部処分しなければならないということです。大体70代までは、自分で生活し、80位になると老人ホ−ムに入るということです。日本は世界一の寿命を誇っていますが、オランダも多分その次位のグル−プに入ると思います。