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(19) 92/11/21 04:23        コメント数:1

オランダ通信2
 オランダに来た最大の興味は、学校選択の問題です。
 日本は主体的に学校を選択するという契機のとても弱い社会になっています。義務教育学校は居住区域によって決まっているので、選ぶことはできません。もし選ぶとしたら、居住区域を変えて引っ越すか、あるいは非合法的手段(越境)をせざるをえません。もちろん私立の小学校を選択するということは、可能ですが、私立小学校はとても少ないし、またそれ故大きな問題をもっています。
 高校や大学については、もちろん本人が選択するけれども、最終的には受入れの学校が入学試験によって選抜することになります。合格発表は神の声なのです。これまで、日本の社会で、点数が低くても入学させるべきではないか、という提起をした者(例えば裁判に訴えた者)が皆無らしいことは、よく考えてみると、とても不思議です。
 オランダではどうなっているかというと、少なくとも制度的には、常に本人およひ保護者の選択にまかされています。
 小学校はオランダでは4歳から12歳までで、以前は小学校と幼稚園が分かれていたものを、80年代の初頭の改革で、結合し、基礎学校(basisscholl)という形になってい
ます。8年生まであるわけですが、8年生に全国的なテストを受けて、その後の進路の選択材料にします。
 オランダの中等学校は、ヨ−ロッパでも非常に古い形を保っていて、私の主要な研究テ−マであった「統一学校運動」による学校制度の単一化は、いまだになされていません。大学に進学する学校、大学に進学しないが普通教育を行う学校、職業教育を行う学校というはっきりと目的と年限のことなった中等学校が続きます。ただし、以前は学校間の移動ができなかったのが、今では移動が可能になっています。しかし、行っている教育内容はかなりレベルが異なっているので、難しいところに移動する場合、年数的に遅れが生じざるを得ないようです。例えば、大学進学ではない普通学校の3年生から大学進学の学校に移動する場合、2年生になる、というようなことです。
 大学に進学する中等学校は、非常に高度な教育内容であるようで、小学校ではとても簡単なことしかやらないので、どんどん落第が出ていくことになるようです。
 さて、中等学校の選択は、先の統一テストと、普段の成績を考慮して、それを資料に、本人と親、小学校の校長、そして中等学校の代表との間で、話し合いがもたれるそうです。例えば、大学進学の学校を希望しているときには、その学校の代表者が加わるというようにです。
 もし本人や親が大学進学用の学校を希望していて、成績が不十分の場合、校長や中等学校の代表が、いろいろと説得することになります。
 しかし、最終的には本人が決めることになり、それでも難しい学校に入りたいと考えれば、行けるのです。そこが、日本との違いです。あくまでも教育を受ける側の意思が重要視されるのです。ただし、それは将来の進路と密接に結びついた選択であるので、本人にとっては、とても大きな精神的な負担になるようで、この時期にストレスがたまるのだ、と何人かの親から聞きました。
 中等学校段階での進路や学校の変更がどのくらいあるものか、という点については、まだ調べることができていません。
 大学への進学についても、日本とは基本的に違います。
 大学進学用の中等学校での最終試験に合格することによって、大学進学が可能になりますが、そこは、ドイツと同じで、基本的にはどの大学のどの学部にも進学することができます。しかし、医学部に関しては、やはり最終試験の成績が非常に良いことが求められます。医学教育に関しては、大人数は不可能だということなのでしょう。(医療システムは全く日本と違うので、これもまた興味のあるテ−マということになります。)あまりひとつのところ希望者が多かったときには、調整されるようですが、その具体的な過程については、よくわかりません。しかし、基本的にはやりたいことができる、と考えていいでしょう。
 むしろ論議の対象になるのは、大学生は専門家養成であって、しかも国家の保護があるという点でしょう。原則的に全員に奨学金が出て、(といっても年数制限の動きがあり、問題になっています)不自由ではあるけれども、経済的に大学に行けないという事態はないことになっています。ところが、これがむしろ、エリ−ト再生産の機能を果たしているとも考えられるわけです。
 大学進学率は10%くらいで、これでも随分と増加したそうです。エリ−トなので、つまらない仕事などはしないのだそうで、失業保険が行き届いているので、気に入った仕事がないときには、どうどうと失業保険で暮らしている人が少なくない、ということです。 こうした点を考えると、大学進学にお金がかかり、またエリ−トでもない日本の大学は、以外と大きな社会的な意味をもっているのかも知れない、などと考えられてきます。
 日本でもお金がなくても、大学にいくことはそれほど困難ではありません。バイトをすればいいし、大体大学生は日本経済機構のなかの、重要な労働力としての位置を占めているので、親から独立して勉強することも不可能ではないのです。事実すくないけれども、そういう学生はいます。
 
少々話題がそれますが、ヨ−ロッパ社会は福祉が行き届いているわりに、失業が大変多いようです。これは同じことの表裏という側面があるようです。
 オランダでは労働力需要が日本と比較して、とても少ないと思われます。まず店は6時になるときれいにしまってしまうので、(イギリスなどは最近は変化しているようです)店の深夜労働はありませんし、また昼間も1時間半ほど閉店します。つまり働く時間は社会全体で決まっていて、それ以外は全員で休むので、働いている人の時間帶が多様なので、それに対応するために、パ−トがそれぞれの時間帯を細かく埋めていく、などという体制をまったく取らないわけです。したがって、一つの店は基本的にその家族ですべて運営できるわけです。
 中学校のオランダに関する教科書には、5人の大人で8人くらいの人を養っているというオランダ社会の紹介があります。税金がしたがって極めて高額になっています。(ここで思い出すのですが、スウェ−デンの福祉を紹介した本で、そこでは福祉が行き届いているので、税金は高いけれども、不満を言う人はまったくいない、などと書いた日本の本がありましたが、おそらく福祉労働者や施設を利用している人だけに意見を聞いたのでしょう。これだけ税金が高くて、不満がないわけありません。因みにオランダでは消費税にあたる税金は基本的に18%です。)これに対する不満は相当に充満しているように感じられます。なにしろ大学を出た人が、自分の気に入る仕事がないということで、失業保険で暮らしている例が少なくない、という雰囲気なのですから、不満が充満するのも当たり前でしょう。
 こうした状況を考えると、日本の高等教育というのは、実にうまい具合に、「失業対策組織」として機能していると思われます。巨大な青年人口が企業に押しかけないし、またその間底辺労働者としての経験をするので、大学を卒業しても、必ずしも「エリ−ト」的な仕事を要求しないようになっています。また大学生自身が隙間を埋めるように、社会の労働需要を可能にしているわけです。
 こういうレベルでの中等教育・高等教育と労働力の供給・需要、そして、失業との関係は、比較研究することがとても重要であると考えられます。