臨床教育学コメント 2018.4.19

Q スマートフォンなどによる陰湿ないじめを、教育者はどう動くべきなのか。

A このことは、未知の世界だといえます。誰も確信をもって、こうすれば解決できるという方法はないといえます。ぜひ、みなさんこそが、そうした実態を生きてきたわけですから、解決法を考えてほしいと思います。

 長年ネット生活をしている者として考えられることをいくつか。

 大人でも子どもでも、インターネットについて「匿名世界である」という誤解を、多くの人がしています。しかし、インターネットは、実は少しも匿名世界ではありません。あくまでも表面的に匿名なだけで、誰がアップロードしたかを、正規の手続きを踏んで調査すれば、ほぼ確実にわかるものです。そのことを、子どもたちにきちんと理解させることが必要でしょう。

 次に、いじめには、単なるいじめと、犯罪に含まれるいじめとがあります。実際生活上のいじめの多くは、犯罪にまでいたらないものが多いのですが、ネットでの陰湿ないじめは、かなりエスカレートするので、侮辱罪や名誉棄損罪となることが多く、犯罪を犯していることになり、警察沙汰になる可能性もあることを、教える必要もあると、私は考えています。実際に犯した罪で罰せられる可能性があることを、知らないままに放置することは、教育的ではありません。

 このようなネガティブな指導だけでは、もちろん改善されるわけではなく、他方、ネットを使って、個々の子どもたちの興味にそった楽しいこと、できたら、更に役に立つことを具体的に教えていくことが必要でしょう。

 

Q 学校がいじめの隠蔽体質になってしまうのは、教師という職業柄、もともとブラックという上に、また仕事が増えてしまうから当たり前のことなのか。

A 教師という職業がもともとブラックであるというのは、必ずしも正しくないでしょう。むしろ、戦前などは、教師は村社会の中でもっとも教養ある人物として、尊敬されていたといわれています。公立小中学校が、最大のブラック企業などといわれるようになったのは、最近のことだと思います。

 しかし、教師という職業が、もともと隠蔽体質であったということは間違いありません。かつて、10坪主義とか、学級王国という言葉がありましたが、教室の中は、担任の教師の閉鎖的な世界であって、何が起きているかは、外からは全くわからないという意味で使われていました。これは、日本に限らず、欧米でも同様のことが言われていました。つまり、学校という組織は、非常に閉鎖的な性格をもっていたのです。地域に開かれた学校とか、地域との連携というのは、そうした閉鎖性を打破することが意図されて、主張されているのです。

 学校でも、ある時期から、閉鎖的なままでは学校の問題が解決できないことが、段々わかってきたのです。西洋では、移民の子どもたちが入学してきたことが、大きなきっかけですが、日本では、校内暴力や学級崩壊のような現象が多くきっかけとなりました。

 

Q いじめが起きる原因に、高校の部活も関係しているのではないか。同じ部活等で集団ができ、それに入っていない人が孤立することがあるのではないか。家庭の経済的側面が関係していないか。

A 高校では、全員部活加入制などは、ほとんどないでしょうから、中学などよりは、部活がいじめの温床になることは、その面では少ないと思いますが、学校などにより、さまざまな事情があるので、単純にはいえないでしょう。スクール・カーストを描いた映画の「霧島、部活やめるってよ」というドラマでは、スクール・カーストが部の上下関係と関連していて、下の部活の部員がなんとなく、虐げられている雰囲気で描かれていましたが、そのような雰囲気が実際にあるかどうかも、学校によるのではないでしょうか。

 

Q いじめと自殺の実数には、との位差があるのか。いじめの原因や社会的特徴に1970年くらいから、2018年にかけて変化はあるのか。

A いじめも、いじめによる自殺も、実数を把握することは、不可能でしょう。そもそも、自殺の数も、自殺と考えられる数であって、実際には自殺を装った他殺であったり、事故死と処理されたが、実は自殺だったとか、統計上の数値と実際には、隔たりがあるといわれています。

 いじめについては、統計は、あくまでも「認知件数」であって、実数ではありません。認知件数よりも実数はかなり多いと考えられますが、正確なところは誰にもわからないのです。ただ、かなり多いのに対して、いじめによる自殺は、年に数件、せいぜい10数件でしょうから、圧倒的に割合としては少ないといえます。したがって、ほとんどのいじめは悲劇に至る前にとまっているか、解決されていると考えられます。そうした「解決の事例」を研究することもとても大切であると思います。

 他方、非常に少ないとはいえ、自殺というのは、極限的な悲劇であり、個人的悲劇であるとともに、学校の教育の問題でもあるので、個々の事例をしっかり考えることは必要でしょう。

 

Q 同調圧力には、よい面もあるのではないか。ない方がよいと言い切れるか。

A 問題にしているのは、「同心円的同調圧力」です。現在は多少多様性が生じているともいえますが、ひとつの組織に所属して、そこにほとんどの生活が集約されている状態を前提にして、同調圧力があることは、「よい面」は私は思いつきません。多様に存在している個々の集団で、同調圧力が必要な場合は、少なくないでしょう。

 

Q 日本教育の同調性が傍観者増大と仲裁者減少に関係があるのだとしたら、いつごろから、そういう同調性が始まったのか。

A 江戸時代に作られ、明治時代に強化されたと考えられます。

 

Q 鹿川君の葬式ごっこで、書かなかったのが全員女子だったのは何故か。男女で差があるのか。

A そのことを授業中に、みなさんに考えてほしかったわけです。思いつくままに書いてみると、「女子のほうが正義感が強い」「女子のほうが勇気がある」「いじめグループは、男子であり、鹿川君がいじめの対象であるので、女子は自分に向かってくるという恐れがあまり感じずにすんだ」等々あると思いますが、ぜひ自分で考えてください。

 

Q 中学受験で、親がつきっきりということが多くなっていると思うが、それも問題か。

A 中学受験どころか、就職関連まで付き添う親がいるそうです。親離れできない子ども、子離れできない親というのは、多くの場合はマイナス面が大きいのではないでしょうか。自立すべきときに自立できないし、また、させないわけですか。

 

Q 中学受験の影響により、学校行事等に参加しなくなり、いじめがあっても注意するような人がいなくなるというのは、少し言い過ぎではないか。

A そのような中学受験生が大部分であり、また、中学受験がとめる人がいなくなった唯一の原因であるというのならば、それは確かに言い過ぎだろうし、また、誤りでしょう。

 しかし、難関中学の受験のためには、ほぼ毎日の塾と試験が4年生からずっと続くわけで、中高一貫の学校に入学して、よい大学に入ろうという、少なくない部分が、そうした受験勉強に邁進している状況で、受験生が学校のさまざまな取り組みに消極的になり、学校での役割を十分に担わないような人たちが出てくることは否定できないのではないでしょうか。また受験の不安で、精神的にかなりまいってしまう小学生がいることは、現場の教師から聞かされています。もちろん、そうした中でも、十分に学校生活を充実させている子どもたちもいるでしょうが、難関中学合格のために、真剣に塾通いをしている子どもたちは、消極派が少なくないように思います。彼らが、受験勉強にそれほど時間や意識をとられることなく、積極的に学校や学級の活動に主体的にかかわれば、いじめをとめられる人物である場合も少なくないと考えられます。

 

Q 先生が考える道徳教育はどんなやり方か。

A 授業の目的は、さまざまな解釈や事実を提供して、受講生に考えてもらうことにあるので、教師自身の考え方は、できるだけ控えるべきであるという基本姿勢をとっている。(マックス・ウェーバーの『職業としての学問』参照)それは、教師の考え方を学生自身が、批判的に吟味するという姿勢が弱いと感じることも理由のひとつとなっている。

 ただ、この講義のあり方にも関わるので、以下の点は説明しておきたい。

 道徳教育が必要ないと考える人は、おそらくほとんどいないと思うが、特別に設定された「道徳教育の時間」や「教科書」が必要ではないと考える人は、少なくない。1958年に道徳の時間が設定されるときに、大論争が起きたが、道徳はさまざまな教育場面で行うのが筋で、特別の時間は必要ないのだ、という主張が小さくなかったために、大論争になったといえる。

 そのような考え方は確かにある種妥当な側面をもっており、それは、国語や社会やその他、通常の授業のなかで、十分に道徳を教える効果があるとするもので、そうした考えかたに基づいた、あるいは、実質的に道徳教育的、あるいは生活指導的効果をもっている教育のスタイルを、いくつか紹介することになっている。

 

 

Q 大学で、学級をつくる教師側のメリットは何か。学生側は、友好関係、集団に所属する安心感などがあるが。

A 専門が決まり、その専門分野によって集団が形成される以前は、なんらかのまとまりとして、学級があると、教員が学生を把握しやすいというメリットであるといえます。

 

Q オランダの事例は、誰かがとめてくれるだろうと考えていた可能性があると思うが、どうか。

Q 制服効果とは何か

A その通りだと思います。逆に、何か関係する職業についている人は、特に職務中には、自分が止める必要があると感じる傾向にあり、それを制服効果といいます。実際にオランダの事例で、通報したのはスーパーマーケットの職員でした。

 

Q 昔はいじめの被害者が加害者を殺害するということがあったそうですが、小中学生でもそうだったのですか。

A 小学生はさすがに記憶にありませんが、ほとんどは中学生だったと記憶しています。

 

Q 自分が被害者になることを恐れて、とめることを躊躇するというを打破するには、どうしたらよいのか。

A これは、非常に難しい問題で、私にもわかりません。まず、自分が被害者になることを恐れて、とめることを躊躇するという姿勢は、もちろん、称賛すべきことではありませんが、しかし、非難することもできないでしょう。実際に、とめることで自分がいじめの対象になってしまうことは、よくあることであり、そうした危険を回避することは、人間の自然な感情だからです。しかし、みんながそういう態度をとっていれば、いじめの解決はかなり遠のいてしまいます。もちろん、教師たちが解決することはあるでしょうが、クラスのいじめというのは、かなりの部分は子どもたちの人間関係のあり方なのであって、教師が自由に操作できるものでもありません。

 最初に行われるべきことは、教師が、いじめを許容しないこと、許容しない姿勢を明らかにすること、いじめがあったら、教師にそれを誰でもよいから伝えること、伝えた人を必ず守ること、教師が真剣に問題解決のために努力する姿勢を見せること、等で子どもたちの信頼を得ること、そうしたことを通して、クラスの集団的な信頼感を醸成していくことなどが考えられるでしょう。

 子どもの側からすれば、教師がそのような立場にたっていれば、とめないまでも、まずは教師に報告して、解決のためにできることがあればそのことも伝える、それだけでも実質的にとめるための行動をとったことになると思います。

 もし、教師がいじめを解決する意志をもたないと子どもが感じていたとしたら、かなりできることが限定されますね。自分の親あるいは信頼できる教師に相談する。

 

Q 親には何ができるのか。

A 親にできることはたくさんあると思います。みなさんも、想像力を働かせて考えてみてください。将来きっと役にたつでしょう。

・子どもの絶対的な味方になること。中学生の年齢では、親に相談することを回避する傾向もあるから、相談にのれないことはあるだろうが、100%味方であることを伝えることはできる。

・学校や教育委員会に働きかけること。

・学校がきちんとした対応をしていないと判断したら、学校にいかない選択を許容する、あるいは転校を選択する。

 

Q 道徳教育推進校はどのような背景設定されるようになったのか。

A 研究推進校は、校長が申請し、認可されると、通常3年程度、予算がついて、授業研究を中心に行い、講師などを招いて研究発表会をするものです。教師たちの多くは、特別な体制を必要とするので歓迎しておらず、校長の業績作りとなるために、校長の要望につきあわされている感じがします。もちろん、発表できるような授業づくりを努力して実行するわけですから、学びの要素はあるでしょうが、自発的ではない研究よりは、もっと教師自身が望む形での授業研究が行われるべきでしょう。