ラグビーの昼間継続学校は、スタチエトリー(Statutory Day Continuation School)がこの地方で残っているだけである。この学校は1920年4月にウォーウィクシャーの教育委員会によって始められたが、今日その価値は検討されるべきである。大経営者や、全てではないが多くのより小さな雇用主の強い援助が与えられてきた。町の世論は事実暖かく支持してきた。教育庁はこの学校を好意的に報告してきた。今645名の男女が出席し、平均出席率は92%である。(7)バーンタウンによれば、ラグビーでは校長会が支持し、産業界では熟練工の割合が高く、電気産業がさかんだったことも影響して、経営層が継続学校を支持し、多くは登校日も有給扱いにした。そして、当初新しい校舎を建てたことも存続に力があった。(8)
14歳から16歳までの定時制の継続学校は、現在の状況が改善されない限り、中等教育の制度の発展にとって、その代わりになりうるものとして認められるわけにはいかない。労働党が主張する政策は、既にいくつかの地方当局によって提案されているように、12歳から16歳までの男女のための、全日制の中等教育を発展させることである。それは現在普通に見られる中等学校のそれよりも、はるかに幅広い多様性を含むものと理解されるべきであろう。継続学校は初等教育あるいは予備的教育をではなく、知的教育を継続すべきであるが、その固有の領分は16歳で中等学校を終わった者のために定時制の教育を与えることである。(17)このように、初等教育の延長ではなく、中等教育の義務化を求めるところが、卜一二一及び労働党の要求であり、労働組合会議(Trade Union Congress)は労働者の知的水準の低下を危慎する立場から批判的であった。(18)
中等学校は大学及び初等学校に連絡しているが故に、国の教育制度にとって重要である。また教師の養成にとって中等学校は大切である。ハイウェイとしての中等学校がしばしば主張されるが、大切なことは青年から成年に至る内的に結合した大きな道(a great interconnecting system of roads)であって、中等学校は主要であるが、唯一の道ではない。(4)また、1921年に中等教育についての演説の中で、中等教育全体の欠点として就学期間が短いこと、教育の水準が低いことをあげ、特に才能をもった者を中等学校に進学させることが大切である、と述べている。(5) このようにみる限り、フィッシャー法が中等教育を多くの者に ── 1922年の労働党のように「全ての者」にでないことはもちろん ── 保障しようとしたのでないことは明らかであるが、しかし、フィッシャーの考えは従来からの考えから一歩踏み出していることが注目される。フィッシャーは大学への道が必ずしも従来の中等学校に限られることなく、もっと大きな道が形成され、多様な機会が在るべきだとしている。
| Council Schools | Foundation and Other Schools | |
| Total number of school | 382 | 503 |
| Number of schools which provided | ||
| a. Commercial courses | 18 | 7 |
| b. Domestic economy courses | 4 | lO |
| c. Rural of agricultural courses 7 | 26 | |
| d. Engineering courses | 4 | 11 |
| Number of schools which provided one or more of the above courses | 30 | 43 |
| Number of schools which included | ||
| a. Latin | 323 | 434 |
| b. Greek | 29 | 154 |
| c. French | 380 | 499 |
| d. German | 152 | 221 |
| Schools classified according to the number languages included | ||
| a. No languages | 1 | 0 |
| b. I Ianguages | 48 | 56 |
| c. 2 Ianguages | 185 | 201 |
| d. 3 Ianguages | 123 | l33 |
| e. 4 Ianguages | 25 | 112 |
イギリスにおいては初等学校と中等学校が別体系で、その協力はまずかった。しかし、20世紀初めから地方教育当局が中等学校を設立する権限を与えられ、ロンドンをはじめとして中央学校が設立され、そして、奨学金テストが施行されるに至って、l1歳で最も優秀な者が中等学校へ、次の者か中央学校へ、他が小学校上級クラスヘ行く、というような接続関係が出てきた。しかし、中央学校をもっている地方は少ないし、手工、家政を学ぶ者や障害児のための初等後の学校は皆無である。そこで、労働党、カーリスル(Carlisle)計画、タイムズ教育版の改革案が出され、共通の考えとして別体系を一つの体系にして、初等・中等を段階的区分にする、ということがある。11歳で区切ることが心理学的にも証明され、又新しい空気を吸うことが教育的に望ましい。労働覚の計画は最も徹底しているが、費用がかかる。いずれにせよ二つの段階として再編する場合、現在のテストで選抜をするのではなく、より科学的な方法が採用されなければならない。(7)以上である。
見習いがしばしば『モーター工学』とか『自動車工学』とかいう、かなり専門。ア化した教授の魅惑的なタイトルにばかり引きつけられること、基本的な課目の教。授から遠ざかっていることは不幸なことである。(3)そして、基礎的な学科を充分に修得した上でより高度な技術教育を行う機関(Psytecnics, Technical College)を提唱している。(4) ガス業界の調査でも同じような趣旨を読み取ることができる。
技術教育の成功にとって二つの条件が必要である。良い一般教養について適当な数の学生とその収容力が準備されていること。様々な条件に見合うように、合理的な柔軟性を認めながらも、標準的に定型化された教授項目の確立である。(5)これらの調査の影響もあり、教育と産業の関係についての議論がさかんになった。1924年9月のタイムズ教育版は、そうした議論を紹介している。首相のマクドナルドは2月に「機械が変わったのに、それを動かす者がいない。技術教育こそ最大の必要事だ」と述べていたし、ケントの当局者は、教育は全て経済上の、かつ実科的な有効性を発揮しなければならないと述べた。そして、この記事自体は教育は精神的なことがらであるという従来の常識を大胆に転換し、中等学校をより柔軟な形態に変えていくこと、そして、初等教育と中等教育の協力を提起していた。(6)
今日まで現実の政治領域内で全ての生徒のための機会均等ということは熟考されなかった。あきらかにパブリックスクールの良い点は継承し、それに代わる新しい初等学校の検討をし、労働者子弟と資本家子弟の間にある教育の導入など考える必要があろう。そして、1920年代を通じて、一方で地方産業と直接的に結びついた職業教育機関が多様な形態で発展し、他方発達した機械工業の領域から、基礎的な学力を求める声がだされてきた。
労働党は、資本家子弟の教育との差をなくすため、本を使わない教育の導入等考える必要があろう。
労働党内の一部の人々は、資本家階級の教育が本質的に劣っている場合でも(例えば古典語学習)真似をしようとした。(10)
| 第一回 | 第二回 | 第三回 | |
| 1929.12.17 | 1930.5.29 | 1930.10 | |
| 就学義務 | 15歳 | 15歳 | 15歳 |
| 生計費給付 | 地方教育当局が委員会審議で必要な者に5シリング以内60%補助 | 同 | 同 |
| 宗教教授 | 規定なし | 校長の承認・親の希望で | 規定なし |
知能というものがあいまいであるとしても、平均が100になることは知られており、注意深い観察と指導によって知能テストを使用し、中等学校の三分岐(tripatite division)でやっていく他ないだろう。(12)
知能テストは選抜の手段として広く使われ、「第一学校資格試験」が小学校後学校の内容を次第に画一化しつつあり、結局のところ1936年法の他に、もう一度学校体系を検討する必要が生じていたのである。そうして、スペンスレポートが出されることになった。
スペンスレポートは1933年に諮問され、1938年に答申が出されたものであるが、サイモンによれば、1936年以後失業が減少して、税収が増加し、又新しい技術を使う工業が起こってきたことにより、教育改革の気運が盛り上がってきた。(13)そうした気運により再びハドーレポート以来の大きな改革案が提示されたといえる。
本論文との関わりでは、レポートの内容は次のようにまとめられる。
1.一般的知能(G)の承認
2.初等後の教育を青年期の教育ととらえ、11歳で新しい学校に移行する。
3.グラマースクールは大学へ進むためのコースとし、カリキュラムは最大限自由とする。英国科を統合原理(unifying principle)とする。職業のための特殊化はしない。
4.技術学校は、ジュニア・テクニカルスクールとテクニカル・ハイスクールとに分け、後者を中等学校タイプとし、特殊な職業訓練をしない学校としておく。
5.授業料はできるだけ早く廃止する。(14)
ハドーレポートはモダンスクールの構想をまとめ、そのカリキュラムを詳しく論じていたが、それはグラマースクールとモダンスクールという ── 他の学校類型を認めてはいるが ── 二分岐制度を考えていたためであることは既に紹介した。これに対し、スペンスレポートはグラマースクールとテクニカル・ハイスクールのカリキュラムを詳細に論じている。しかし、スペンスレポートは二分岐法を捨てたのではない。それはグラマースクールの位置付けによく現れている。グラマースクールがかつてのような古典中心のカリキュラムではなく、現代的な内容を取り入れるべきだとしながらも、(15)グラマースクールは基本的に「問題を理解する」という伝統的中等教育観によって理解され、(16)グラマースクールに進学するにふさわしいかどうかを、試験によって選択することができるとしている。(17)一般知能(G)の有無によって第一の選抜がなされる、ということはハドーレポートの二分岐法をそのまま受け継いているのである。
しかし、産業と結びついた教育の面では、地方産業に貢献するというハドーレポートの案は、もはや不充分なものであることが社会的に明白になっていた。そこで、特殊な職業訓練をしないテクニカル・ハイスクールを設け、テクニカルカレッジにまで達する技術教育の体系を加えたのである。(18)三分岐制度とは三つの分化した体系というものではなく、二つの二分法の重畳的な制度であることがわかる。1944年法によってスペンスレポートは実施されることになるが、1944年法によって生じた矛層は既にこの重畳的制度の中に存在していたといえよう。
<註>
- 'A Comprehensive Scheme of Reform raising the school leaving age' T.E.S.1935.11.12
- 'Raising the school-leaving age ── Text of the New Bill issued' T.E.S.1936.2.1 法第二条によれば、雇用証明書(an employment certificate)を認める際の基準は、イ.雇用の性質及び雇用継続期間の見込み、給料、労働時間、ロ.児童に与えられる補習教育(further education)の機会、ハ.休養のために児童が利用しうる時間、ニ.雇用により児童の受ける訓練又はその他の利益の児童将来の経歴について価値等を考慮して、地方教育当局が決めるとされていた。
サイモンはこの規定は法全体を有名無実なものにした、と評価している。サイモン『現代と教育改革』 p57- 'The Education Bill' T.E.S.1936.2.15
- 'Answers in Parliament' T.E.S.1935.12.28
- Simon op.cit. p220
- 'The Education Bill' T.E.S.1936.6.20 936年法が成立した直後、我が国の文部省は次のように評価している。「政府は失業対策としての年限延長に強行に反対していないということである。で我々は結局資本家的要望と、労働組合側の要求の妥協として、本法案のもつ社会的意味を解釈したい。」文部省『教育制度の調査八上』 p105
本文でも触れたように、労働党は失業対策として年限延長を唱えており、保守党は就労を確保するため年限延長に消極的であった。しかし、事実として増加している失業に対して、学校の吸収性を認めることは否定していなかったのであり、この点で両党は妥協の余地があった。この限りで、文部省教育調査部の評価は妥当であろう。
例えばロンドン市の一連の教育計画は、バート(C.Burt)が助言・指導を行っていた。- 'Secondary School Examination' T.E.S.1928.1.28 931年の初等教育に関するハドーレポートは無償席と試験で将来が決まると考えるような風潮に警告を発している。Board of Education "Report of the Consultative Committee on the Primary School" 1931 pxxxvi また同じ頃、バービ市(Berby)では、新しい中等学校入試について議論され、知能テストは不充分なものであり、性格、勤勉さなどが考慮されるべきという意見が出された。T.E.S.1931.2.14
- 'Secondary School Examination' T.E.S.1928.4.21
- 'What does mental age mean?' T.E.S.1930.12.13
- 'Secondary School Examination' T.E.S.1930.12.13
- 'Eleven to Fifteen' T.E.S.1931.4.18
- Simon op.cit. p251 サイモンはスペンスレポートを高く評価している。中等教育と初等教育を分離する制度の終了を断固として提案し、三分岐という限界をもちながらも、11歳で中等教育に自動的に進学することを提案したからである。サイモン前掲 p35
- Board of Education "Report of the Consultative Committee on Secondary Education with special reference to Grammer Schools and Technical High Schools" (Spence Report)
- ibid. pxxiii
- ibid. pxxx
- ibid. pxxxii
- ibid. pxxi
<イギリス中等教育拡大運動の提起するもの>
イギリスの中等教育拡大運動の表したことは、何よりも支配階級と労働者階級の双方が「合意する」論理を、とりあえず提出したことである。
トーニ一がその双方の立場を媒介した。ただし、それは矛盾のないものではなったし、その後十分に実施されたわけでもない。ハドーレポートが実施されるには、また異なったレポートの提出を待たなければならなかったことでもわかる。
しかし、そのようなことがドイツやフランスではなかったにも関わらず、イギリスで提出されたのは、イギリスの産業の要請が、教育により強く提起されたからであった。
イギリスの産業界では根本的に異なる二つの立場があった。
イギリスの産業革命の中心であった織物工業界では、賃金の安い単純労働力を求めて、教育の拡大に反対した。
ガスや電気工業界からは、短期的な職業教育ではなく、基礎的な学力を学校が見につけさせることを要望し、より高度な知識を労働者が身につけることを望んだ。
織物業界の教育不用論とは異なった案が出てきた。その結果工業と教育の関連をつける政策が追求されるようになった。産業界の要求というのは決して一様のものではなく、常に全体の産業の発展段階に規定されて、異なった教育要求をもつものであろう。その時点における産業の要請を、その人問発達の意味との関連において考察する必要を、イギリスの事例は示している。このふたつをつなぐ論理を、第二部で考察する。
次に国家の変容の中で、地方教育当局と中央の教育行政機関のパートナーシップが促進されたことが重要である。義務教育の延長や継続学校の義務化、ハーフうタイムシステムの廃止、地方教育当局の計画提出などを提起したフィッシャー法は、中央の規制が強化されることを恐れた地方の反対で部分的に後退したが、教員の給与補助など、中央からの財政補助が要因となって、受け入れられていく。
これは、資本家階級と労働者階級の協同による制度改革案が構想されたことと表裏の関係にある。
パートナーシップは教育の条件の整備には、大いに寄与した。しかし、知能テストの実施などに見られるように、生徒の生活を左右する側面、しかも第二次大戦後の差別的な制度改革を準備したことも見逃すことはできない。中央政府と地方当局が協力することによって、知能テストを媒介とする教育制度の再編が進むことになるが、その論理を究明する必要があろう。