臨床教育学コメント 5.11

1 不登校の生徒で学校には来るが別室通いをしていた者がいたが、いかがなものか。

 不登校の解決は「登校」だという原則派からみれば、最近の不登校への対応は、いろいろと問題があると感じられるけれども、ひとつの教育スタイルに皆が合うわけではないと考えれば、その対応は多様であってよいことになる。家庭での教育、フリースクール、インターネットでの学習等を認めれば、登校した上で、教室以外の場所で学習するというのも、対応のひとつと考えられる。ベストではないにせよ、全く登校しないよりは、完全な登校に近づくという見方もできる。

 

2 朝会はどのようなメリットがあるのか。インフルエンザが感染したり、貧血で倒れる者がいたりした。校内放送で十分ではないか。

 以前は校内放送システムなどなかったし、ましてウェブでの連絡なども考えられない時代に、全員を集めて伝えるスタイルが一般化したといえる。しかし、伝達機能に関していえば、非能率的で、しかもどれだけ伝達事項が徹底するかは疑問だろう。おそらく、朝会をメリットと考えるひとたちは、「けじめ」「全員が集まることの意味」などを強調すると思われる。

 

3 不登校の原因(学校)は友人が多いが、友人がいるから学校にいくというのと、矛盾していると思った。

 疑問を書きつつ、適切な自分の意見も書いているが、不登校の原因が友人というのは、「友人関係が壊れてしまった」という意味だろう。

 

4 身近に「勉強する意味がわからないから、学校にいかない」という人がいるが、こういう人にはどういうアプローチをしたらよいのか。

 

5 部活についての意見が複数あった。

(国際教育論のコメントと同文)

 全く私見ですが、私自身、現在の部活動のあり方には、基本的に否定的なので、確かに問題であると思います。

 日本の学校での部活は、制度疲労状況になっているし、利点よりも欠点のほうが多くなっていると考えています。もちろん、利点がないわけではありませんが、利点を活かしつつ、欠点をなくしていくためには、現在のシステムを変更する必要があるし、そう考える人も少なくありません。

 こうした問題を考えるときには、ひとつの現象を多面的に見ることがとても重要です。

 例えば、現在の部活の生徒側の利点に、指導を無料で受けられることがあります。通常スイミングスクールにはいって、コーチの指導を受ければ、謝礼が発生します。楽器を習うのも同様です。しかし、この生徒側の利点は、顧問である教師の無償労働によって成立していることと、専門性の低い指導しか受けられないという欠点と表裏の関係にあります。現在では、顧問に謝礼が出るようになっていますが、やっていることの正当な報酬とはとてもいえません。顧問が実際にどれだけの指導をしているのか、まったくしてない顧問も、極限までしている顧問もいるでしょう。しかし、そうしたことを査定しての謝礼になっているとも思えません。そして、多くの顧問は、その部活の内容の専門家ではないので、指導レベルもかなり低いはずです。

 もうひとつの利点は、人間関係を形成することと、施設の利用が便利であることです。しかし、これも見方を変えれば、欠点といえます。社会が進歩複雑化するにしたがって、人間関係も複雑になり、また、多様になります。逆にいえば、多様な人間関係を結ぶことが、現代社会では必要であり、また、有効なのです。ひとつの人間関係ですべて支配されていると、そのなかで関係が崩れると、生活全般が崩れてしまう危険性があります。しかし、多様な人間関係を結んでいれば、ひとつの関係がまずくなっても、他の関係で救われる可能性があります。前向きに生きている人は、活動の場を複数もっている人が多いのではないでしょうか。

 現在の部活だと、学校生活が勉学と趣味を両方覆う、非常に単一の人間関係を築くことになり、多様な人間関係を結ぶ機会が制限されてしまいます。

 施設の便利さも、見方を変えると大きな欠点になります。

 おそらく日本は、ヨーロッパなどと比較すると、生涯スポーツがまだまだ不十分といえます。日本は学校が一番多くのスポーツ施設をもち、部活が利用しているので、学校生活から離れると、スポーツ施設を利用する機会がかなり限られてきます。お金のある人は、有料の施設を利用できますが、それらも限られています。ヨーロッパ型だと、学校体育もスポーツも、社会施設で行うので、学校を卒業しても、同じ社会施設を利用しつづけることが普通にできるのです。施設が、学校関係者だけに便利なのではなく、社会全体が利用可能にすることで、生涯スポーツ、あるいは生涯文化活動が可能になります。

 部活の欠点として、もうひとつ重要なことがあります。スポーツにしても、文化活動にしても、生徒間にはレベルの差があります。また、との程度集中してやりたいかという気持ちにも差があるのが普通です。大学には普通、それぞれのニーズにあわせた部やサークルがあるので、そうした多様性がうまく処理されています。しかし、高校までの部活だと、ひとつの種目にひとつの部活しかないので、必ず、ニーズにあわない人たちがでてしまいます。また、野球部に100人いる例など珍しくありませんが、その場合、ほとんどの部員は試合にでることができません。このような欠点が最も現れるのが、柔道部で、中学の柔道部は、小学校からやっている経験者と、初心者が一緒にやることになり、そのため深刻な怪我が多くなるのです。

 以上のような欠点を是正するには、やはり、現在のような学校の部活をやめ、社会教育管轄のスポーツや文化活動に変更していくのが、望ましいといえます。そんな施設はないというかも知れませんが、施設は学校をつかえばいいのです。通常の学校の活動は、例えば4時までとして、4時以降は、校長ではなく、社会教育の管理者に変わり、学校施設が社会教育施設となる。もちろん、利用可能な教室や施設は限定されます。公共の施設と学校の施設を、利用したい部が年間契約で利用し、通学する学校とは関係なく、部を選択して、例えば5時以降活動する形にすればよいのです。すると、同じ柔道部でも、どんなやり方をするかを明確にして、選択できます。

 また、運動場なども、この学校は野球、この学校はサッカーというように、共用する必要がなくなります。そして、指導者は専門的な資格をもった人が、仕事(アルバイト)として行うようにします。利用者(生徒)は、若干の謝礼を払うことになります。しかし、今の体制とは違って、多くの人たちが参加することになるので、謝礼はそんなに多くはならないでしょう。

 この方式だと、上記の欠点は、ほぼ是正されることになります。しかし、管理体制の移行というのは、日本人があまり経験していないことなので、そこに大きな抵抗を感じる人がいるかも知れませんが、やはり、必要だとなれば、日本人は適応できるでしょう。

 また、部活指導をぜひしたいという教師もいるでしょうが、その人は、指導員として応募すればいいのです。無償労働の顧問であるより、謝礼を受取れる指導員となるのですから、改善されるでしょう。また、やりたくない人が無理に顧問をやらされることもなくります。

 

 どうでしょうか。一度じっくり考えてみてください。