臨床教育学コメント 2016.6.16

Q 仮説実験授業は、時間がかかり、他の分野に時間がとれなさそうなのに、学力が高いのは、不思議に思った。

A 安井実践と仮説実験授業の共通点は、子どもたちを授業に集中させ、そこで存分に自己表現させることでしょう。そこに学力向上の鍵があると思われます。

 

Q メリットがあるのに、普及しているように見えないのは、なにかデメリットがあるのか。

A 子どもたちが興味をもって学習し、学力が高くなるという意味では、デメリットはないと思います。ではなぜ普及しないのか、その理由は単純でしょう。

 つまり、現在の教育では、教科書を満遍なく教えること、教え方もだいたい決められたように教えることが、広い意味で圧力があるからだといえます。

 安井実践にしても、仮説実験授業にしても、教科書的な知識を満遍なく教えるのではなく、重点的な部分を深く掘り下げて教える点で共通性があります。学力が高くなるのは、こうした教え方なのですが、それが許されない雰囲気があるから、実施することが困難だと感じられるのでしょう。

 

Q 「一人の百歩より、百人の一歩」という言葉は、日本の教育が「おててつないでみんな一緒」といわれるようなことに影響を与えていたのか。

A そういう面も確かにあるかも知れませんが、「一人の百歩より〜〜」という言葉、「みんなでゴール」というような、つまり、徒競走で一緒にゴールさせるというイメージのような安直なものではありません。確かに、表面的に読むと、前に進める者がとめられるように感じられるでしょうが、それを「意図」した言葉ではなく、「遅れる者をおいていかない」という点に力点があると考えられるものです。ただ、できるものが、更にできるようになることがあまり重視されないという欠点はあるために、仮説実験授業では、明確に批判したわけです。

 

Q 中学の理科は、理科室でおこなわれ、「仮説実験結果」が書かれる紙が配布されて、実験中心の授業だった。

A 「討論」がないことで、その授業は仮説実験授業ではないと思います。また、仮説実験授業では、「授業書」がプリントして配布されます。

 

Q 「自然を愛する心」と研究は関係ないといっていたが、ではなぜ、地震や火山の研究者は、その分野の研究をしているのか。

A 地震や火山の研究者は、地震や火山が人間の生活に大きな災害をもたらすものだから、その原因を突き止め、対策を考えるために研究しているのが、ほとんどだと思います。火山の研究者には稀に、火山の爆発に魅せられる人がいるようですが、それはごく少数だろうし、地震の研究者で、地震に魅せられている人がいるとは思えません。

 

Q 戦前、南北朝時代の研究をすることは、なぜタブーなのか気になった。

A 歴史的なおさらいをしておきましょう。鎌倉時代の後半になると、京都の朝廷は、平和的に天皇を決めることができなくなりました。ふたつの系統が譲らない状況になったからです。そこで、鎌倉幕府は、ふたつの系統から交互に天皇を出すという取り決めをして、幕府が機能している間はそれが守られました。いわゆる大覚寺統と持明院統の争いです。そのなかで後醍醐天皇が即位したのですが、他の系統に天皇が継承されることをきらって、本来譲るべき時期にそうせず、天皇に居すわり、それが倒幕運動に発展します。もちろん、自分の地位のためか、新たな理想的な社会をつくるためかは、本人しかわからないことですが、とにかく、建武の親政を実現しますが、結局足利尊氏に追われて、南朝を称して幕府に抵抗を続けます。足利尊氏は、後醍醐天皇の存在を無視して、北朝をたてて、そこで南北朝の対立がその後続くことになります。結局、南朝が破れ、天皇のシンボルである三種の神器が北朝の手にわたることになるわけですが、その後、南北交互に天皇を出すという約束は守られず、北朝系統の天皇が現在にまで至ることになります。

 そういう意味で、北朝が正統というのが歴史の通常の考えなのですが、明治政府成立後、戦前までは、南朝が正統とされました。その理由はいくつか考えられます。

 最大の理由は、江戸幕府が北朝と提携していた点でしょう。江戸幕府にとって、南北朝の対立などはどうでもよかったと思いますが、事実としては、江戸時代の天皇家は北朝であったので、幕府を倒して王政復古した明治政府にとっては、北朝より南朝を前面にだしたかったのでしょう。

 それから、江戸時代に、徳川光圀が、大日本史を編纂したのですが、その歴史書は南朝正統論にたっていたとされています。それが水戸学に引き継がれ、尊皇攘夷論の基礎的考えかたになるので、尊皇攘夷派だった長州政権たる明治政府は南朝に親近感があったのかも知れません。

 また、とんでも歴史観ともみられていますが、実は後醍醐天皇の子孫が長く長州藩に匿われ、孝明天皇を明治天皇に変えたとき(孝明天皇が長州によって暗殺されたという説があります。)実は、その子孫と入れ代わったのだという説があります。

 いずれにせよ、明治政府は、南朝を正統としていたので、歴史学で、「南北朝時代」ということに対して、天皇に対する反逆であるというような攻撃を加えて、室町幕府初期を「南北朝時代」という前提で歴史を書いたひとたちを処分していったのです。

 現在では、こうしたタブーは消えていると思いますが、それでも南北朝時代が、あまり研究されたり、小説に描かれない状況は継続しています。NHKの大河ドラマでも南北朝を描いたシリーズは、たぶん一度しかないはずです。もっとも、そのシリーズは、大河ドラマ屈指の傑作とされていますが。

 

Q 安井実践は、歴史的事実と生徒が考えたことにズレが生じたときに、両方正解と認めるのか、「そういう考えかたもあるけど、史実は**だ」というように教えるのか。

A 歴史を学ぶというとき、何を学ぶのかに関わる問題です。今の学生諸君は、ほとんどが、歴史的事実を覚える作業を歴史を学ぶことだと思っているかも知れませんが、安井実践では、歴史的事実を覚えることは、歴史を学ぶ「前段階」だと解釈されます。だから、事実は予習プリントで各自が確認してくるのです。それを知った上で、では何を学ぶのか。

 ある歴史的事実が、何故起きたのか、誰がどのような目的、意識立場で実現し、その対立者はどのように考え、何故敗れたのか。また、他に関わったひとたちはどうだったのか。そして、その事実が起きた背景には何があったのか。もし、いくかつの要素が違っていたら、別のできごとがありえたのか。そして、その事実が起きたことによって、その後どのような事実がつついて起きたのか。そして、全体を通じて、自分がそのとき、ある立場だったら、どのように考え、行動したか、そういう当事者的な立場から考えていくのです。それが歴史の学習であるというのは、安井実践に限らないと思いますが、そのことから張れば、歴史的事実と生徒の考えにズレが生じることはありえません。