臨床教育学コメント 2018.5.17

Q 教員がリーダーの素質のある生徒を育てるための具体的方法は、

Q 集団のなかから、リーダーを育てるには、どんな方法があるか。

A 人によって異なるでしょうが、基本的には、リーダーといっても子どもであるので、十分にできる対応できないことも多々あるはずで、親身に相談にのること、励ますこと、任せてしまうのではなく、常に必要な援助をすること、などでしょう。 全生研は非常に強い影響力をもっており、特に核班作りの実践は、多くの亜流を生んだと言われています。しかし、そうした亜流の実践を、学校ぐるみで行っていた中学で、班長に仕事を任せきりにして、クラスの生徒たちが批判したり、あるいは教師のいいなりになっているなど、非難がましいことをいっていたにもかかわらず、教師が班長を助けなかったために、その班長が自殺したという事例があります。

 また、リーダーを育てるためには、教師自身がリーダー的素質をもち、更に援助的な力量と姿勢をもっていることが必要でしょう。

 

Q どのような生徒がリーダーにふさわしいと判断して、声をかけるのか。

A それは、リーダーに必要な資質は何かという問いと同じであるように思います。リーダーに必要であると考えられる資質のいくつかをもっていると評価できる場合に声をかけると思われます。ただ、あくまでもリーダーとして育てるという観点にたっているのであって、最初からリーダーにふさわしい子どもなど、ほとんどいないといえます。

 

Q リーダーに向いていると思った人に、リーダーを任せたいが、本人は向いている自覚がないとしたら、どのようにうながすべきか。押しつけるのはよくないと思うので。

A 自覚がなくても、教師が、「あなたはリーダーとしての資質があると思うから、ぜひやってみたらどうだろう。ちゃんとフォローやアドバイスはするし、また、班員たちに十分に協力するように指導するから」というような働きかけをすれば、多くの子どもは応じるように思われます。もし応じないとすれば、おそらく、教師への信頼感が不十分であることが多いのではないでしょうか。どんな実践でも、教師が子どもたちに信頼されていなければ、うまくいきません。

 

Q 能重真作のような教員は、今の時代に必要だと思うか。一昔前の生徒より、今の生徒は扱いずらい気がするが。

A 能重氏が活躍したころに比較して、今は、子どもたちとの「教師環境」が格段に拡大しています。つまり、クラス替えの頻度が多くなっていること、塾に通っている子どもが多いことのために、実際に習う教師が多くなっているだけではなく、情報化社会の影響もあり、さまざまな教師に対する噂、評価などが入ってくるために、教師に対する見方が厳しく、覚めたものになっているといえるでしょう。したがって、扱いずらいというのも確かにそうでしょうが、逆にいえば、能重氏のような、「本気の」しかも、子どもたちのことを十分にわかっており、しかも、困難を厭わない教師へは、高い評価をするのではないでしょうか。

 

Q リーダーが自然に生まれるというのは、自然とそのような力をもっているということか。それとも、生活していくうちに身についていくということか。

A  全生研の実践との関連でいえば、リーダーは「育てる必要がある」と考えるか、その必要はないと考えるのかの問題です。上の質問でいえば、「必要はない」というなかには、「自然にもっている」と「生活していくうちに身についていく」という場合を、両方とも含んでいるといえます。

 授業でも説明したように、 全生研は、当時のソ連の教育理論に大きな影響を受けていました。必ずしもソ連教育理論というひとつの体系があったわけでもなく、また、それが非常に独特なものでもないのですが、ソ連教育理論から学ぶという意識が強かったのです。そして、レーニンの理論のなかに、「自然成長性に任せるのは間違いである」というのがあり、指導者が働きかけて、成長を促すという考えが非常に強かったのです。

 もっとも、教育理論では、働きかけを前提としない理論はありえないのですから、すべてを自然成長性に任せるのが間違いであることは当然です。すべてを自然に任せているように思われるようなサドベリ・バレイでも、実は、非常に強い「働きかけの要素」がちゃんと存在しているのです。それは、ひとつには、年上の生徒たちが、いきいきと自分のやりたいこと、学びたいことを学んで、楽しそうにしていることです。これは、小さい子どもが何かをやりたくなるための、もっとも重要な要素なのです。(みなさんが、将来自分の子どもに、何か習わせたいと思ったら、年上の子どもがそれを楽しそうにやっている場を、継続的に見せることが、もっとも有効です。)第二に、何かに意欲を感じたときに、学校がそれを十分に援助する体制が整っていることです。義務としてやらせることはないけれども、やりたいことは十分にさせていて、それをスタッフは教えたり、必要な援助をしたりします。サドベリバレイも、自然成長性に任せた学校では、決してないのです。

 しかし、だからといって、リーダーを育てるということについて、ネガティブになる人が少なくないのは、リーダーは、あくまでも少数であって、特定の個人をリーダーとして特別に育てる行為をすることに、えこひいきに感じてしまうからでしょう。そういう危険性は確かに存在すると思います。

 それを避けるためには、できるだけ多くの人に、リーダーになる機会を提供すること、リーダーとなるために、自分で立候補して、選ばれること、決して楽なわけではないリーダーとしての働きをしっかりさせること、などが必要でしょう。