臨床教育学コメント2017.5.25

1作文の力には納得したが、夏休みの「読書感想文」には疑問をもっている。感動もしていないのに、強制的に欠かされるが、そういう必要はないのではないか。

 読書感想文を「強制的に」書かせる問題と、「感動」が必須となっていることの問題と、異なる二通りの問題があると感じる。「つまらなかった」とか、「主人公の行動や考えに疑問を感じた」などという感想文も、多いに認めればよいと思う。「強制的」に書かせるということは、生活綴り方教育のもっとも強く反対するところなので、「書きたくなる」ような実践をすることが大切だといえる。

 

2作文での共有について、悪い方向にいってしまうという意見があったが、(自分はよい方)「先生にしかいえないこと」「クラスの人に広めてほしくないこと)という子どもの気持ちもあるかと思った。

(別の人の同趣旨の意見)討論のマイナス面は、プライバシーを知られたくない人もいるからだと感じた。弱い立場の人は強い人の立場からいじめを受けてしまう心配がありうると思う。

 この問題は、この授業の「基本原則」として掲げているアンナ・ハレントの「人間の条件」をどのように実践するかという課題になる。「先生にしかいえない」「クラスの人に知られたくない」というのは、最初の段階であり、クラスの人間関係がより好ましい共感的、相互援助的なものになっていけば、むしろ、多くの人に知ってほしい、とか、あるいは、援助してほしいという気持ちになると考えられる。そうしたクラス作りができるかによって、根本的に異なってくるといえる。

 

3クラスの中心にいるような子が文章がうまいというような話があったが、目立たない人で本を読んでいたりする人のほうが文章がうまかったような気がする。

 前段は、多分誤解だと思う。そのように考えていないし、言わなかったと思う。後段は、そのようなことが多いと思う。