臨床教育学コメント 2018.5.31

Q 斉藤喜博で、正解のある問いは、どのような授業になるのか。

A 算数や理科などについては、間違いであれば、間違う考えの筋道があるわけで、多くの間違いは、「共通」の側面をもっています。斉藤喜博の場合は、それを「**ちゃん式間違い」と名付けて、その間違いが出てくると、それを引き合いにだして指導する、というようなことをひとつの典型にしています。もちろん、安易にそのような指導をすれば、**ちゃんが傷つくわけですが、斉藤喜博の「**ちゃん式間違い」の場合には、考えの筋道をきちんと跡づけて、どうして間違うのか、その間違いをしないためには、どのように考えるのかを、きちんと跡づけているので、「**ちゃんのおかげで、みんな正しく理解できるんだよ、だから、**ちゃんに感謝するんだよ」というように使うわけです。

もちろん、教師に対する信頼感があるからこそ、可能なことです。

間違った答えをどう扱うかは、教育実践のなかで最も難しい課題のひとつなので、みんな自分で考えてください。

 

Q なぜよい教師は追放になってしまうのか。

A 戦前の場合には、子どもの成長を真剣に考えると、政策的にしなければならないことに反するような実践をせざるをえないと感じる場面が多々あるわけです。それを貫く教師は、体制にとって危険だと認識されたということです。

 

Q 遅刻を許すというのは、子どもたちが乱れないという前提とともに、遅刻の理由がある程度までだという前提があるのではないか。

A 確かにその通りで、その程度は、まわりの人たちが納得してくれるようなこと、という基準でしょう。それは人によって、範囲は異なると思います。小さい子どもを抱えている場合とか、あるいは、病気の親と同居しているとか、家が非常に遠くて、ときどき電車がとまるとか、人それぞれの事情があるので、一定の基準を設けるということはできないでしょうが、まわりの人が、それなら仕方ないね、と思ってくれればいいということでしょう。

 子どもの問題も指摘の通りだと思います。

 

Q 発言をうながす技法にもいろいろあると理解した。

A 次回の講義も、まったく違う発言を促す技法なので、それも参考にしてください。それを踏まえて次回纏めたいと思います。