臨床教育学 コメント2018.7.5

Q 釈放された囚人が変わり果てた社会に帝王できず自殺してしまう人がいるようだが、それに対する対策は何かとられているのか。

A そのための対策ではないでしょうが、とにかく社会にスムーズに移行できるようにするために、服役期間が長い場合、刑期終了が近づくと、一般的に仮釈放といって、一定期間社会に出て、生活する時期を設けるのが普通です。ただ、それだけで慣れるかどうかはかなり疑問です。

 

Q 刑期を終えて社会に復帰した人が、職を得て生活していくのは、難しいが、スウェーデンやオランダではどうなのか。

A 一般人と比較すれば、当然厳しいと思われますが、スウェーデンでは出所者の社会復帰を援助する団体などがいくつかあるようです。たとえば、https://www.kamometour.co.jp/wp/2018/03/30/post-727/

 北欧は人口が少ないので、労働力が常に不足気味であることが、出所した人たちも活用したいという意識につながっている側面があると思います。(ただし、近年スウェーデンでは失業率が高くなっているので、変化もあるようです。)

オランダについては、現時点で出所者の就職情報については調べられていません。

 

Q 日本に開放制刑務所はどのくらいあるのか。

A 56あると言われています。

 

Q 刑務所の民営化が日本で実施されないのは、なぜか

A 一般的にいえば、民営化された刑務所が不思議な存在です。それは、刑務所とは、国家が刑罰を独占するための施設だからです。私刑が許容されていた時代は別として、近代社会になると私刑は完全に禁止されるので、刑務所が国営であることは、ほとんど常識化していたわけです。それが変わったのは、刑務所機能に「教育刑」つまり、出所後の社会適応できるように教育することが重視されるようになると、国家が独占的に行うという必要がなくなると考える人が出てきたわけです。教育機能を効果的に行う形態を、国家的施設以外でも実現できるなら民営でもよいと考えられるわけです。日本で少ないのは、まだまだ刑務所が、犯罪者を懲らしめる場であると考えられているからではないでしょうか。

 

Q サカキバラ事件がおきたので、永山が死刑執行されたということだが、前に執行されていたら、サカキバラ事件は起きなかった可能性もあるのではないか。

A 推測に過ぎませんが、その可能性はないと考えるのが順当でしょう。そもそも、サカキバラ事件の犯人の少年は、15歳でしたから、いずれにせよ、死刑はないので、永山の死刑執行で、状況が変わるわけではないからです。

 

Q 刑務所で過ごすために、高齢者が意図的に犯罪を犯すことがあるということだが、それを防ぐ対策はないのか。

A 非常に難しい課題であるように思われます。https://www.mag2.com/p/news/165221 に書かれていることですが、刑務所に収容する場合の費用、生活保護費、それから別途施設を作る場合の費用等を計算すると、刑務所が最も高いようです。そのために、高齢者のための医療付き収容施設を作ることが提案されており、このほうが、刑務所よりも安いそうです。なんといっても、刑務所は、生活全般とともに、管理職員が多数必要であるのに対して、そうした施設ならば、逃げないように監視する人などは要らないわけです。

そういうものが実現し、高齢者がそこに入るということになれば、犯罪も起きないわけですから、かなり改善されるでしょうが、しかし、そのような施設が社会的合意をえられるかという問題も発生するように思います。

みなさんが、支える側の問題でもありますから、いろいろと考えてみてください。

 

Q 一般人に処刑させるということだが、それに罪悪感を感じることはないのか。処刑する人はどのように選ばれるのか。

A 石を投げる人たちのことを指しているということだと思いますが、常識的に考えれば、罪悪感を感じる人は、そういう行為をしないのではないでしょうか。あいつは悪いやつだから、こらしめるのが正義だと思えば、罪悪感よりも、正義感を感じているかもしれません。

職務として死刑執行にかかわる人たちは、罪悪感を感じる可能性が高いので、ほとんどの場合、複数の執行担当者がいて、誰が発砲したか、だれがボタンを押したかがわからないように工夫されていることが多いようです。

アメリカのように、薬物注射する場合には、医者が一人で注射するわけですが、おそらく「苦痛がない(事前に睡眠薬が注射される)」ということで、罪悪感を減らしているのだと思います。

 

Q EUの国民が、自国以外で犯罪をした場合、どの国の法律で裁かれるのか。

A 犯罪は、それが行われた国で裁判を行うことが、国際法の基本的な原則です。オランダ人が大麻をもってマレーシアに入国し、所持を見つかって、死刑判決を受けたことがあります。ヨーロッパ各国からの抗議などがあり、死刑執行をやめるように圧力がかかりましたが、結局執行されたと記憶しています。この場合、オランダ人であっても、麻薬が非合法であるばかりでなく、死刑が適用される場合もある国で捕まれば、捕まった国で裁かれるわけです。この原則は、ほとんど破られることはありませんが、犯罪が行われた国以外で裁かれた有名な例が、アイヒマン裁判です。アイヒマンは、ナチス親衛隊将校として、ユダヤ人強制収容所輸送の責任者だったのですが、戦後逃亡して、アルゼンチンにいるところを、イスラエルの諜報機関モサドによって捕らえられ、そのままイスラエルに連れて行かれて、裁判にかけられ処刑されました。イスラエルで裁判をすることはおかしいという抗議は、かなりありましたが、そのまま強行されました。

 

Q 永山の殺人の動機は。

A まずは生活費を奪う強盗だったが、銃を奪うことで、証拠隠滅的に相手を殺害したということだと思います。まったく知らない人なので、怨恨とか、そういう相手に関わる動機はなかったはずです。

先進国のなかで死刑制度があるのは、アメリカと日本ということだが、死刑のない国と、ある国の再犯率はどうなのか。

死刑を無くした結果、犯罪が増えたかどうかの実際は。

死刑に関する研究はいろいろとなされていますが、いずれも科学的根拠というには乏しいものであり、統計を根拠に死刑存置・廃止を議論するのは、不毛なものになるようであるし、実際に、廃止に踏み切る場合には、「残酷な刑罰」だからやめるというような、立場の採用という側面が大きいと思います。

 死刑囚は出所することはないので、再犯はありえません。

 死刑がある国とない国、あるいはある国同士、ない国同士での比較というのも、明確な傾向はないとしかいえません。たとえば、死刑のある例外的な先進国であるアメリカと日本では、殺人事件の多寡で大きく違います。アメリカで考えれば、「死刑の抑止力はない」という考えが強くいえますが、日本で考えると、「ある」という考えも妥当らしくみえます。死刑の抑止力については、廃止後の殺人事件の推移などが検討されますが、抑止を本当に見るためには、殺そうと思ったけど止めた、という事例を検討する必要がありますが、殺す手前で止めたという例は数値になるとしても、死刑を避けるために、殺したかったけど、行為そのものを止めた、という事例は、いかなる数値としても現れません。そして、それは調査のしようがないのです。一般的に、死刑を廃止しても、特に殺人事件が増加することはない、とされていますし、それは統計上そうなのでしょうが、それが「抑止力がない」ことの証明にはならないことは、「何もしなかった」ことが考慮されていないので、実際にはわからないのです。

 まったく逆の事例で、「死刑になるために、誰でもいいから殺した」という例が、いくつかありますが、それを重視すると、死刑制度が殺人事件を誘発するという解釈もできます。

 別の考察点になりますが、死刑廃止論の大きな動機は、むしろ、「冤罪」にあります。冤罪であることがわかったときに、死刑執行されていれば、取り返しがつかないが、無期が最高刑であれば、取り返しがつく、という論理です。

 以上のようなことを考えれば、死刑問題は、統計よりは、「どう考えるか」という価値観に左右されており、それは統計そのものの不備、あるいは不備であらざるをえないことを考えれば、当然のことかもしれません。

 みなさんも、自分の価値観に照らして、しっかり考えてほしいと思います。