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(19) 92/12/12 05:21

オランダ通信7
 5の続きです。最近では、トルコ人殺害に関する論議は、少々低調になってきました。逮捕されたことだし、また移民の問題に移った感があります。それになんといっても、日本でもそうだと思いますが、アメリカのソマリア派兵が、ニュ−スを埋めています。(今日朝日新聞を読んでいると、「多国籍軍」となっていましたが、こちらではほとんどがアメリカの動向として紹介されています。)
 さて前回紹介できなかったのですが、オランダの週間新聞に掲載された長文の分析記事を紹介します。オランダ人の書いたものですが、とても冷静な書き方なので、要約をそのまま紹介します。
Nieuwe demonen Bart Vink "Intermediair" 1992.11.27
(週間新聞)
民族の怒りを代表しているという意識と、ドイツ騎士は自分たちだという意識。
右派のロックグル−プは口コミで情報を伝達している、というのは警察などでも把握できない。彼らの音楽は暴力的になりやすい。
昨年Hunxe で少女が火事にあったが、スキンヘッドの犯行声明があった。
右翼の暴力は流行になっており、今年の9カ月で1500件の外国人への暴行があった。1991年には3人が死亡している。
しかし、これは旧東だけの問題ではなく、実は3分の2は旧西で起きている。右翼過激派の精神状況が若者に広がっていることが問題である。
そして、政党も自分たちの弱体に対して、彼らを利用することに傾きがち。
学校も右翼的風潮になっている。小学校だけではなく、ギムナジウムや高等専門学校も。そして、大学はカオス的だが、ブルシェンシャフトはネオナチの温床である。
東ドイツ地区では、IBMの調査によると、3分の1は外国人への敵意をもっている。シュレスウィヒ・ホルシュタインでは13%がVDUに、ブレ−メン・ヴュルテンベルクでは19%がRepublikanerに投票。
大学では36団体が過度の飲酒や19世紀風の服装を好み、祖国ドイツという観念を表に掲げている。Neue Rechts という団体がネオナチの知的風土を造っている。
右翼紙 Criticon, Mut, Nation Europa, Europa vorn これらは学問的装いをとっている。月刊誌のJunge Freiheitは3 万部あり、来年は週刊誌にしようとしている。
右翼の思想家たちは、国家主義に加えて、社会主義、多文化社会批判・アメリカ文化批判、利己的な市場経済批判を結合し、新たな思想の中心には、「共同性・自然・秩序」をおき、過去の思想家としては、フィヒテ・ニ−チェ・ハイデッガ−、そして、中心的にはカ−ル・シュミットとエルンスト・ユンガ−である。ユダヤ・キリスト教への憎悪。
右翼思想家はナチの過ちを繰り返さないという点での意識が強い。そこで右翼思想家と右翼過激派の橋渡しの組織が必要になる。それが現在では、de Republikaner である。
純粋であることが、価値になっている。「文化的一体性」とか「国家的アイデンティティ」というような言葉はあまり使用しない。多文化というのは茶番であるとする。何故なら文化的統合は不可能だからだ。多文化は匿名性・疎外・犯罪に至る。文化的寛容性も利己主義や個人主義に行き着く。
ドイツ的価値は、soverheid,arbidzaamheid, irdelijkheid, gemmenschapszinである。スキンヘッドは飲酒、生な叫び、暴力行為、などで結びついている。しかし、彼らは学校時代は優れた生徒だった。
始めは保守的なユ−トピアだったのが、右翼過激派の環境の中で、ドイツ共同体という観念が、何かを提供している。そこに非ドイツ的な要素への闘いが下部文化を形成している。
ドイツの青年に対して、友愛と闘争が究極的解決をもたらすという感情を醸成している。68年当時、青年は大人に対して、「何故ナチの時代に抵抗しなかったのか」とか「何故ナチの時代を生きてきたのか」という苦痛に満ちた問いを発したが、これは「憲法愛」というような市民感情を育てた。
現在では、青年は再びアイデンティティの問題に直面していて、偉大なドイツ国家という観念を求めている。
右翼的青年にとって、ビスマルクの旗から、第四帝国を想起する。ポ−ランドやロシアの領土問題も絡んでくる。東ヨ−ロッパが新たな可能性をもたしている。
ネオナチの夢は第4帝国だけではなく、第1次大戦や第2次大戦で失った領土や、その時そこから追われたドイツ人、チェコやプロシャ東部などを回復し、古き故郷を再興することである。
単一のヨ−ロッパなどというイデオロギ−には反対で、それ故マ−ストリヒト条約への真の反対者を自認している。また腐敗した政党政治への反発もある。反対党によってあまり決定のできない状態に対して、強権のある国家を志向し、基本的民主主義というよりは、保守的な価値を結合しているので、若者にとっては特に忌避すべきものでもない。特にメディアが政治への批判をきちんとできない状態では、こうしたネオナチが期待されてもいる。
今年4月の地方選挙(バ−デン・ヴュルテンベルク)で、ネオナチは12.5%を獲得した。まだ各政党ごとでは少ないし、また国政選挙では5%を越えるところまでは来ていないが、将来ネオナチで統合して選挙を戦えば、議会に議席を占めることになることは、考えておく必要がある。
ナチの歴史は障害になるが、しかし、外国人嫌いの感情はナチズム的な組織への橋渡しになっている。またDVUやRepublikanerなどが、その組織的基盤を与えている。
DVUは1971年にGerhard Freyにより設立され、右翼週刊誌2つを統合し、またいくつかの組織を吸収した。しかし、組織間の対立があれば、5%条項を越えられないことになる。更に、ドイツ人は選挙で経済問題を軸に投票するが、ネオナチは経済では信頼をえていない。マ−ストリヒト条約への反対をするだけでは、経済への責任ある解答にならない。
ところで20年前は左翼過激集団が社会的に問題だった。RAF(Rote Armee Fraktion) は現在の右翼過激派のモデルになっている。
ネオナチの集団は段々大きくなっているが、特に東の部分は社会主義的な要素とも結びついて若者に広がる可能性がある。また西の方でも外国人、ジャ−ナリスト、人種差別反対の活動家への攻撃がより残酷になっている。
ただドイツ人の右翼過激派への反対も強くなっており、数万人のデモがあった。ボンはワイマ−ルではない。

 以上です。ここで重視してほしいのは、東だけではなく、西においてもネオナチ的な要素はあるということ、そして、学校でそのような感情が醸成されているという分析です。 また先日オランダのテレビで、東ドイツのネオナチだったという人の、回顧談をやっていました。それによると東ドイツ全体がとても軍国主義的だったということで、そこにナチ的な要素を育てるものがあった、というのです。
 私は、東ドイツの教育というのは、とてもナチに似ていると思っていました。子どもが大人に対するスパイであったりする状況が、とても似ているのです。東ドイツでは、西のテレビを受像している家庭を摘発するのに、近所の子どもがとても大きな役割を果たした、という話があります。
 ナチスはとても青年の組織がうまく、親よりも子どもの心を掴んでいたのです。それで子どもから、大人社会における反ナチ的行動をかなり収拾しています。
 ドイツが戦争で敗北したとき、若いナチ党員はどうしたのでしょうか。
 西にいた人は非常に厳しく断罪されたのですが、東にいた人たちは、東ドイツの高官になったという説があります。私はそれはある程度真実ではないか、と思っていて、東ドイツとナチスの近似性はそこにもひとつの原因があると思うのですが、どうでしょうか。

 次回はフランスの新聞の論調を紹介します。
それから、他の人のア−ティクルは読んでいますが、へまをして記録しなかったので、流し読みになってしまいました。今後はきちんと記録します。