臨床教育学コメント 2018.6.14 

Q サドベリバレイの理念に賛成だが、日本で実践するのは難しいのではないか。

A 特別な学校としてのサドベリバレイ校としては、充分に可能であり、実際に存在しています。ただ、公立学校など普通の学校をその原理で運営することは、不可能に近いでしょう。やはり、教育理念に強く賛同する家庭が対象になる教育手法であると思われます。

 

Q 全校集会で罰せられたことによるり、不登校になることはないのか。

A スタッフや生徒たちの支えによると思います。罰せられたからといって、それは誰にもありうることで、そうした失敗から学んでいくことが大切であり、それをみんなで支えようということが浸透していれば、むしろ立ち直りを促すと思いますが、そうした条件が欠けていれば、確かにマイナスの結果を生む危険はあるでしょう。

 

Q 4歳からずっといるということだが、他者と比較するようなことはあるのか。他者との比較で自分を認識するということがあると思うが。また自分の長所・短所は、同じような子どもと一緒にやっているときのほうが、気づきやすいのではないか。

A 他者と比較することは、少なくとも自分で行うことに関しては、普通にあると思います。ただ、サドベリバレイでは、スタッフがそれを積極的に行うことは、ほとんどないといえるでしょう。そうした他者との関連で自己を認識することについては、いろいろな年齢層がいるほうが、より深くできるような気がします。また、サドベリバ レイでも、当然同一年齢の子どもたちは、15名程度はいるわけです。あの人はすごい、あの人のようになりたい、という感情は、年齢が上の人と一緒のほうが起きやすいと思います。

 

Q サドベリバレイは、個人主義の強いアメリカだから成り立つのだと思った。集団意識の強い日本では、好奇心や探究心だけでは成り立たないのではないか。その国の傾向などによって、向き不向きがあるのではないか。

A アメリカ人は個人主義で、日本人は集団主義という形式的な理解は、あまりしないほうがいいように思います。アメリカ人にも、集団主義者はいくらでもいるし、日本人でも個人主義的な人はたくさんいます。アメリカの教育が、個人の自立をめざしているとか、日本の教育は集団を重んじているという傾向は、確かに正しいでしょう。しかし、そうした教育の志向が、個人を完全に支配するわけではありません。どんな国にも、個人主義的な人や集団的な人がいると考えるほうが、事実にそくしています。また、アメリカ人は、誰もが人の前でどうどうと話すなどというのも、もちろん間違いで、アメリカ人でもシャイで人前で話すのが苦手な人はいます。

また、サドベリバレイは、決して集団形成や仲間の協力を無視しているわけでもなく、ビデオでみたように、処分した生徒をみんなでみていく、支えていくという対応をとっていることは、集団主義的ともいえるのです。

サドベリバレイ的な教育を望む人は、日本にもたくさんいるので、実際に日本にも学校が存在しているわけです。また、アメリカ人の多くがサドベリバレイ的な教育を望んでいるわけでもありません。だから、それほど多数設置されているわけでもありません。

 

Q 自由に勉強したり、遊んだりする子どもは、公立学校で教育を受けた人と差はないのか。

差があると考えるから、サドベリバレイ校をつくって運営しているわけで、また、入りたい人もいるのではないでしょうか。

A サドベリバレイの考える、公立学校への優越性は、自分がやりこいことをしっかり把握している、やりたいことに真剣に取り組む、困難にぶつかったとき、それを乗り越える力がより備わっている、責任感・社会性が優れている等。もちろん、サドベリバレイがそう考えているということであって、第三者は自由に評価すればいいと思います。

 

Q 日本のように、義務的に学習することで、そのとき学習したくなかったとしても、後々感謝することもあるのではないか。

A 確かにそういうこともあると思います。ただ、サドベリバレイの考えは、そうした利点よりは、義務的学習は欠点のほうがずっと大きく、サドベリバレイのように、自分の意志で学んだことの積み上げのほうが、それがたとえ、狭い領域のものであったとしても、有用であり、かつ、学んだことがない分野であっても、必要と感じれば、素早く学ぶ能力が形成されていると考えています。

 

Q 「教育と自主性の育成は両立するか」がよくわからなかった。(しない-自主性が大切教育はどうなるのか。

協調性は育つのか、これがわからなかった。

A 教育とは、教師が生徒に教える行為を通常さします。つまり、上の者が下の者に指示をします。これは、自発的な行為ではないので、よほど教え方に自主性を考慮しないと、自主性を押し殺してしまうことになります。最近よく言われる「指示待ち人間」にしてしまうわけです。そういうことをいったと思います。サドベリバレイは、教師の指示的要素を完全に取り払うことによって、自主的な学習を最大限促進するという方法となっているわけです。「協調性」の部分は、質問の趣旨がわかりませんでした。サドベリバレイでも、たくさんの集団的活動が自発的に組織されていますから、そのなかで協調性は充分に育っていると思います。