臨床教育学コメント 2016.6.9

Q 傍観者いじめの対応をするために、最初にいじめの話をするのは、子どもが絶対いじめをすると疑っているように感じられた。

A いじめはどんな集団にも起こりうることであるし、多くの子どもは、直接関わっていなくても、経験しているだろうから、いじめが起きる可能性を前提に、最初に何らかの確認をすること自体は、合理性はあるのではないかと思われます。実際に、このクラスでも、最低13人は、いじめの加害者であったわけですし、そのことをほとんどの子どもたちは知っているだろうから、むしろ、なんらかの対応を早くからとってほしいと願っているのではないかと思いますがどうでしょうか。もちろん、子どもたちに「お前たちはいじめをするんだろう?」というような、疑いの念を強く感じさせるようなやり方をするのはよくないでしょう。

 

Q 法則化運動では「命令口調」が多いというが、管理的になり学級崩壊につながることはないのか。

A 命令口調が、直接的原因というよりは、教師と子どもの信頼関係がなければ、命令口調が子どもにとって、不快に感じられることはあると思います。法則化運動に参加している教師でも、さまざまなレベルの教師がいるだろうから、学級崩壊が起きる可能性はないとはいえないでしょう。

 

Q コントロールというとあまりよい印象ではないが、子どもを動かす、誘導することと違うのか。

A 言葉のニュアンスの問題なので、解釈に個人差があるかと思いますが、とりあえず、「コントロール動かす誘導」という順番で、重い通りのことをさせる度合いが少なくなるとします。教師が、子どもをまったく自分の意思に従わないような指導しかできなければ、それは教師としての資質がないことになりますから、少なくとも、緩い「誘導」を否定する人はいないでしょう。しかし、その度合いが強くなり、駒のように動かすことについては、否定的な人もいるでしょう。では、教師は、駒のように、思い通りに動かすことができることが、理想的なのか、そうではないのか、これは人によって考えかたが違うでしょうし、どれが正しいかということは、いえないように思います。

 また、法則化運動のひとたちが、どのレベルをめざしているかについては、これも個人差があるように思いますが、少なくとも団体として、強いコントロールを否定してはいないように感じています。

 

Q くもの解釈

A いろいろな解釈が書かれていましたが、要は、どれかが正しいというのではなく、多様な解釈がでて、思考が広がっていくような指導が大事だということです。

 

Q 法則化運動はだれが使っているのか。校長が使うように指示しているのか、個人がよいと思ってやっているのか。

A 個人的によいと思う人がやっています。

 

Q スキナーとロジャースは、対照的な考えだと思うが、子どもに自発的に取り組ませようとしている点では共通しているのではないか。

A それはその通りだと思います。人間はロボットではないので、自発性を無視して、積極的な行動を引き出すことはできませんから、優れた心理家、教育者は、自発性を重視すると思います。

 

Q TOSSの考えを実施している教師は、いまでも多いのか。

A ウェブで調べられる限りでは、正確な参加人数はわかりませんでした。ただし、サークルが都道府県にあるということです。そうしたサークル参加者と、本を読んで共鳴している人など、いろいろな関わり方があるかと思いますが、サークルに所属して、熱心にやっている人の数は、どの学校にもいるというほどではないと思います。

 

A マニュアル化についてもいろいろな意見がでましたが、授業で説明したように、他人のつくったマニュアル通りにやっているとしたら、多くの人が指摘しているように、形骸化した授業になってしまうでしょうが、あくまでも「追試」として行い、改善した新しいマニュアルにするという意識をもっていれば、むしろ、マニュアルは自分たちでつくった創造的なものにもなりうるものです。