臨床教育学コメント 2016.6.23

Q 自分のやりたいをことをやって、異年齢集団で交流する機会はあるのか。

A やりたいことを、異年齢集団で行えば、常に異年齢集団のなかにいます。自然発生的なグループが、たいてい同一年齢層によるという発想は、学校的人間形成が圧倒的な部分を占めている日本特有のものなのではないでしょうか。

 

Q サドベリバレイの教育が日本の公教育に導入されるには、どうしたらよいのか。また、政府はどのように考えているのか。何故日本では広まらないのか。

A そもそもサドベリバレイを作っているひとたちが、通常の学校システムのなかに、サドベリバレイ教育を普及させようとは思っていないと思います。だから、すごく広まることはないでしょう。日本には既に7、8校ありますから、むしろ普及しているほうでしょう。政府がこうした個別教育について見解をもつことはないはずです。

 

Q サドベリバレイは私立なので、授業料が必要であり、経済力がある家庭の子どもたちなので、あのような運営が可能なのではないか。

A サドベリバレイの授業料は、20万程度であり、アメリカの私立学校とはまったく違います。そもそも、寄宿制ではなく、またスタッフも非常に少ないので、安く運営できるわけです。経済的に苦しい場合の優遇措置もあるようなので、裕福な家庭の子どもたちで構成されているわけではありません。

 

Q 普通の学校では、責任感が育たないとサドベリバレイはいうが、どちらの学校でも育つ人、育たない人がいるのではないか。(別意見、日本人からみると、サドベリバレイが責任感を育てるということに疑問を感じる。)

A どちらの学校でも育つ人と育たない人がいるというのは、全くその通りでしょうが、育てるシステムとして、どちらが合理的であり、有効であるかという問題として考える必要があります。自分で決めて実行したわけではないことに責任をとるのは、大人の社会でもないわけで、通常、決めた人が結果に対しては責任をとるわけです。そういう点からみて、責任感を育てるためには、子ども自身が選択し、決められることを保障する必要がある、という考えは、合理性があると思いますが、どうでしょうか。

 

Q 好きなことを徹底してやるなかで、耐性がつくということだったが、やめる自由もあるので、必ずしもそうならないのではないか。

A やめたらたしかに、その意味での耐性はつかないでしょう。ただ、やめようか悩んでいるときには、さまざまなアドバイスをするのだと思います。本当に好きならば、挑戦するのではないでしょうか。

 

Q 盗難事件で、公開で決めることは、いじめにつながらないのか。日本なら、いじめにつながる気がする。

A 少なくともグリンバーグさんの見解では、みんなが知っていることだから、いじめにはつながりにくく、むしろサポートするように多くの人が動くのではないかというものです。処分をきちんとうけた人をいじめるとしたら、そのこと自体が批判の対象になるわけであり、みながその処分に納得して決めたわけだから、普通の感覚では、いじめには向かないように思います。何が起きたか、その結果どのような処分がなされたか、正式には知らされないけど、なんとなく、うわさで広がっているという状態のほうがいじめが起きやすいように思われますが、どうでしょうか。

 

Q 傍観者盗難事件の処分が重すぎると感じた。委員にするのは、真面目に守っている側の気持ちはどうなるのか。

A 処分は、親と学校にきて話し合いをするまでの停学ですから、かなり軽いように思います。翌日きてもいいわけですから、その場合事実上停学などなかったことになりますね。盗んだお金を返すことは当然でしょうし、司法委員会の委員をつとめるのは、学ぶ機会を与えているということです。

 

Q 責任を代行しないというのは、うまくいかなかったことに対して、どのように対処するのか。

A うまくいかなかったことを、その後どうするかを自分で決めさせるということでしょう。うまくいかなかったことによって生じた穴を、大人が埋めてあげることはしないということです。

 

Q 全員が処分を知るのは、戻ったとき白い目でみられるので、嫌なのではないか。(別意見、皆から非難され、トラウマになるのではないか。)

A 前述した通り。

 

Q 途中から入学した人や、人見知りの子どもがうまく集団に適応できるのか疑問に思った。

A これはとても重要な問題です。グリンバーグさんの説明では、途中から入った子どもで、すぐに溶け込めるのは、普通の学校がなじめなかった子どもで、なかなか溶け込めないのは、普通の学校で優等生だった子どもだそうです。もっとも、優等生ですから、そのうちどうすればいいか、自分に何が欠けているのか自覚するだろうから、やがて溶け込むでしょう。普通の学校になじめない子どもにとっては、サドベリバレイこそ、求めていた学校だから、すぐに溶け込めるのでしょう。