臨床教育学コメント 2018.4.26

Q 小学校のとき、毎日けんかなどでドアがはずれていたり、机が倒されていたり、窓が割られていたりしたが、学級崩壊という自覚はなかったが、当てはまるのか。

A りっぱな、かつ典型的な学級崩壊です。

 

Q 移民の増加で閉鎖性が打破されているというが、日本も閉鎖性を破られることがあるか疑問に思った。

A 日本でも学級王国というような言い方はあまりされないほどに、開放的になっていると思います。学校評議会・学校運営協議会などに地域の人々がはいって、学校の運営に意見を述べるとか、地域の行事に教師が参加し、また、学校行事に地域の人が参加する。あるいは、多くはないにせよ、地域の人が総合的な学習等の講師になるなどの交流もさかんになっています。また、学校の見回りや、コーディネーターなどの協力なども少なくないといえます。

 

Q 銃乱射事件があった学校で、中身のみえるクリアバックが指定になって驚いた。アメリカの学級崩壊は、突発的に、日本では少しずつじわじわと発生すると思うが、そこにも違いがあるか気になった。

A 日本では銃は厳重に規制されており、ナイフなどについても学校ではかなり神経質になっていますから、アメリカのような暴力教室が現出することは、それほど心配ないと思いますが、だからといって、教師や子ども同士の暴力行為は深刻に考える必要があるので、学級運営の技法などは学んでおく必要があると思います。

 

Q 環境要因が人の人格に大きくえいきょうを与えると言われているが、親がいないことや、親からのストレスで、どのような影響が現れるのか。

A 「人間の成長は3歳までで決まる」という言い方がありますが、人間の成長は決して固定的なものではなく、プラスにも、またマイナスにも、途中で大きく変化するものです。小学生でしっかり者が、中学になってグレたり、その逆だったりすることは、けっして珍しくありません。親がいるかどうか、また、親が放任か過保護か、虐待する親かなど、さまざまな形態があると思いますが、こうだから必ず、ある一定の結果になるものではありません。「親がいなくても子は育つ」という言葉がありますが、昔、母親大会という集会のスローガンで、「親がいても子は育つ」というのが掲げられていたことがありました。親は子どもの成長に、通常は大きなプラスの要因として働きますが、親のために成長が阻害されることだって少なくないでしょう。それも、虐待だから成長を阻害したというだけではなく、配慮が行き届いていたからこそ、配慮されないとうまくできない子どもに育つということだってあるでしょう。

 親からのストレスへの反発心から、かえってそれをバネにして成長する子どももいると思います。

 だから、親がいないと**になる、などのある意味固定的な人間観ではなく、もっと個別に、それぞれ違うように作用するという目でみることが大切であるように思います。

 

Q 日本の学級と欧米や北欧で学級崩壊の割合などは大差があるのか。

A 日本では学級崩壊という「意識」が強くあり、それによって学級をみる傾向がありますが、欧米では、日本のような意識で学級をとらえないので、日本では学級崩壊と考えられているような状態でも、そうした意識をもつことはない場合も少なくないと思います。むしろ、暴力がひどくなると、「暴力が横行している状態」とか「暴力教室」というような感覚になるのではないでしょう。そもそも基準が違うので、量的比較はあまり意味がないといえます。

 

Q 外であまり遊ばなくなったこと、エアコンの普及で、身体がそのことに慣れ、それが体質の変化となっているのか。

A 外で遊ばなくなった理由に、エアコンの普及があげられることは、あまり聞いたことがありません。エアコンが身体に悪影響を与えることは、よく指摘されることなので、子どもがエアコンにあたりすぎること、なれすぎることはよくないと思います。外で遊ばなくなった理由としては、いろいろと考えられ、まずは安心して遊べる場がない、ゲームが普及した、習い事が多くなった、等々。

 

Q 子どもの能力について、遺伝か環境かという議論があるが、キレやすい子というのは、ストレスを抱えているという話だったが、遺伝よりも環境が強いこということなのか。

A 以前は「遺伝か環境か」という議論は、大きな論点でしたが、現在では、そのように問題をたてることは、ほとんどないと思います。遺伝的要素があることは、科学的に明らかになっていますから、純粋環境論などは成立しませんし、また、環境の影響を否定するというひともいないでしょう。遺伝的要素が、どのように、環境のなかで発現していくのかという問題のたて方になっていると思います。

 犯罪をおかしやすいというのが、遺伝的な要素があるかというのは、以前から議論されていますが、いまのところ、証明はされていないと思います。キレやすいというのも、同様でしょう。もし、犯罪的資質が遺伝するならば、日本では、八丈島などは、犯罪者が多数流刑されていて、その子孫がいるわけですから、いまでも犯罪が多いはずですが、むしろ犯罪が少ない印象があります。

 エアコンの悪影響に、自律神経失調症になりやすいということがあるそうですが、そうしたさまざまな神経的な疾患に、環境の影響があることは否定できないと思います。

 

Q 学級崩壊の要因として、親の変化があげられるが、どのように変化したのか。

A それはあくまでも「ひとつの考え方」であって、そのような親も、まれにいるという程度に考えておくべきでしょう。

 たとえば、過保護な親がいて、子どもがなんでも思い通りにならないと気がすまないので、教室でもそのような振る舞いをする、あるいは逆に、家庭で暴力的に育てられているので、それを学習した子どもが、教室でも暴力的に振る舞う、等。子どもが5人以上いる場合と、一人っ子の場合、それぞれの子どもに、親の働きかけの量と質を考えれば、現在の少子化のほうが、はるかに、親は過干渉になります。そうしたことの影響が、学級崩壊の原因をつくる子どもにしてしまう、というようなことが、希にることは間違いないと思います。他の事例も考えてみてください。

 

Q 学級崩壊の原因としてあげられていた幼稚園教育は、幼いころからの教育が、子どもにストレスを与えるという意味か。

A これもひとつの説です。テキストに書いてありますが、幼稚園要領が、自由保育主体の考え方になったために、子どもの規律が十分に幼稚園時代に形成されないまま、小学校に入ってくるので、授業中しっかり座っていることができない子どもが増えた、という見方のことです。

 正しいと思うかどうかは、自分で判断してください。

 

Q 日本の学級の特質として「役割」を与えることとあったが、ヨーロッパでは、ないということか。

A ヨーロッパでは、たとえば、教室の掃除などもありません。学校が雇った人が行います。日本のような行事は、ほとんどありませんから、係はあったとしても、極めて少ないし、全くないことも稀ではないでしょう。

 教育理論としても、係をさせて人間形成をさせるというのは、あまり知りません。あるとしたら、むしろ、学校外の活動のなかにあると思われます。

 ただ、たとえば、政治を学ぶときに、学校で模擬選挙をしたり、模擬裁判をするというような活動を取り入れる学びかたは、よくありますが、それは係として学ぶこととは違います。

 

Q 親の子どもへの考え方の変化は、環境的要因があって変化したのか、親の考え方自体が変化してしまったのかどちらか。

A 双方の相互影響と考えるべきだと思います。

 

Q クラスのまとまりを重視しない国もいくつかあるということだが、重視しないことによるメリット、デメリットは何か。

A 最終的には個々人の発達が問題であると考えれば、それぞれの個性にあった教育が重視され、たとえば、自分はもうわかっているので、先にいきたいのに、まだわからない人がいるので、復習に突き合わされる、また、逆に、まだわかっていないのに、平均的な人はわかったので、先に進まれてしまう、というようなことは起きにくいメリットがあります。しかし、人間は基本的に社会的動物ですから、集団のなかで生活していくのが、基本です。人間関係を実践的に学ぶことは必要なことで、それがしにくいのは、デメリットでしょう。

 

Q ヨーロッパでは、一学年一学級しかないので、人間関係が濃密になるということだが、クラス編制することで、多様な人と接したり、幅広い経験ができるという利点があるとも感じた。

A もちろんそれぞれの長短があると思います。多様な人間関係ができるために、クラス変えも意味があるでしょうが、校外の活動を日常的に行っていることでえられる場合もあります。ヨーロッパの場合には、同心円的集団ではないので、地域のスポーツや文化活動に参加することで、人間関係の多様性が作られていると考えられます。