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(19) 92/12/06 05:32

オランダ通信5
 このところ新聞や雑誌を買いまくっています。限られたお金しかないので、財政状態が心配です。オランダ講座で丁度新聞についての話題を取り上げてくれたので、やっと各新聞の政治傾向などがわかって、(少々遅すぎますが、あまり新聞の政治傾向などを軽々しく聞く性格ではないので)新聞の読み方・買い方も意識的になっています。
 オランダでは相変わらず、ドイツのトルコ人殺害の記事が毎日出ています。フランスの新聞がそうでもないのとは、対照的です。フランスもドイツとの歴史的関係から、大々的に取り上げてもよさそうなのに。
 ライデン大学の日本学科の図書室にある朝日新聞ヨ−ロッパ版を、まとめて読んでいると、この関係の記事は一つ小さく載っているだけで、やはり大きな意識では受けとめられていないのか、という印象でしたが、どうでしょうか。

 まずドイツの新聞の論調をみておきます。(オアシスではドイツ語のウムラウトを記録していますが、それをログ用にMSDOS文書にすると、消えてしまうので、ドイツを知っている人には変な部分がありますが、あしからず)

Die Zeit 1992.11.27 です。日本でも売っているので見たことがある人も多いとおもいすまが、ドイツの新聞はとにかく枚数が多いので、大変です。題はLeib und Leben、筆者はVon Cornelia Schmalz-Jacobsen という人です。

ドイツにおける外国人の生命が、今危険に晒されている。国家は外国人に対する暴力的な行為から守る義務がある。しかし、団体の規制は民主主義にとって、とても難しい。
外国人労働者の労働の意味を、きちんと政府は国民に説明する必要がある。
そして、実際上の保護をすることが大切である。

 簡単な文ですが、ドイツ人の苦悩が現れているようです。まじめなドイツの論調は大体こんな感じがします。
 外国人労働者はドイツ経済にとって、必要不可欠になっています。日本を立つ直前の『エコノミスト』では、一時外国人労働者を締め出していたが、最近また受け入れる姿勢が出てきた、という分析がありました。もっとも本当かどうかはわかりませんが、いくら失業が多いからといって、外国人労働者が出ていけば、ドイツ人の失業がなくなり、経済がうまくいくわけではないことは、まともな人ならすぐにわかることです。ヨ−ロッパに住んでみると、本当に外国人労働者が根づいて働いているのです。
 しかし、実際には、ネオナチが台頭し、外国人が襲われています。そうした犯罪行為に対して、これまでとかく甘かったというのが、オランダなどの認識なのですが、この文はそれを合理化するような調子も感じます。団体の規制は民主主義に反するというわけです。
 しかし、それもドイツで一部変わりつつあるようです。
 同じ新聞の次の文章は、少しニュアンスが違うようです。

Die Zeit 1992.11.27
Der Mordanschlag in Molln: Die Untat fallt dem ganzen Land zur Last Ohne innere Sicherheit: Von Robert Leicht

ドイツは何を失ったのか。
まだ我々はこの事件を知っていないが、ただ火事のあと、「ハイル・ヒトラ−」という叫びを聞いている。外国人への襲撃は、憲法への反対でもある。
血を見ることなしに第二の独裁帝国からの転換をして、最良の憲法の下にありながら、このパラドクスをどう考えるべきか。
連邦政府は現状が変化しないことがよい、特に湾岸戦争以後の教訓として、自由の価値がある。東は統合によって、ただちに西のような福祉が得られることを期待していた。
60年代と70年代の左翼テロから90年代の右翼テロに移動してきた。
RAFは明確な相手にテロをしているが、イデオロギ−や組織は明確なものではない。テロをして破壊しようとしたが、実際には同意できるような価値を見いだすこともあった。
国民の意識は不安定で躊躇するものだったが、メルン以後断固とした法的措置をとるべきだと変化してきた。それはしかし、法的な問題だけではなく、社会的文明の問題でもある。外国人への法的保護を与えないとしたら、法的権利の喪失で、攻撃される。
一方亡命者の権利の問題。
民主主義は闘争の問題だったが、妥協民主主義の問題が認識されていない。
国会と地方議会の議席上の矛盾もある。( 多数派が異なる)

 断固たる措置をとるべきだ、というように風潮が変化してきたことは、本当のようです。いくつかのドイツの都市で、ネオナチに抗議する市民のデモがありました。それはいろいろな新聞で写真入りで紹介されています。(もっともそうした写真が、今後ネオナチからの報復の際の資料に利用されたりしないのだろうか、などと私は考えていますが)デモがスキンヘッドなどのような人々に、どれだけの脅威であるのか、現在のところわかりかねますが、とにかく、右翼過激派のいくつかの団体が、集会の禁止措置をうけるというところまで進展しています。
 もちろん一方で、集会の禁止というのは、民主主義を守る手段にはならない、という認識もあります。特に、スキンヘッドという組織は、リ−ダ−も機関誌も規約もない、という組織であるとされているので、現実的に取締りことが、とても難しいようです。集会の禁止や機関誌の禁止などをされても、組織自体全く痛くも痒くもない、というところなのです。
 最後に触れられている亡命者への権利の問題は、現在ECで非常に大きな論議になっています。
 イギリスの新聞IndependentにECでの論議が紹介されています。

 EC set to fence out refugees Independent 1992.12.2
EC閣僚会議では難民の受け入れに対して厳しくする方向を確認した。UNHCR(The United Nation high commissioner for Refugees)にも通告。
経済的難民を認めないだけでなく、通過すべき第3ホスト国を設定し、審査の結果拒否なら、第3国に送り返すという案。第3国は反発している。ハンガリ−・スロベニア・オ−ストリアはもう限界。

 つまり難民を受け入れるときには、政治難民に限定し、必ず直接その国から亡命するのではなく、違う国を経由して、その国からの了承のもとに亡命し、審査の結果経済難民だということになれば、まず経由国に強制的に戻す、というものなのです。これで、通常経由国になっている国が、反発をしました。それらは多くEC加盟国ではないのです。
 参考までに、この新聞に大きく地図で紹介されているヨ−ロッパの旧ユ−ゴからの亡命者受け入れ数を書いておきます。中々興味深いものがあります。
 独立国家共同体1500、 チェコスロバキア4000、 フィンランド2000、 ハンガリ−50000、トルコ1500、 スウェ−デン74141、ノルウェ−3674、 デンマ−ク6412、 オランダ6300、 ポ−ラランド1500、 クロアチア714000、 オ−ストリア57500、スルビア433000、 モンテネグロ62000、マケドニア19000、ギリシャ7、スイス70450、ベルギ−1800、 ドイツ235000、 ルクセンブルク1200、 フランス2280、 スペイン120、アイルランド200、イギリス4000、 イタリア17000 です。
この受け入れ状態は、例えばフランスなどは非常に少ないと感じますし、またドイツは
受け入れという点で大きな責任を果たしているのだ、と改めて思います。そうした中での
外国人排斥であることも見ておく必要があると思われます。

さてオランダの新聞です。

Eerste verbot op neo-nazigroep(ナオナチグル−プへの初の禁止)と題する De Telegraaf 1992.11.27の記事です。
逮捕と禁止、これは司法当局と政府の右翼への行動開始である。25歳のMichael P.が逮捕された。今年既に1800件の暴力行為があり、15人が死んでいる。。
Karlsruhe のProcureurgeneraal のAlexander von Stahl によると、Michael P.は9 月5 日に、Pritzer の難民キャンプを武装しておそった。パトカ−に追われてGudow に逃げ込み、15人以上の難民がいるところに、5 発の手榴弾を投げた。
内務大臣の、報告によるといくつかの団体を禁止措置にした。
Deutsch Alternative DA
Nationalistische Front NF
しかし、これらは既に合法的な活動をしている団体ではなく、スキンヘッドは議長も綱領も雑誌もない団体なので、禁止の効用は疑問とされている。
Johannes Gersterは今年中に暴動の刑を最高刑にする法を提案することを語っている。 この新聞は保守系のものです。次のものは労働者政党のものです。
Duitse politie rolt nazistische groepering op (ドイツ警察がナチグル−プを取締り) Willem Beusekamp de Volkskrant 1992.11.27

ドイツ内務省が右翼過激派の取締りに至った。
しかし、多くのドイツ人はそれは長続きしないと見ている。NFは1985年に始まったが、ナチスの綱領に似ている。
新しいリ−ダ−と見られるアンドレアスは、以前のリ−ダ−と見られるシェ−ンボルフは武力闘争に関する見解の相違で、党を辞めたと述べている。NFは常に武装の準備をしており、130人の要員と300人の訓練部隊がいる。
NFはブレ−メン・ノ−ルトウェストハ−レン・ベルリンに活動的なメンバ−がおり、ベレ−メンでは106名がNFに投票している。
リ−ダ−のポ−ルは以前KPDにいたとされている。(非合法の過激左翼)ベルリン自由放送によると、KPDを市民社会の中に取り入れることができなかったので、こうした右翼的な過激派になった。

 このように多少ニュアンスの相違がありますが、それでもオランダ全体として、ドイツの姿勢に対して、非常に厳しいものがあるのです。ドイツでは今回は、ネオナチに対して、多少取り組む姿勢があるようだが、しかし、本物かどうか、という厳しい目です。それは、もちろん、歴史が再び繰り返されるのか、という現状判断が迫られるからです。

Echo's van Weimar(ワイマ−ルのこだま) Annet Bleich de Volkskrant 1992.11.27 を見てみます。

右翼過激派のトルコ人殺害は、当然ワイマ−ルを思い出させている。共通なのかどうか。 NRC Handelsblad では共通性より異質性の方が大きいとしている。ワイマ−ルでは殺害は当局に対して向けられたが、今回は下の方に対して向けられている。
Die Zeitは、ワイマ−ルは「民主主義者のない民主主義」と特徴付け、今回はベルリンで30万人のデモが行われるなど、民主主義者のいることが、大きな相違であるとしている。また当局も右翼過激派に対して、大きな脅威をもっている。
しかし、共通性もある。それは社会が安定していなかったということ。ワイマ−ルでは当初から左右の暴力が顕著だったが、左翼の暴力に対しては当局は厳しかったが、右翼へは甘かった。ワイマ−ルでは民主主義への憎悪という点から、弱体だったが、現在では共産主義は歴史的に存在価値を失っている。
ワイマ−ルにおいては組織を運用することが十分でなかったが、今日の亡命者法の議論は、亡命者が多すぎることもあって、似た状況がある。
社会民主党はどちらかというと亡命者保護に関して厳しかったが、メルンの殺害でショックを受けた。またドイツの支配層は右の勢力には甘いところがある。
しかし、もうひとつ重要な違いがある。ワイマ−ル時代にはナチが権力をとることについて知らなかったが、現在ではナチや共産主義の経験を含めて、その一致や相違を論議することができるということである。

 現在のドイツがかつてとは異なっていることも、認めているわけです。