臨床教育学 2017.4.27授業のコメント

1 ヨーロッパと日本でいじめの違いがあるのか。

 あくまでも個人差だと思うので、国による違いがあるとは思えまない。ただ、日本は同調圧力が強く、学校に登校する必要を強く子ども自身が意識しているので、被害者になったときの辛さが、欧米などよりも強く、悲劇も多いと感じる。いじめの各国比較の研究もあるので、興味があれば参照してほしい。

2 「自由保育」が「学級崩壊につながる」と聞いて驚いた。

 あくまで、そのような「説」があるということです。

3 学校が荒れていて、保護者がくるのはあたりまえ、行事のときには警察がきたが、あまり実効性はなかった。そのような場合、どのような対処が可能だったのか。

 大人のいかなる注意も聞けず、また、校長等による懲戒も効果がなく、他の子どもたちの学習機会を妨害しているとしたら、教育委員会による「出席停止措置」、暴力行為などが止まらないとしたら警察力に頼ることも、とるべき対応であろう。しかし、その場合も、実質的なケアが必要である。

4 ポストモダンを行うのは、効率を高めるためであり、集団性や社会性を高める教育の場で適用できないと思う。

 「ポストモダン」というのは、社会の性質を分析する概念であって、何かに適応するかどうかの「道具的概念」ではない。学校が社会の基本的な性格によって、そのあり方が規定されるのだとしたら、社会がポストモダンという特質をもったものであるならば、その影響を当然受ける。そして、ポストモダン社会に適合した学校のあり方が構想されることは、当然のことといえる。もちろん、それが、今多く存在している学校のあり方と、かなり異質であることも自然である。

5 新任教師が担任すると、学級崩壊の可能性が高いのか、疑問に思った。

 最近は、新任教師を大量に採用する時期が続いたことと、現在中堅層が非常に少ないこととあわせて、新任教師の担任が学級崩壊状態に陥りやすいと言われている。一般的に教師に対する見方が厳しくなっている状況とあわせて、新任時代を乗り切ることが難しくなっている。

6 (学級崩壊が)子どもが原因であるか、教師が原因であるかあまりわからなかった。

 どちらかに原因があると説明したのではなく、こうした現象には、通常複数の原因があり、それぞれの層において原因となる変化が指摘されているという説明をした。実際の学級崩壊は、子どもたちのある側面や教師、学校体制のある側面、そして保護者の側面が、重なりあって生じるものだと考えられる。

7 ヨーロッパに移れば引きこもりなどもなく、目標を失うこともないのではないかと思ってしまうのだが・・・

 ヨーロッパでも引きこもりはあるし、自身喪失になる子どももいる。不登校はヨーロッパのほうが多いし、さぼりも多い。落第もあるので、自身を失う子どもは当然いる。

8 ヨーロッパのように学級を特別視しない場合におきる問題はあるのか。

 基本的には、「学級問題」としては現れず、教師や子どもの問題、教師と子どもの関係の問題として現れるといえる。学級問題として意識されないが、教師や子ども、保護者の間に起きる問題は、日本でも欧米でもあまり変わらないはず。

9 日本の場合、クラスのまとまりを強調することで、逆に疎外されてしまう子どもがいると感じた。日本とヨーロッパの不登校の差はあるのか。また、運動会や文化祭での感動や自分とタイプの違う子どもと接するメリットもあるので、どちらがいいのかいえないと感じた。

 基本的には日本のような形のほうが優れた教育形態だと考えられるが、それは教師の大きな負担によって成立しているともいえる。

10 運動会はもともとどのような目的で始まったのか。

 国際的にはいろいろなルーツがあるとされるが、少なくとも日本の独特の学校における運動会は、富国強兵政策の中で、体力増強を競争と結びつけて行事化したものと考えられている。入場行進などに、今でも軍隊的色彩は残っている。

11 都会のほうが学級崩壊が多いのはなぜか。

 競争的な教育(塾なども含めて)、生活のスピード、人口の多さなどから来る、よる大きなストレスが原因と考えられる。

12 スクールカーストはなくならないもので、トップの人が下の層のひとを気づかうようなクラスはいいクラスだった。

 評価は自由なので、そのように考えるのもありかも知れないが、そもそも「上の人に気づかってもらう下の人」というのは、本当に満足しているのかという問題がある。極端な事例になるが、「奴隷でもご主人が優しければ幸せ」なのか。スクールカーストが生まれないような学級運営をする教師は、もちろん存在する。

13 飛び級は外国ではどのくらいあるのか。

 飛び級といっても、いろいろな形態があり、小学校の間に、2年になるところ3年になる、というような飛び級システムが、実際に行われているのは、おそらくヨーロッパのいくつかの国くらいではないか。それに対して、上級学校に、早い年齢で進学できるようなシステムは、戦前の日本や、今のアメリカにみられる。日本のいくつかの大学では、18歳にならなくても入学を認める大学がある。

14 自由保育であったとしても、外に出て遊んでいるか、部屋のなかにいるかで違うのではないか。

 皆が計画的に一緒に何かをやるかやらないかは、習慣形成として違いを生む可能性が高いと思われるが、「自由保育」であれば、通常は外で遊ぶことを許容すると思うが。