臨床教育学 第一回授業に関するコメント 

1 掲示板は毎回か

 内容は毎回ですが、最終的な締切は最後の授業の一週間後です。しかし、できるだけ授業後一週間内に書くことが望ましいです。

2 地域的規範力の低下がなぜ自殺の増加につながったのか。

 これはフランスの社会学者デュルケムの説なので、詳しくはデュルケム『自殺論』を読んでください。地域的規範力の低下というとき、ふたつの意味があると思います。ひとつは、キリスト教的規範の低下ということと、キリスト教規範を執行している聖職者や地域の人々の意識のつながりの低下ということです。キリスト教は、生命は神から授かったものであるから、自ら自分の命をなくすこと、つまり自殺は神の教えへの違反だと考えます。従って、キリスト教の信仰が熱ければ、自殺傾向は減少するはずです。従って、キリスト教の力が弱くなれば、それだけ自殺への歯止めが弱くなること意味します。次に、自殺したい人は、非常に大きな悩みを抱えているわけですから、それを相談できる人、望ましくは解決してくれる人がいることが、自殺を抑止する力になります。ところが、これも、地域の人々の結びつきな聖職者の力が弱くなれば、相談にのったり、解決しようと努力してくれる人が少なくなるわけですから、自殺抑止力が低下することは十分に予想されます。

 以上のような理由で、デュルケムのような主張が出てくるといってよいでしょう。なおデュルケムは社会学者なので、論理的にいっているよりも、統計的なこのふたつの関連を提示しています。

3 アレントの「私的生活は奪われる」ということが理解できなかった。

 まずアレント自身の文章を引用します。

 「もともと欠如しているprivativeという観念を含む「私的」privateという用語が、意味をもつのは、公的領域のこの多数性に関してである。完全に私的な生活を送るということは、なによりもまず、真に人間的な生活に不可欠な物が「奪われている」deprivedということを意味ずく。すなわち、他人によって見られる聞かれることから生じるリアリティを奪われていること、物の共通世界の介在によって他人と結びつき分離されているこから生じる他人との「客観的」関係を奪われていること、さらに、生命そのものよりも永続的なものを達成する可能性を奪われていること、などを意味する。」(『人間の条件』o87

 英語の用法でいうと、OEDによると、最も古いprivateの意味は

 Withdrawn or separated from the public body

 Not holding public office or official position.

とされています。

 人間は、社会の中で生活が可能になるわけで、そういう人とのつながりから遮断されてしまうことは、人間としての可能性が発揮できなくなることで、それが「私的」ということの重要な本質のひとつだということでしょう。

 誤解してはいけないのは、アレントがプライバシーの権利一般を否定しているわけではないということです。

4 子どもの教育の中で優劣をつけるという点に関してのデメリットとは何か。

 劣っている段階の子どもを、適切に引き上げることが保障されていれば、優劣をつけることがデメリットにはならないと思いますが、その保障はなされないことも少なくないでしょう。

 そうすると、「劣」とされた子どもは、コンプレックスをもち、自分はだめだと思わざるをえなくなります。単に優劣ではなく、競争であれば、敗者を作ることになり、敗者は勝者よりも活力を低下させることが多いし、その集団全体の活力も低下することになります。競争はいろいろな場面で必要ですが、敗者や劣者への適切な指導がなされる必要があります。

5 インターネットなどの発達した社会での「公的生活」がアレントの時代と同じ考えでよいのか。

 アレントに聞くことはできないので、正確にはわかりませんが、原則は同じであるが、「公的生活」のあり方が広がったと考えるのではないでしょうか。もちろん、異なった概念が必要であると各人が考えてもかまわないと思います。

6 ユダヤ人が迫害されていなのには、ユダヤ人にも何かの原因があったからだと考えていた」とアレントが考えたのは、なぜか。

 かなり難しい問題だと思います。

 私が理解している限りでは、以下のようなことの結果でしょう。

ア アレントは子どものころに、ユダヤ人としてかなりいじめにあった。そのとき母親が断固とした態度で学校に抗議し、学校が適切な対応をするまでアレントを登校させなかったようだ。そういう差別的な行為には断固とした対応が必要なのだという信念を、彼女はもっていた。

イ しかし、多くのユダヤ人たちは、社会的な迫害に対して抗議をすることもなく、かといって防衛することもない対応をしていた。(長い間ゲットーに閉じ込められていたユダヤ人の習性であったかも知れない。)

ウ アレント自身が捕まって強制収容所にいれられたとき、おそらくナチに協力する人たちを見たと思われる。また、アレント自身が脱出することができたわけだが、アレントが書いていることによれば、脱出することは極めて困難だったわけではなく、ナチはユダヤ人が外国に逃れることに対しては寛容だったので、脱出して外国へ逃れるようなルートはあった。しかし、そういう意思をもったユダヤ人は決して多くなかった。

エ このような前史を踏まえて、アイヒマン裁判に臨んだときに、ユダヤ人自身の証言などを聞いて、ユダヤ人のある部分を批判したのではないかと思われる。